水色マシェリ

□隠し味
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「……怪我は」

「………いえ…、」

「…そうか」


何も聞かず、ただ「帰るぞ」とだけ言ってくれた。
歩調を合わせながらゆっくりと前を行く背中が、優しすぎて、痛いんです。

─────

あの日から一つの夜を跨ぎ、二つの朝日を拝んだ。
真っ暗闇な空にはまるで猫が爪を立てたような細い月が昇っている。


「…どうして……」


─何も聞かないの?

淡島達には何も話していないのか彼らは普通に声をかけてくれる。
だがそれすらも怖い自分はあれから彼らを避けるように過ごしていた。
怖い怖い怖い──でも、いつまでも逃げている訳にはいかない。
侍が背を向け脱却するなんて切腹ものだ。
きちんと話さなければいけない。
落し前は自分でつけなければ。
分かってる、頭では分かっているのだ。


「眠れぬか」

「!」


ハッと我に返り後ろを向くと、そこにいたのはこの里の長である赤い巨体。
余程思い耽っていたのか気配に微塵も気が付かなかった。


「驚かせたかの?それは悪い事をした」

「いえ……少し考え事をしていまして」

「一昨夜の事か」

「……お見通し、ですか」

「纏う血の香、僅かに濃くなっとる」

「妖怪は鼻が効き過ぎて困ります」

「長年生き身につけた技じゃ。ワシ以外は気付いとらん」


ギョロリと暗闇で光大きな目。
捕らえる先の娘は悲しいような困ったような、そんな笑顔。


「二十にも満たぬ歳でその血の香。人間の匂いをさせながらも時々匂う獣のそれ。美月よ、お主何者じゃ」


有無を言わさぬその目は出会った時と同じように決して優しいものではない。
諦めたように微笑むと、コロンと足元の小石を蹴り、空を仰ぎ見た。


「化け物です。人間にも獣にもなれなかった出来損ないの化け物。でも心だけは、魂だけは、一端でありたいともがく哀れな存在です」


繋がらない空はどこまでもどこまでも広い。
星をこんなに綺麗に見た事など何年ぶり──いや、初めてかもしれない。


「本当に面白い娘よ」

「あはは、褒め言葉として取っておきます」

「これは年寄りの戯言ととって構わん。お前が例え何であれ、奴らは受け入れるじゃろうよ」

「…そう、だといいです」


目を伏せ、思うのはここに来て出来た友達。
仲間思いで面倒見が良くて優しい、気さくな妖怪達。


「夜は冷える。体を冷やさぬようにな」

「赤河童さん」


去ろうとする背中を呼び止め、ゆっくりとこちらに向き直る赤き老体。


「これは子供の戯れ事と思って聞いて下さい。皆さんが仰る程、人間って捨てたもんじゃありません。確かに弱くて愚かかもしれませんが、折れない魂を掲げた彼らは強いですよ。特に、─"侍"なんかは」


目を細めて笑う彼女はひどく穏やかで愚かな程真っ直ぐ。
随分と懐かしい名を聞いたと赤河童も僅かに目を細め、笑った。


「そうか……肝に銘じておくとしよう」


おやすみなさい、背中で綺麗な声を聞きながら闇に消える。
成る程、あの子は"侍"──胸に掲げた汚れなき魂を持つ屈強の戦士。
昔はそこかしこにいたはずが、時代に流れ、いつの間にかいなくなった悲しき運命を持った者達。


「あの娘が心配か、イタクや」


ガサリと葉が落ちた木の上には里の鎌鼬。
ここからでは会話こそ聞こえなかったものの、あの明るい空の色は捕らえられているだろう。


「そんなんじゃありません。俺はアイツの見張り役です。妙な真似仕出かさねーように見てるだけです」


淡々とそう言う仏頂面の目線は変わらず前を向いている。
元来真面目ではあったがここまでする奴ではない。
随分と過保護に、否それ以上の感情かと赤河童は小さく口元を緩めた。


「あやつの事頼んだぞ」

「……御意」


闇の中ぼんやりと映る水色はひどく儚く、ひどく──美しかった。


兎の引っ掻き傷

(小さな細い爪痕をこの世界に残して)
(怖いと怯える私を誰か拾って下さい)



─誰かの視線に今日も気付かない




end


繋ぎですよ!繋ぎ!!
イタっくんは心配で仕方ないんだよ!

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