水色マシェリ
□混ぜて
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目が覚めたら賑やかなあの場所に戻っていたらいいと、何度も願った。
「(やっぱり、夢じゃないんですよね……)」
枕元には昨日冷麗からお古だけど使うといいと貰った着物が数着置いてある。
昨夜は状況を上手く整理できず困惑する思考にも関わらず、体は気付かぬ内に限界を訴えていたようで敷かれた布団に横になった途端、深い眠りについてしまったようだ。
「(静かな朝……)」
バズーカの轟音も怒鳴り声もバドミントンのラケットを振る音も何もない。
寂しさを少しでも紛らわせようと手の平にある黒い四角をギュッと握る。
寝る時も離さず持っていた桜の紋が入った警察手帳。
その中には切り離された仲間達との大切な思い出の品が入っている。
「頑張ら、ないと…」
なんとしてでも帰ると決めた。
皆のいる場所に、自分の護りたい場所に。
帰る方法が見つかるまでここにいてもいいと言ってくれたのだ。
行く当てのない今はその言葉に甘えよう。
気合いを入れるように美月はパンと自分の頬を叩くと、白い着物に着替えた。
─────
朝食を終えるとすぐに目の前にドンと叩きつけられた真っ白い山。
戸惑っていると、お前の仕事だとなまはげに言われた。
そよそよと流れる川に行き、洗濯板を片手に一枚一枚その布の山を崩していく。
「(洗濯板…、懐かしいです)」
今は天人達による文明開化で日常生活に随分カラクリが織り込まれてきた。
洗濯板を使っていたのはまだ幼い頃、近藤達に出会う随分前の話だ。
「……近藤、さん…」
無意識にギュッと番傘の柄を握り締める。
覚悟はしていた──彼ら妖怪にとって自分は紛れも無い異端児。
冷たい目で見られる事など、陰口を言われる事など分かりきっていたじゃないか。
昔も、幼い頃もそうだったのだ。
近藤達に受け入れて貰えるまで、自分はやはり異なる存在であったじゃないか。
それなのに、一度受け入れて貰えたから、それがどうしたって笑ってくれたから、異色の髪を、目を、綺麗だと褒めてくれたから、「俺達と来い」と言ってくれたから…─。
「っ…トシさん…、総ちゃ……」
泣いてはいけない。
泣いたって何も解決しないのだから。
でも、それでも、──会いたい。
「美月」と名前を呼んでほしい。
あったかくて、優しくて、不器用で、何よりも大事な仲間に、家族に会いたい。
グッと唇を噛み締め、込み上げてくる熱いものを堪える。
涙は故郷に置いてきた。
泣かないと決めたあの日から、涙は封印した。
感傷的になった思考を振り払うように美月は首をブンブンと左右に振る。
傍らの山のようにあった洗濯物も水気を含み、随分と嵩は減ったが重量はさっきの倍以上だ。
しかし干そうにも近くに物干し場はない。
なまはげに聞いておくべきだったと後悔しつつ、ある一点を見つめ、美月はゆっくりと口を開いた。
「あの、すみません……洗濯物はどちらに干せばよろしいでしょうか?」
端から見れば何もないところに話しかけている変な奴と思われるかもしれない。
でもそこには確かに誰かがいて、ガサリと葉を散らせ、木から飛び降りてきたのは訝しげに此方を見るバンダナの青年。
「……いつから気付いてた」
最初から、なんて言ったら彼は更に警戒を強め自分に不信感を持つのは目に見えている。
鋭い眼光に美月はごまかすように曖昧に笑った。
「今です…。気配には敏感なものですから」
戦場での極限の命のやり取りの中で培った己の第六感。
ジッと此方を見つめる目は変わらず鋭いままだが、突然背を向けると「来い」と美月の足元にある洗濯物の入った金盥を持って歩き出した。
「え、あ、あの…」
「干してェならさっさとついて来い」
「は、はい」
言葉はぶっきらぼうでも、場所を教えてくれるだけでいいのにわざわざ案内し、その上さりげなく重たい荷物を持ってくれている。
その不器用な優しさにどこか擽ったい気持ちになった。
「ここだ」
「ありがとうございます。…随分離れた所にあるんですね」
苔生した岩山を上ったその場所。
丁度真下にはさっきまで洗い場として使っていた川が流れている。
「この里はケムリに覆われてて日の当たる所が少ねェからな」
「そう、ですか…」
仰いだ空はやっぱり何もない綺麗な青。
「あの…変な事をお聞きするかもしれませんが…よろしいでしょうか?」
「何だ」
「"天人"という言葉、ご存知ですか?」
「知らねぇな。…お前の世界の言葉か?」
「あ、はい…すみません。不躾に…」
「……………」
まだ信じられなかった。
小さな光でも縋りたかった。
でも、それすらも叶わない。
やはりここには誰もいない、痛い位に再度実感した。
俯き加減になったその横顔を鋭い金色の瞳が映しているのにも気付かず、美月はそっと洗濯物に手を伸ばす。
「ここにいる方は皆、妖怪なんですね」
「当たり前だ。人間はこの里を見つけることすら出来ねェ。ましてや入る事なんて有り得ねェ」
「…………人間、ですか」
パンパンと着物を叩く手を止め、思わず呟いた。
人になれず忌み嫌われていた自分が、今は人だと思われ忌み嫌われている。
その矛盾に自嘲にも似た笑みが自然と浮かんだ。
ほんの一瞬のその表情を見られていたとも思わずに、すぐ何事もなかったかのようにまた洗濯竿に洗い物を干していく。
無理に気丈に振る舞おうとしているその姿を映しながら、イタクは自分の胸がざわつくのを感じていた。
理由は分からない。
だが、原因は明白。
たかが人間の女の表情一つに動揺した、その事がイタクの中でよく分からない感情を作り出していく。
「、?……何の音でしょう?」
傍にいる男の心境を知るはずもない美月は再び作業の手を止めると、鈍い音のする方向を見つめた。
「……行ってみるか?」
「え?」
「来い」
「あ、い、え?ま、待って下さい」
考える事を止め、気持ちを切り換えるためにイタクは一人、森へと向かう。
半ば強引に事を進め、前を歩く男の背を美月は慌てて追いかけた。
それでも、気を使ってくれているのだろう。
男にしてはゆっくりとした歩みに美月は人知れず頬を緩めた。
「ここだ」
大樹に囲まれた森の開けた所。
樹齢何百、何千ともなるその大きな切株に感銘の息を吐く。
「ここは…?」
「遠野の数ある実戦場の中で一番広いとこだ」
「実戦場?」
「言わば稽古場だ」
身近に例えると道場のようなものだろうと美月はイタクの言葉に納得する。
やはり妖怪も鍛練は欠かさないのだなと思っていると、此方に気付いた妖怪達が修業を切り上げ、ゾロゾロと近付いてきた。
「お、昨日の面白ェ奴じゃん」
「近くで見るとやっぱ美人だなー、ヒヒヒ」
「お疲れ様。あら、昨日あげた着物着てくれてるのね」
「イタクー、連れてこねェとか言っときながらやっぱ連れてきたなー」
「コホコホ、ホントに水色…」
集まる妖怪に驚き瞬ぐ美月に構わず、彼らはズズイと詰め寄っていく。
「俺はあまのじゃくの淡島。よろしくな」
「オイラーは沼河童の雨造だ」
「経立の土彦だ」
「私も改めて、雪女の冷麗よ。こっちは紫。座敷童子ね」
「は、はい!私…「知ってる」
え?、と丸くなる水色の瞳に淡島はニカリと笑った。
「美月だろ?お前すげーカッコ良かったぜ」
「赤河童様に啖呵切る奴なんて怱々いないからなぁ。しかも美人だしー」
「肝が据わってる奴ァ大歓迎だ」
ぽかんと情けなくも口が開いてしまう。
それ程に予想外だったのだ。
そんな風に思ってくれる人がいるなんて考えてもみなかった。
「信じてるわ」
「え…?」
「アナタの言葉は少なくともここにいる六人が信じてる」
美月の前には五人。
でも冷麗は"六人"と言った。
すると後一人は…─。
「信じて、くれるのですか…?」
見上げた彼の目はやはり鋭いけれど、その奥には確かな優しさが潜んでいる。
「俺はお前の監視役だ。勘違いすんでねェ」
「素直じゃねーなイタクは」
「いつもこうだから、コホコホ。気にしないで」
「分からない事があったら何でも聞いてね。数少ない女同士、仲良くしましょう」
「オイラーとも仲良くしてくれよォ」
「何かと不自由だろうがー俺達がいる」
何て、暖かいのだろうか。
「今日から美月は俺の家族だ!」
豪快に、でもとても安心する笑顔をくれる大切なあの人がふと頭を過ぎった。
まるで全部、全部、包んでしまうあの温もりにひどく似ている。
「─っ、ありが、とう…ございます……」
嬉しくて泣きたくなるだなんて、それこそ近藤に拾ってもらったあの時以来だ。
込み上げて来る熱いものを必死に留め、美月は深く頭を下げる。
たくさんの感謝を込めて、それから泣きそうな顔を見られないように。
「礼なんていらねーよ」
浮かびそうな涙を堪えて顔を上げると、さっきと同じように歯を見せて笑う淡島がいた。
その後ろにいる皆も此方を見ながら優しい笑みを浮かべている。
「オイ新人、まだ掃除が残ってんぞ」
「あ、はい!」
「何だよイタクー。雰囲気ぶち壊しだぜぇ」
ブーブーと文句を言う雨造、淡島、土彦のトリオに「うるせー」と一喝するとクルッと美月に向き直った。
「イタク、鎌鼬のイタクだ。テメェの見張りの名前くらい覚えておけ」
それだけ言うとまた背を向け、来た道をスタスタと歩いて行ってしまう。
「本当は美月の事認めてるのよ。素直じゃないだけで」
冷麗がこっそりと教えてくれると「早くしろ」とイタクの声が実戦場に響いた。
何だかんだ文句を言いながらも待っていてくれる、ひどく分かりにくい優しさ。
それがやっぱり擽ったくて、美月はそっと口元に笑みを浮かべた。
シュガーレスがお好みで
(今更甘くされても)
(どうしたらいいか分からないから)
─昔から周りは皆不器用だった
end
無駄に長いな、と(←爆