矢沢永吉原理主義用語の基礎知識

【い】 19件

【1ブレーメン (いちぶれーめん)】
2ちゃん実況の単位。毎秒30アクセスで1ブレーメン。NHK教育で放送された「ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」の実況スレの辻希美の入浴シーンの際に祭り状態となり、この回の平均アクセス数から定義された。

1081 名前: 名無しさん 投稿日: 04/02/28 19:23 ID:yrtH848u
3倍キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!!
1082 名前: 1001 投稿日: Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

1000までしか書き込めないはずなのに、1081まで書き込まれている。正に「ののたんは奇跡」だ。(笑)


【伊藤久之 (いとうひさゆき)】
元矢沢ファミリーメンバー。愛称は「チャキ」。
クラフトなるバンドに途中加入しデビュー。その後矢沢ファミリー入り。ヒストリーの後楽園リハのシーンに於いて、イントロダクションの説明をする矢沢永吉に「下(の音)でないもん」と物凄くぶっきらぼうに言っているシーンが印象深い。(笑)
矢沢ファミリー解散後は、柳ジョージのバックバンドのレイニーウッドが独立した「THE WOOD」に加入。曲提供やボーカルもこなす。解散後は、NOBODYや吉川晃司、阿川泰子のバック等を務めながら、ジャズ等も含む幅広い活動をこなし、大御所ベーシストとして君臨。
近年は、矢沢の80年代のツアーメンバーであった丹波博幸や元WOODのメンバーと「伊藤"chaki"久之special band」としての活動を行なう他、丹波と共にジョニー大倉のレコーディングやライブにも参加している。


【犬 (いぬ)】
原理主義スタッフが、「狼ごっこがしたい!」という欲望だけで設置した、スレッド式掲示板。
原理主義ヲタでも、「よく分からない」という理由で、チェックしない方がいる様だ。たまにリーク情報が書かれるコトがある。


【いばちん (いばちん)】
中日ドラゴンズの遊撃手、井端弘和内野手の事。
ベストナイン&ゴールデングラブ賞を4年連続で獲得し、セ・リーグの遊撃手連続守備無失策記録を保持、おまけに年に20回弱の盗塁も決めたうえに3割を打つという、走攻守揃った名選手である。が、北京五輪予選ではDHやバント要員として起用されるという、意味不明の扱いを受けた。星野、バカだろ!?(笑)

打席にて激しいまばたきをしているが、視力が悪いうえにドームは空調で目が乾燥しやすい為である。また、死球等のアクシデントの際、「大怪我!?」と思う程のリアクションをとり、ひどい時は松葉杖をついて帰宅した事もあるが、翌日はケロッとして盗塁をしたりするので、井端大袈裟説や井端仮病説も囁かれている。(笑)
中田キュンの登板試合で活躍する事が少ない為、中田キュンのホモスレでは「ネズ公」と呼ばれて評判が悪い。


【今井アレクサンドル (いまいあれくさんどる)】
芸術家。写真・絵画・書・ディスプレー等を手懸ける。多作で知られ、年に100回の個展を開いた事も。また、ロールスロイスのコレクターとしても知られる。
父親は、世界的前衛画家の故今井俊満。母親は、オーストラリアの女優&バレリーナ。
1985年にNHKで放映された「YOU」に、次世代を担う若者達として出演。矢沢に質問するコーナーで他の出演者が自分と矢沢を重ねあわせる様な質問をする中、「世界進出はしないんですか!?」と全く自分に関係ない質問をし、茶の間の矢沢ヲタの爆笑を誘った。その後もアシスタントのマイクを奪い取る、ニヤリと笑った後真顔になる、再度矢沢に突っ込む等などして、異様なまでの存在感をアピールした。


【色っぽいじれったい (いろっぽいじれったい)】
モーニング娘。27枚目のシングル曲。最高位4位。略称「いろじれ」
久住小春初参加作品というコトもあり、「東名阪握手サーキット」と称して握手会が開かれた。
イントロのコーラスが「れいにゃ〜萌え萌えれいにゃ〜俺の〜♪」と聞こえる為、ライブでイントロが流れるとれいなヲタがこぞって叫ぶ。この曲の発売時、精神内科に通う程の悩みを抱えていた筆者は、ライブでこの曲のイントロが流れると切なくなるのだが、条件反射で「れいにゃ〜萌え萌え」と叫んでしまうのが実に不思議だ。(笑)


【岩倉 (いわくら)】
中日ドラゴンズの投手である朝倉健太の事。
一昨年、朝倉が好投していた時の解説者が張本「喝」勲だったのだが、試合途中から朝倉の事を何故か「岩倉」と呼び始めた。アナウンサーが「朝倉ですね」と何度も訂正したのだが、張本は頑なに「岩倉」と試合終了まで呼び続け(笑)、朝倉は勝利投手に。その時のピッチングが素晴らしかった事から、朝倉の好投を願う意味で「岩倉」と呼ぶD専住民が多い。


【岩崎肇 (いわさきはじめ)】
キーボードプレイヤー。
73年にフォークバンドの「神無月」でデビューし、その後矢沢永吉のバックバンドである「矢沢ファミリー」に加入。矢沢永吉ヒストリーの後楽園リハのシーンで、矢沢が「ハジメ、ハジメとマーちゃん残ってて」と言っている場面が印象深い。矢沢ファミリー解散後は、浜田省吾や鈴木聖美等のバック、スタジオミュージシャンとして活躍。97年には本人名義のソロアルバム「TRAVELIN' MAN」を発表し、浜田省吾やNOBODYの木原も参加している。
現在は、中澤裕子等のハロプロのバックを務める事が多く、安倍なつみのバックバンドのバンマスも務め、藤本美貴のアコースティックライブにも参加。瀬戸ちゃんと並ぶハロプロ矢沢人脈の一人として、筆者から大いなる期待を持たれている。(笑)


【岩下レーシング (いわしたれーしんぐ)】
70年代中盤〜80年代中盤位の時期に、「ジャンプ」などの漫画雑誌や「明星」などの芸能雑誌に大量の広告を打ち、車やバイク、映画や芸能人のポスターやステッカー、グッズなどの通信販売及び店舗による直接販売を行っていた会社。YAZAWA CLUBの前身であるEXCITING CLUBの商品も扱っていた。当時のヲタならば、一度は広告を目にしているはずである。以前、原理主義に書き込みをして下さっていたT様の調べでは、ポスターは「○万枚を売り切ったら販売終了」という契約になっていたとの事。
現在は、静岡店が営業している模様。


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