矢沢永吉原理主義用語の基礎知識

【ひ】 14件

【日の丸永吉コート (ひのまるえいきちこーと)】
1978年に行われた後楽園球場でのオープニングで、矢沢永吉が身につけていた背中に日の丸&永吉の刺繍がほどこされたコート(ガウン)の事。ステージに現れてすぐに脱いだ為、TV放送ではきっちり映ってはいないが、写真集「SUPER PHOTO LIVE」にてバックショットが掲載されている為、ヲタの脳内に強く刻み込まれている。矢沢サイドが制作したものではなく、ファンからのプレゼントだった模様。
オフィシャルショップの「P.M.9」に展示されていたが、1988年矢沢永吉初の東京ドーム公演の夜に、ヲタに盗まれたとの噂がある。「P.M.9」が夜間の営業をしていなかった事と、初のドーム公演という事でスタッフが出払っていたところを狙われたというのが通説になっている。気持ちは判らなくもないが、矢沢の記念のブツはダメだろ…。


【氷室京介 (ひむろきょうすけ)】
矢沢チルドレンの中でも、矢沢ヲタの理想を一番体現している男。決して虚像を崩さないし裏切らない。
矢沢が「HEY×3」に出演した時は浜田に体を触られたが、氷室は指一本ダウンタウンに触れさせなかった。


【ヒライダー (ひらいだー)】
中日ドラゴンズのセットアッパー(中継ぎ)である平井正史投手のD専での愛称。オリックス時代には新人王に輝くなどして、イチローと共にオリックス黄金期を支える主戦投手であった。しかし、その後は故障により低迷。トレードにて中日に移籍した。中日では、オリックス時代の恩師である山田久志の助言等により、見事に先発投手として復活しカムバック賞を獲得。その後は、中継ぎ投手として、中日投手陣の中心となり活躍。
近年は、痛い場面でランナーを出したあげく本塁打を食らったり、痛くない場面でもきっちり本塁打を食らう等、中日ファンの信用は薄い。(笑)しかも、シーズンオフには成績を省みずに金銭面でゴネる為、更に信用を薄くしている。(爆)


【広島市立中広中学校 (ひろしましりつなかひろちゅうがっこう)】
筆者の手元に某年の卒業アルバムのコピーがあるのだが、二十四学級岩木組というクラスの「巴山永吉」という少年が、実に矢沢プロに似ている!矢沢プロの厨房時では!?と勘違いする程だ!(笑)
筆者には、写真を見ただけでその人の将来を予知する能力があるのだが、この少年はマネージャーに金を横領された後も、側近に騙されて35億位の借金を抱えそうな気がしてならない!現在の巴山永吉君に会う事ができるのなら、一言注意してあげたいのだが…。(爆)


【広島市立三篠小学校 (ひろしましりつみささしょうがっこう)】
筆者の手元に某年の卒業アルバムのコピーがあるのだが、猫田組というクラスの「巴山」という少年が、実に矢沢プロに似ている!矢沢プロの消防時では!?と勘違いする程だ!(笑)
筆者には、写真を見ただけでその人の将来を予知する能力があるのだが、この少年は大人になって音楽で成功するも、マネージャーに金を横領されそうな気がしてならない!現在の巴山君に会う事ができるのなら、一言注意してあげたいのだが…。(爆)


【ビッグ (びっぐ)】
矢沢永吉の代名詞。
古くは、BIC(ビック)ボールペンのCMソングにキャロルの「ビブロス・ピープル」が起用されたり、矢沢永吉本人も「ハウス・BIGシャンメン」のCMに出演したりと、矢沢永吉とビッグの繋がりは相当深い。(笑)
なにしろ、95年週刊現代掲載の矢沢の愛人の話によると、「でも彼って、あそこもすごくビッグだから」というんだから、これは本物である!(笑)この話の後に、成りあがりのサブタイトルである「How to be BIG」という文を見ると、成りあがりが「ペニス増大」のハウツー本の様な気がしてならない。(爆)


【美勇伝 (びゆうでん)】
石川梨華モーニング娘。卒業後の活動をにらんで、石川梨華&三好絵梨香&岡田唯の三人で結成されたユニット。
梨華ヲタの筆者からすると、どう見てもお荷物二人を預けられたとしか思えん!早く解放してくれ!
と願っていたら、今回のシングル「なんにも言わずにI LOVE YOU」で、めでたく解散する事になった。

梨華ちゃんお疲れ様梨華ちゃん

今後の石川の活動に注目したい!


【P.M.9 (ぴーえむないん)】
矢沢永吉第2期黄金時代を作った名盤。
当初は、「ロス行きの飛行機の時間が9時だったから」とタイトルの由来を説明していたが、いつの間にか「夜食のラーメン食ってた時間が9時だったから」に変更になっていた。(笑)


【ピーコ (ぴーこ)】
元広島東洋カープの監督であり、北京五輪野球代表チームの守備走塁コーチを勤めた山本浩二の実況板での蔑称。
現役時代は、「読みのコージ」と呼ばれる程の配球洞察力で快打を連発し、国民栄誉賞受賞者である衣笠祥雄を凌ぐ人気を誇り、「ミスター赤ヘル」と呼ばれた程の名選手。
監督としても優勝するなどして評価が高まるも、2年後には最下位になって辞任。その後再び監督として復帰するも、一度もAクラスに入るコトができず評価は急落。その時に見せた意味不明の用兵やトンマ采配に不満を持ったファンが、山本がかけていた黄色い色眼鏡にかけて「ピーコ」と呼び始め、あっという間に定着した。(笑)
北京五輪では何故か「守備走塁コーチ」として起用され、何の印象も残す事なく北京五輪は終了。(笑)やめときゃ良かったのに…。(爆)


【ピーナッツ (ぴーなっつ)】
かつて伊勢佐木町で営業していた老舗キャバレー(ディスコ)。矢沢ヲタには、キャロルが初ステージを踏んだ店として知られる。キャバレーといっても、お笑いになる前のドリフターズや横浜の名門バンドであるゴールデンカップスも出演していた、音楽とお酒とダンスと会話を楽しむ店である。
もう亡くなられてしまったのだが、筆者の行きつけだった野毛の焼鳥屋の年上の馴染み客が、当時のピーナッツでのキャロルのステージを見た事があると言っていたので感想を聞いてみた事があるのだが、「いやぁ…とにかくキャロルってのは生意気だったよ!でもカッコよかった!」と言ってますた。(笑)

画像は、ピーナッツが営業していた場所の現在の姿。建物自体は昔と同じ。「てんや」の上の2〜3Fがピーナッツの店舗であった。


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