矢沢永吉原理主義用語の基礎知識

【ち】 2件

【チャチャ (ちゃちゃ)】
ヤマト解散時、父親にうるさく言われて明治大学に復学したはずの木原が、何故か73年に元ヤマトのマーちゃん(大森正治)と結成したバンド。メジャーデビューはできなかった模様。
メンバーは、木原敏雄(g)、高島利治(g)、花輪春彦(b)→及川弘文(b)、大森正治(ds)の4人編成。サイケデリックな衣装がとても素敵だ。(笑)
76年10月3日には、「Cha ChaU(セカンド)」としてヤマハの第12回ポプコン本選会に駒を進め、「恋人が欲しくて[作詞・作曲:木原敏夫](何故か敏雄ではなく敏夫)」で優秀曲賞を受賞。グランプリは取れなかったものの、長渕剛の「雨の嵐山」や渡部真知子、安全地帯を抑えての受賞は大したモノである。また、その流れで同年の第7回世界歌謡祭にも「恋人が欲しくて(I Want To Be Love)」で出場したが、惜しくも本選進出はならなかった模様。


【長州力 (ちょうしゅうりき)】
プロレスラー。昭和26年生まれ山口県出身。
本名:郭光雄 日本名:吉田光雄
大学時代にアマレスの全日本選手権で優勝するも、国籍の問題でオリンピックの日本代表にはなれず、韓国代表として出場。大学卒業後新日本プロレス入り。藤波辰巳との「名勝負数え歌」でトップレスラー入りを果たす。

「反骨イズム〜長州力の光と影〜」(辻義就著)の中で、極貧だった幼少時代をこう語っている。

「遠足に行くにしても、リュックサックも水筒もない。俺は弁当を風呂敷に包んで持って行ったものだ。」

筆者を80年代に熱狂させた矢沢永吉と長州力。この二人の男が幼少時に同じ様な体験をしていた事に、ただ驚愕するばかりだ。



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