+小説+
□優しい彼女の悲しい話
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いつもの人気のない喫茶店の最奥の席で。
「いいのよ、あんな人。もういい加減飽き飽きしていたから」
そう言って、私に向かって微笑む彼女。
だけど目尻には確かに輝く水滴。
彼女が三年間に渡って付き合っていた彼に結婚の話が持ち上がった。お相手は、芸術家である彼の資金面を援助してくれている資産家の一人娘。
真面目に石膏やブロンズと向き合う彼に、資産家のお嬢様は恋をしてしまったらしい。
断れば、もちろん資金の提供なんて望めなくなるだろう。
彼女の彼には夢も野望もあって、でも彼女を切り捨てることが出来なくて。
だから別れを切り出したのは彼女の方。
いつだって、彼女はそうだ。
人の幸せばかり願って、自分の想いや願いなんかは心の中にある深くて大きな海の底に沈めてしまう。
誰にも見つけられないように、優しさで沈めてしまうんだ。
だけど、私だけはそれが見つけられる。だって、ずぅっと彼女だけを見詰めていたから。
知らない内に、彼女専用のスコープを手に入れていたんだ。
だから、彼女が沈めたものを泳いで潜って捕まえてあげられる。
彼女が本当は掛けて欲しいと願っている後押しの言葉だって掛けてあげられる。
『大丈夫だよ』とか『まだ間に合う』とか『彼も本当は貴女のことを愛しているんだから』とか、そんな、言葉。
けれど。
「……そっか」
一言、そう返して。
弱りきった彼女の小さな頭をテーブル越しに壊れ物でも扱うように抱き締めた。
だって、仕方ないじゃない。
その言葉は彼女のことを救えるかもしれないけれど、私の心を抉り取る。
私は、彼女と違って優しくなんてないんだから。
私の肩に顔を押し付けて無理に声を殺して泣く彼女。
優しい彼女の悲しい話。
そんな彼女を悲しみから救い上げる言葉を持っているのに口にしない私。
臆病な私の卑怯な話――……。
「……ありが、とう……」
小さい嗚咽の合間に、か細く聞こえた見当違いの礼を告げる彼女の声が。
大きく鼓膜と脳を震わせて、胸を締め付けた。
+終+