華の間


□これが私のアイデンティティー
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これは とあるもののお話ーー。
仮にその者の名前を桔梗(ききょう)と名付けよう。

桔梗はいつも瞑想(めいそう)にふけっていた。

「自分とはなにか?」
「自分とは私である」
「ならばその "私" とはなんなのか?」

いつもそこで答えにつまずく…。
そしてまた、堂々巡りの森に迷い込むのだ。


そして、月日が経ってーー。
桔梗は一つの答えを導き出した。

「私とはなんなのか?」

その答えは案外簡単だった。
「自分」だった……。

そう、また振り出しに戻された。
この「私」に対して「私」は悩まされている。
なんと皮肉なことだ。


そこで桔梗(ききょう)は、逆転の発想をしてみせた。

「私とはなんなのか?」と、
考えるから 判らなくなる。
もっと簡単に考えればいいんだと桔梗は思った。

桔梗は主観的にしか考えていなかった。
だから「私とはなんなのか?」と言う言葉が生まれた。

ならば、「私はどう想われているのか?」
そう客観的に考えればよかったのだ。

でも、そのせいでまた一つ問題が(しょう)じた。


「私はどう想われたいのか?」

そう、また「私」に囚われる…。
今度はそれだけじゃない。
「他人への感情…。」
つまり、「私は人からどう想われているのか?」
中々の難題にぶち当たった。


色々と考えてみたのだが、
やっぱり結論にはたどり着けそうにない。

そもそも どうして
「私とはなんなのか?」と言う考えが生まれたのか。


それは桔梗(ききょう)が「私」という
「自分」を「否定」したくて
「私」を探していたからだ。


嗚呼(ああ)、そうか。
これでやっとわかった。
かなり遠回りしてしまったけど、
決して無駄ではなかった。」


「私」は「自分」から逃げていたのだ。
だからこそ「否定」したかったのだ。

「ここ」にいない、「自分」を求めていた。

「強い」自分を作り出し、
「弱い」自分から「逃げていた」。

そんなんじゃあ、
いつまで経っても「自分」なんて解りはしない。


今は「私」を「受け入れる」ことは出来ないかもしれない。

それでも「私」は「私」でありたいと思う。

言葉ではうまく表現できそうにない。
うまく伝えられないのがもどかしい……。

でも、これだけは伝えたかった。
これだけは理解してもらいたかった。


「私」は「私」でしかいられない。
今の「私」がどんなに嫌でも、
それだけは「否定」してはいけない。
だってそれは、「過去」の「私」を「否定」することに繋がるからだ。


誰になんと言われてもいい。
情けなくったっていい。
格好悪くったっていい。


「自分」を捨てた「私」にだけはなりたくない。

その「私」はどうなってしまうのだろうか?


だから「私」だけは
「私」を「好き」になってあげなくちゃならない。

怖くても大丈夫、もう逃げない。

今なら胸を張って言える。

「これが私だ!」



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