原作沿い長編

□夢見鳥の見る夢は
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清水港に到着し、ひたすらに足を動かす。
自分でも歩みを速めているのを自覚しているが、その速さに名無しさんが着いてきているのは驚きであり、心配でもある。
距離はまだある。その速さのまま続けては足を潰しそうだ。
しかし止まる事も速さを緩める事も名無しさんは認めない。
心は一刻も早く三島の元に向かいたいのだ。

全く…。
自分が二人の距離を縮めた覚えはあるが、そこまで入れ込む程親密になっていたのか。
必死になる名無しさんがいじらしくもあり、悔しくもある。

「緋村さんは、京に入った頃でしょうか?」

唐突に名無しさんから話を振ってきたのは少し意外だった。
頭の中は三島の事だけかと思っていたし、体力的にも余裕が無いとも見ていたが、まだ俺は名無しさんの事を読みきれていないようだ。

「抜刀斎が東京を出て三日。
さすがに着いてはいないだろうが、近いところまで来てるだろう。」


四日前の夜に記憶を戻す。



大久保卿逝去の夜。
人通りの少ない道を睨み付けるように歩く小柄な男。

「やっと京都へ行く決心がついたか。」

声を掛ければ視線を緩めること無く振り返る。
ひどい顔だと思った。

「神谷の娘に別れは言ってきたか。」

気をまぎらわすための言葉のつもりだったのだが、地雷を踏んだらしい。
後ろの名無しさんにも、背中をコンと叩かれ咎められた。

「…すまん、失言だった。
これから志々雄一派と共に闘う同志なんだ、仲良くやろうぜ。」

「共に闘う?」

「ああ。大久保卿暗殺の余波で川路の旦那に色々と雑用が増えちまってな。
京都での現場指揮は俺が執る事になった。」

まぁ、暗殺があっても無くても回ってきた役だろうが…。

「なんだ、そのものすごく嫌そうな顔は?」

「別に。」

殺気立てた雰囲気以上に苦虫を潰した表情が気になったが、いちいちそんな事に構っていられん。

「とにかくついて来い。今から横浜に行けば朝一番の大阪行きの船に間に合う。」

「いや。拙者は東海道を行く。」

「なんだ、文無しか?船代ならちゃんと政府で──」

「そんなのではござらん!
大久保卿暗殺の件を見ての通り志々雄一派は神出鬼没な連中だ。船上でいきなり急襲してくる事も充分考えられる。
逃げ場の無い船上の闘いとなれば何も知らない無関係の人々を巻き込みかねん。」

「…考え方は相変わらず“流浪人”か。
平和ボケも大概にして早いうちに“人斬り”に戻った方が身のためだぞ。なんならもう一度ここで闘っておくか。」

「お前との闘いにはいつでも応じてやる。
だが拙者はこれ以上抜刀斎に戻る気はない。
この一件に誰一人巻き込む気もない。そのために拙者は“独り”を選んだんだ。」

刀に手を掛け合う自分達を見て、名無しさんの顔が不安げに曇るのが見えた。
その時初めて気付く。抜刀斎との手合わせの場を避けたのは知り合い同士が闘り合う場を見たく無かったのだろう、と。

国の頭が殺られてもまだ甘ったれた事を言う抜刀斎には正直この場で斬り合っても構わぬ程苛立っていたが、名無しさんの困り顔と天秤にかけて選んだ答えに応じて刀から手を離した。

「…まぁいい。
どの道を選ぼうが京都に至れば問題はない。
常人なら十日前後の道のりだがお前なら五日もあれば十分だろう。」

己も大概名無しさんには甘くなると、自覚した。

「だが物見遊山は程々にしておけ。志々雄は全国に蜘蛛の糸の様な情報収集の網を張っている。お前の行動は全てお見通しのはず。
忘れるな。志々雄との闘いは既に始まっている──」

最後の忠告をすると、抜刀斎は通りに向け歩き出す。その先に立つ名無しさんを前にすると表情ががらりと緩む。

「氷雨も、京都に行くでござるか?」

名無しさんは困った様に微笑むだけだ。
当然だろう、着いてこいとも待機しろとも言っていない。名無しさんも自分の希望を口にはしないのだが。

「聞いての通り志々雄は目的の為なら女子供にも容赦しないだろう。拙者が巻き込みたくない中に氷雨も入っている。
出来れば東京に居て欲しいでござるが、仕事となれば立ち入れない事情もあろう。
…十分用心するでござるよ。」

力強く頷いて、先とは異なり真からの笑顔を向ける。

「私はまだ覚えていますよ。いつか美味しいお酒を酌み交わしましょう。」

「…。
ああ。そうでござったな。」


────

それが四日前の事。
最後の遣り取りは黙っていられなかったが、自分と出会うずっと前の約束にまで口を挟むのは野暮というもの。

「緋村さんは、誰も巻き込みたくないと独りを選びました。
藤田警部補が私を連れてきてくれたのは御自身が“人斬り”だからですか?」

「慣れぬ地で指揮を執るのに気の置けない部下は欲しい。ましてお前は裏方に関して数人分の働きをする。」

笑ってはいるが瞳の中に僅かに憂いを帯びている。最近、ようやく名無しさんの中の微弱な変化に慣れてきた。

「…それが建前。」

「え?」

「女連れで現場指揮とは、と普通は罵られる所だがお前なら能力で側にいるのだと1日あれば周りに納得させられるだろう。
本音は、目の届く所に置いておきたい。抜刀斎と違って俺は大切なモノを守るためなら躊躇い無く人を殺せる。側に置くことで危険が増そうが、その火の粉さえ払えると自負出来る程の腕はあるつもりだ。」

後ろを歩く名無しさんが、辿々しく自分の上着の裾を掴む。微かな抵抗が背にかかったが歩く上で支障は無い程度だ。

「すみません。少し嬉しくて…。
私の仕事ぶりを評価して頂けるのは有り難いですが、“私”を側に求めて頂けた事がそれ以上に…」

振り替えれば俯いた顔から表情は読み取れなかったが耳はすっかり赤くなっていた。
フッと無意識に微笑んでいた。
公道でなければ抱き締めていたかもしれない。
初めてだ。
平和や人々の暮らしではなく、“誰か”を守りたいと思うのは。
そして恐らく、最後の女だ。
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