第五人格

□キミ自身が好きなのだ
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彼は、ナワーブくんは、私の長い髪が好きだと言ってくれた。負傷したナワーブくんを手当てしている時に私の髪が垂れて、顔に当たるのが擽ったかったらしい。手で払い除けようとして触れて、予想以上に柔らかい髪質にあっと思ったようで。陽に透けた髪が、余程綺麗に見えたらしくて。


「綺麗な髪だな」


そう、不意にナワーブくんが呟いたのに気を取られて思わず治療していた手を止めてしまった。ぇ、と零れ落ちた声が小さ過ぎて直ぐに空気中へと馴染んでいく。「俺、アンタの髪が好きだ」意中の人にそんな事を言われて、嬉しくない訳がない。私はボンっと一気に顔を赤くしながら、破裂しそうな勢いで弾む心臓の辺りをギュッと押さえた。

その日を境に、私は自身の髪を大切にする様になった気がする。頻繁に何度も何度も櫛を通して。シャンプーやトリートメントに気を使ったし、優しくオイルを揉み込んだりもした。ナワーブくんの褒めてくれたこの髪が、いつしか私の自慢になりつつあった。風を含んでフワリと髪が舞う度にナワーブくんの視線を惹きつける。それが堪らなく嬉しかった。でもそれが、最近は、


「っひ、」


ゲーム中では、その長い髪が寧ろ仇となっていた。私を捕まえようと伸ばされた腕が、容赦なく私の髪を掴みぐいと後ろへと引っぱる。「いっ、た、」痛みに悶えながら必然と天を仰げば、断罪狩人の影が落ちてきて心臓が跳ねた。視界いっぱいに広がるのは、表情の見えない鹿の顔。目を見開き息を呑むと同時に彼の武器が振り下ろされてダメージを負う。攻撃のクールタイム中に何とかまた走り出して距離を取る事は出来るけど、またフックが刺されば同じ事の繰り返しだった。フックで距離を縮められ、慌てて逃げようとすればその前に長い髪を思い切り引っ張られてまた手繰り寄せられてしまう。嫌だ、やめて!泣き叫ぶ声も虚しく、力任せに引っ張られた髪が数本、ぶちぶちと切れて悲鳴を上げていた。


「いやっ、やだぁ…!やめて、放してえっ!」


そうして力任せに引っ張られ、殴られた所でサイレン音が響き暗号機の通電が知らせられた。身体が軽くなったのも束の間。また直ぐに捕まって今度は硬い地面へと押しつけられる。絶望の顔で恐る恐るベインの方を覗き見た。相変わらず見えない表情。それが余計に恐怖を煽ってゾクリと背筋が震える。


「やだ、嫌だあっ、!」


暴れれば暴れる程、髪を強く引っ張られる気がした。嫌でも顔を上げる事になり、零れた涙がハラハラと頬を滑り落ちて行く。彼の特質は瞬間移動。今飛べばまだ十分間に合う筈なのに、ベインはそんな事せずじっと私の事を凝視している。彼はいつだってそうだった。いつだって私に執着していた。その不気味さにゾッと背筋が震える。チラリ。伏し目がちに通信機へと視線を落とした。一人、また一人、仲間がゲートから逃げていく。あと残っているのはナワーブくんだけで、私の安否を心配しているのは一目瞭然で。


「っ…」


震える指で一文字ずつ、今にも失神してしまいそうな恐怖の中で文字を打ち込んで行く。私を助けなくていい、そう通信機で知らせて漸く、ナワーブくんが足取り重そうにゲートを出て行く。何度も何度も足を止めて、私の方を振り返ったナワーブくん。


「…よかった」


ナワーブくんが逃げられて、良かった。無意識にもそう微笑んだ瞬間、後ろからぬっと伸びてきた手が私の頬に触れて自然と笑顔が消える。もう彼の顔を見るのも嫌で、私はそっと瞼を伏せ、静かに投降へと身を投じた。

一転する視界。一応ゲーム中での怪我はある程度治る仕組みにはなっているけれど、ボロボロに乱れた髪までは直してくれなかった。


「(…酷い有様)」


そっと自身の髪に触れて、俯く。「大丈夫か?」背後から投げ掛けられた声にビクリとして振り返ると、心配そうな面持ちで私を見やるナワーブくんが居た。咄嗟に髪を押さえながら視線を逸らす。見られてしまった、このみっともない、酷く傷付いてボロボロになってしまった髪を。ぶわっと胸に込み上げて来る物があって視界が揺らぐ。いくら何でも乱暴過ぎると、最初はベインに対して怒っていたナワーブくんだけど。今にも泣き出しそうにしている私に気がつくとぎょっとした様子でわたわたとし出した。焦る姿を見るのは何だか新鮮で、不思議と少しだけ気分が落ち着いた気がする。気まずそうに頬を掻いたナワーブくん。そうして何かを躊躇った後、ナワーブくんは意を決した様に真っ直ぐと私の事を見つめ手を伸ばす。


「…痛かったな」


ボサボサと跳ねる私の髪を撫で、次にそっと頭を撫で。そうして心配してくれるナワーブくんはとても優しい人。私はナワーブくんのね、そういう所が大好きなんだよ。溢れて来る感情が止まらず、私はナワーブくんに慰められながらぐすぐすと鼻をすすって泣いてしまった。


「もう引っ張られねぇ様に、これで括っときな」


そう言ってナワーブくんがくれたのはシンプルな結いゴムだった。ナワーブくんのくれた物という事実が嬉し過ぎて、涙なんて一瞬で引っ込んでしまったのだからナワーブくんは凄い。ありがとう!と元気よく笑うと、ナワーブくんもつられた様に笑ってくれて。それがまた嬉しかった。

その日から私は髪を高く結い上げて纏める事が増えた。たまにポニーテール、主にお団子。涼しそうで良いなと褒めてくれるナワーブくん。えへへと照れ隠しする様にはにかんで俯くと、それに合わせてポニーテールがゆらゆらと揺れた。ゲームの後に一息吐きながら結いゴムを解くと、またもやナワーブくんの視線を感じて擽ったくなる。けれどそれで回避できていたのも束の間。彼は、ベインは、それでも尚私の髪を引っ張る事を辞めなかった。お団子にしていた髪がチェーンフックに捕まってバラバラと乱れていく。お団子は気がつくとポニーテールになっていて、そのまま力づくで引き摺られて表情が崩れた。何度経験しても、この痛みには慣れそうに無い。力に耐え切れなくなったゴムが音を立てて切れた。一気に落ちてきた髪が首の後ろを撫でたのもまた一瞬で、すぐベインに髪を鷲掴みにされて背中から彼の腕の中へと引き込まれる。


「(あぁ、まただ)」


視界いっぱいに映ったのはやっぱりいつもの鹿頭。はらりはらり。目から溢れ落ちた涙を見て彼は何とも思わないのだろうか。もう何度目にもなるやり取り。髪の長い女性サバイバーは他にもいるのに、何故か狙われるのは毎回私だった。髪を強く引っ張られ、酷い仕打ちを受けるのも私だけ。その苦痛に耐え切れなくなってヒステリックに叫んでみた事もあった。どうして、どうしてそんな酷い事するの!けれど何を言ってもベインが返答を返す事も無かった。本当に、酷いなぁと思う…。ダウンを取られても吊る様子が無いので泣きそうになる。彼はどこまで、私をズタボロにしたら気が済むのか。ぐいと、いつもの様に強い力で髪を引かれそうになり、訪れるであろう痛みに備えて眉根を寄せながらギュッと目を瞑った、その時だった。

ひゅん、例えるならそんな音だった様に思う。まるで風を切る様な音。そして次には、ザックリと髪の切れる様な音。いや、様なじゃなくて実際に切れていたのかも。証拠に視界の端っこでハラハラと自身の髪が舞い上がるのを見た。


「走れ!」


凛と響いたナワーブくんの声にはっとさせられる。私の手を引きながら全速力で走るナワーブくん。空いてる方の手には彼のグルカナイフ…、走りながら、ヤケに自分の頭が軽い事に気が付いて半分無意識に手をやった。肩口で髪が跳ねる。また背後からチェーンフックが飛んで来る事を危惧して一瞬だけ後ろを振り向いた。けれどベインはフックを振り回す事すらしておらず、私の方へと手を伸ばしたまま止まっている。何だか良く分からないけど、ベインが放心している今がチャンスだ。再び私の手を引くナワーブくんへと視線を戻し走り続けた。解読に集中して。その合図と共にけたたましいサイレン音が響き渡り、そのままゲートまで一目散に走る。

ベインが瞬間移動を使う事も無く、私たちはあっさりと4逃げを果たし荘園へと戻る事が出来た。部屋の壁に寄りかかりながら、弾む息を整える様に呼吸を繰り返す。ナワーブくんは既に呼吸が整りつつあって、落ち着いた声色で「ごめんな」と謝った。一瞬何の事だか分からなくてキョトンとしてしまう。それ、と、彼が指差したのは私の髪で、その時漸く意味が分かってハッとした。


「折角キレイな髪だったのに、悪い」

「ううんっ!元々切ろうと思ってたし…それにナワーブくんが助けてくれたお陰で助かったんだもん!だからありがとう。ナワーブくんが来てくれて嬉しかった」


そうはにかんで見せると、ナワーブくんは苦々しく笑いながら私から視線を逸らした。髪を切った方が良いんじゃないかと。私を心配した仲間に何度かそう提案されても直ぐに頷けなかったのは、やっぱりこの髪に思い入れがあったからなんだと思う。ナワーブくんが好きだと、褒めてくれたから。どうしても名残惜しくて切る事が出来なかった。だからそんな思いを断ち切る様に、ナワーブくん自身の手によって髪が切られたのはある意味良かったのかもしれない。そうだよね…ナワーブくんからしたら私の髪が短ろうが長かろうが、どうでもいっか…。勝手に失恋気分に陥った今、今度は短くなった髪がやけに清々しくスッキリと感じられるので不思議だ。しゅんと俯いてしまった私を気にして言葉を掛けてくれるナワーブくんは本当に優しい。でも今はその優しさが余計にツキツキと私の心を突いた。


後日、エマにきちんとカットし整えて貰って本格的なショートヘアになった。肩口で揺れる髪の軽さにはまだ慣れていない。ふと、後ろから名前を呼ばれた気がして振り向くとナワーブくんが居て、ついきょどってしまう。


「髪整えて貰ったんだな」

「う、うん」


ナワーブくんがまた一歩近寄り、私の顔をまじまじと見つめるので心拍数が上がった気がした。そ、そんなに見られると緊張してしまうっ!一人でしっとり汗を滲ませる私を、ナワーブくんが柔らかい眼差しで見つめている。「長いのも綺麗だったけど、」そう言い掛けたナワーブくんの言葉に耳を傾けて、赤面。ナワーブくんは私の長い髪が好き、ずっとそう思い込んでいたけれど。


「短いのも可愛くて良いな」


私はもっと、自惚れてみても良いのかもしれないと。相変わらず私の好きな優しい表情を見せてくれるナワーブくんに、ついそんな事を思った。



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