第五人格

□雨と、傘と、貴方と私
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※転生現パロ



ざぁざぁと激しく音を立てて降る雨を、ただじいっと見つめていた。分厚いネズミ色の雲が空を覆い尽くしていて、まだ昼間だというのに辺りはボンヤリと薄暗い。止みそうにないなぁなんて独り言を漏らしながら、私は一度視線を足元へと落とした。こつこつ。不意に靴音が聞こえてくる。それが私の目の前で止まったので、不思議に思いながらそうっと顔を上げてみた。視点が高い。とても背の高いお兄さんが私の事を見下ろしていて、つい心臓がドキリと跳ねる。


「…」


お兄さんは、ただ黙って私の事を見つめていた。お兄さんの差している大きな黒い傘の影が、すっぽりと私の事を覆い隠していて。迫力が、凄い。なんなんだろう。凄く見てくる。若干ドギマギしながら、思い切って「あのぉ?」と私から声を掛けてみる。ざぁざぁと相変わらず凄い雨音の中で、お兄さんの低い声が私の鼓膜を静かに震わせた。

傘を忘れたのかと。お兄さんが無表情でそう私に訊ねる。顔の痣が凄い。ついじっと見過ぎてしまって、男のひとが居心地悪そうに顔を顰めたのではっとなった。あんまりジロジロ見るのは失礼だったなと反省しつつ、私は露骨に視線を逸らしながら「えぇ、まぁ、」と曖昧に頷いてみせる。お兄さんが呆れたようにため息を吐いた。


少しはその日の天気を気にしろ。きちんと空を見ないからそうなるんだ。なんて、どうして私は初対面の人にお説教されているのか。でも何だろうその言われよう。


「(前にも同じ事を誰かに言われたような…?)」


誰だろう。思い出せないや…。何だかモヤモヤとした思いを燻らせつつ、「失礼な、空は見てないけど天気予報はちゃんと観てます!」とつい頬を膨らませて反論すると、お兄さんは「説得力が無いな」と肩を揺らしながら笑った。あ、笑った…とか、その表情につい見惚れていたのに気が付き自分でもあれとなる。何で私今嬉しくなったの…。


「今日は朝から曇っていてどう見ても降り出しそうな天気だったろう。天気予報を観たのなら尚更。きちんと傘を持て」

「…なんですか、お兄さん傘の精霊か何かで?傘はわざと持ってこなかったんです」

「ほう、何故?」

「何故って…今日は雨宿りがしたい気分だったから…」


物心ついた時からそうだった。雨が降りそうな日は何故かウキウキとして、わざと傘を持たずに出掛けて雨宿りをする。周りにそれを話すと変だとか変わってるだとか言われてしまうんだけど。それでも私は、こうして一人雨を眺めながらボンヤリとしているのが好きだった。遠くの方から人影が近付いてくる度に、誰か私に傘を傾けてくれないかなだとか、そんな少女漫画みたいな展開を期待しては見事に打ち砕かれる。まぁ、そうだよね、なんて。私はいつだって雨で霞む視界の端っこで、来るはずの無い誰かを待っていた。

す、と、不意にお兄さんの大きな傘が私に掛かる。影が濃く落ちて、私の視界が余計に薄暗くなる。ポツポツと絶え間なく傘を叩く音が心地いい。そうだ、私は雨を見ながら雨宿りをするのも好きだったけど、こうして傘に当たって弾ける雨音を聞くのも好きだったっけ。そっと視線を上げると、相変わらずお兄さんが表情の読み取れない顔で私の事を見下ろしていた。


「雨宿りするにしても、もう少し場所を選べ。でないと風邪をひく」

「…大丈夫ですよ。私、身体は丈夫な方なんです」


無愛想だけど、実は凄く親切なお兄さんなのかな、と、お兄さんの切れ長な瞳を見据えながらそう思った。私を見守るような視線がとても優しげで胸が心地良く脈打つ。雨に少し濡れた私の事をお兄さんは心配してくれていたけれど。今日はもう帰れと、私に傘を握らせた彼の手も中々冷たくて。しかもそのまま踵を返して傘から出て行こうとするので慌てて引き留めた。


「ちょ、待ってください!そしたらお兄さんが濡れて風邪を引いちゃいます!」

「…問題ない。俺も身体が丈夫な方なんだ」


それは、私の真似だろうか。ふっと僅かに口元を綻ばせた表情に心臓がドキ、とする。あぁ、まただ。このお兄さんが笑ったのを見ると、何故だか嬉しくなるし胸がドキドキする。


「そういう訳には…!だってまだ凄い雨ですし!この傘だってどうお兄さんに返したらいいんですか」

「いい、この傘はお前にやる。次からは雨宿りなどせずにこの傘を持ち歩け」

「えええ、要りませんよ。お兄さんの傘大きいから重たくて」

「…ほう」

「それに、傘を持ち歩いてたら相合傘が出来なくなっちゃう。私ね、夢なんですよ。これ言うと大体バカにされるんですけど。見知らぬ人に傘貸して貰って相合傘するのが夢なんです」

「ふっ、何だそれは」


クツクツ。何がそんなにツボだったのか。お兄さんが喉の奥で笑ってひょいと私から傘を掻っ攫う。やたらと私に傘を持てと勧めるこのお兄さんはやっぱり傘の精霊なんじゃないかと、そんな事を考えていた反対側で一瞬過去の記憶がフラッシュバックした。「傘を持ち歩けとあれほど言ったろう」そう呆れた様子の彼に私はフニャリと間の抜けた顔で笑って。だって傘を持ち歩いてたら無常さんと相合傘出来ないじゃないですかとか、そんな事を言って余計に呆れられてしまって。でも彼は、いつもその大きな傘を私に差してくれていた。私が濡れない様に、自分の左肩を濡らしながら。そんな彼の優しさが大好きだった。


「なら駅まで送ってやる」


そう言葉を放ったお兄さんにハッとして我にかえる。そしてほんの一瞬だけ、キョトンとしてしまった。まさか本当に私と相合傘してくれるとは。なんて優しいお兄さんなんだ。「え、いいんですか?」と挙動不審に訊ねれば、お兄さんはあぁと頷いてからお前こそと訊き返してくる。


「俺なんかでいいのか。夢の相合い傘の相手が、俺で」

「勿論ですよ!」

「…それはそれで心配になるな。もっと危機感を持て、俺が危ない不審者だったらどうする」

「えええ」


確かに、お兄さんの言う事にも一理ある…。


「…でもお兄さんは、そんな人に見えないから」

「…」

「私、初めてです。もう長い事一人で雨宿りしてるけど、声を掛けてくれたのも、傘を貸そうとしてくれたのも。こんな風に心配して優しくしてくれたのは、お兄さんが初めて」


だから何だか嬉しくて。そうはにかんで見せる。けれどお兄さんは少しの間黙り込んでからそんな事は無いと否定するので首を傾げた。


「優しくなど無い。今日はたまたまだ」


なんて、お兄さんはそう謙遜するけれど。やっぱり優しい人だと思った。なるべく水溜りの無い道を選んで、傘を私に傾ける彼の左肩が濡れている。初めてのはずなのに、どうしてだか懐かしい感じがして泣きそうになった。ああ、私、今まで自分は雨宿りをするのが好きなんだなと思ってたけど。


「(…もしかしたら違うのかも)」


隣を歩く、ノッポなお兄さんの横顔を見ながらそう思う。その視線に気が付いたらしい。お兄さんも私の方を見やって目が合った。どうした。そう短く訊ねるお兄さんに、私は一拍おいて瞬きをする。


「…私、本当はずっと待っていたのかもしれません」


多分、貴方の事。足を止めるとお兄さんも止まってくれて、少し驚いた様な顔で私の事を見つめ返す。彼の名前は意外とすんなり口をついて出てきた。


「范無咎が傘を持って迎えに来てくれるの、ずっとずっと待ってた」


記憶の底で眠っていた物が、次から次へと湧き上がってくる様な感覚。まるで記憶の海に溺れそうになって、胸がキュッと締まって。范無咎が淡く微笑みながら、どこか嬉しそうに呟いた。


「俺も、俺もずっと、雨の中で佇むお前の事を探していた」



20200520

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