第五人格
□sweet cigarette
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大きく吸って、深目に吐く。プカプカと浮かんでは宙に溶けていく煙をボンヤリ見据えながらもう一口、煙草を口に含んだ所ですっと横から来た人物にソレを掠め取られてしまい目を丸めた。
「あっ!」
驚きながら直ぐにそちらへと顔を向ける。顰めっ面で立つノートンさんの手元で、煙草の煙がユラユラと揺れていた。
「ノートンさん、」
「意外だな。君も煙草とか吸うんだ」
「…えぇ、まぁ」
元々煙草は嫌いな筈だった。煙たいし、髪や服についた匂いは落ちないし。喫煙者が側にいるだけでイライラしてしまう位には煙草が嫌いだった。本当、他人の吐く煙草の煙ほど嫌で腹が立つ物は無いと思う。吸うならもっと遠くで吸ってくれ。周りの喫煙者のせいでわたしの健康に害が及ぶ。そうして頑なに煙草を拒絶し敬遠していたわたしを変えてしまったのは、勤め先の先輩だった。
付き合いで吸えた方がいいと言われて、露骨に嫌そうな顔をしてみたけどスルーされてしまったのは最早遠い記憶。上下関係には敵わず嫌々吸った1本目の煙草の味は、苦くて不味くて、相変わらずわたしに嫌な印象を植え付けていく。何故自分の肺を自らの手で汚さなければいけないのか、最初は不満に思いながらゴホゴホ咽せていたけど。気が付くとその不快感にも慣れてしまい今ではすっかりニコチン中毒。最悪だった。あんなに嫌いだった煙草の匂いも、今では落ち着くと思ってしまえる程しっかり喫煙者となってしまった自分が悲しい。
プカプカ、プカプカ。煙草の煙を他人に浴びせる罪悪感は人一倍強かったから、誰かの前で吸う様な事はしなかった。だからノートンさんもわたしが喫煙者だというのに驚いたらしい。「身体に良くないよ」などと言いつつ、そのまま私から掻っ攫った煙草を口に含み吸い始めたノートンさんにポカンとなった。わたしの煙草なのにとか、さり気なく間接ちゅうをされてしまったとか。少し悶々としながらもドキドキそわそわとしていると、ノートンさんがうわと顔を顰めた。
「何これ、あま…」
「バニラ味なので」
「ふぅん。他にもある?」
「他…えっと、チョコレートとマスカットなら」
男の人はやっぱりメンソール系の方が吸いやすいんだろうなぁと思いつつ、マスカットなら多少はマシなんじゃないかと思ってポケットから箱を取り出す。てっきり、ノートンさんもわたしを見て吸いたくなったのだろうと思い込んでいた。しかし彼はわたしの手からマスカット味のソレを受け取ると自身のポケットへと突っ込んだので目を瞠る。
「え、あの、ノートンさん?」
動揺するわたしに構わず、ノートンさんは吸いかけだった煙草をグシュグシュっと灰皿へと押し付けた。ああ!まだ吸えたのに!勿体ない…。ひっそりと悲しみ嘆くわたしに気付いているのかいないのか、ノートンさんが無遠慮にもわたしのポケットへと手を突っ込んで来たので、つい「うひゃあ!?」と変な声を上げてしまう。バニラ味とチョコレート味の煙草がそれぞれノートンさんの手により引き摺り出される。ノートンさんは箱を振って中の本数を確認すると、またもや自分のポケットへと収めてしまった…。わたしはもう、困惑が止まらない。えっ、えええ…
「あの、ノートンさん」
「なに」
「…返して下さい」
僅かに眉を寄せて不満げに、そう訴える。けれどノートンさんは飄々とした様子で顎に手を添えて何か考える素振りを見せた。
「いいの?君の健康を思っての行動だったんだけど」
余計なお世話だと言ってやりたい所だけど、実は最近吸うペースが上がってきたのも事実。ゲーム中でも普通に吸いたくなってボンヤリしまうし、身体は重く少し走っただけで息切れがしてしまうのに危機感は感じていた。体調が良くないんじゃないかと、仲間に心配を掛けているのも申し訳ない。そういう自覚があったから、わたしはノートンさんに強く言い返す事が出来なかった。
「ぅ、そりゃあ、流石に吸い過ぎかなって、自覚はありますけど…」
「じゃあいいじゃないか。これを機に禁煙でもしてみれば?」
それとも、そんなに口寂しいならキスしてあげようか、って、不敵に微笑んでみせたノートンさんにドキリとさせられる。
「なっ、なっ…!」
つい真っ赤になりながら慌ててしまうわたしを傍目に、ノートンさんがふふっと声に出して笑った。
「冗談だよ。意外とウブなんだね」
そう吐き捨てて行ってしまったノートンさんの背中を見つめたまま、わたしはフリーズして動けない。意外とウブなんだね…。脳内でリピート再生されるノートンさんの声を思い出しながら、わたしは羞恥心に溺れ悶えていた。か、からかわれたっ…!何あれ、何あれ!!ああもう最悪…。
でも確かに禁煙するいい機会かもしれないと割り切り、わたしはその日から煙草を我慢する事に決めた。ふとした瞬間にどうしようも無く吸いたくなってしまう時は、直様ノートンさんの顔とキスしてあげようか発言を思い出して切り抜けた。煙草の代わりに棒突きキャンディを口に突っ込んで何とか堪えていると、ハンターであるロビーくんが毎回近寄ってくるのが少し面白かった。キャンディを分けてあげると万歳をして喜んでくれるのがどうしようも無く可愛い。ロビーくんホイホイだ。そうして癒しとお菓子とノートンさんの顔を思い出す事で、何とか禁煙を進めていく内にわたしの身体にも変化が訪れ始めた。ご、ご飯が美味しい!思わずいつもより多めに食べてしまうのと、煙草の代わりにお菓子を摂取する様になったので少し太った…。あと身体が大分軽くなったというか、汗をかき易くなった気がする。今までゲーム中にバタバタ走り回るのは疲れるしドロドロの汗だくになるしで嫌だったけれど、最近はスポーツをした後の様な爽快さが身に纏うようになっていた。もしかすると、禁煙が上手く行っている証拠なのかもしれない。へへへ、この喜びをノートンさんに伝えるべきか否か。迷った末に止めた。わたしは未だに、あの人の意外とウブなんだね発言を根に持っている。
そうして順調に禁煙生活を行っていたある日の事。いつもの様に棒付きキャンディを口に含みながら休憩していると、少し遠くで煙草を吸うノートンさんの姿が見えて目を丸めた。えっ、嘘でしょ。ノートンさん、吸ってる。わたしには身体に悪いよ禁煙しときなって煙草の没収までしておきながら…ノートンさん、煙草吸ってる!その事実が衝撃的で、なんだか狡いとすら思えてしまって。わたしは勢いよく立ち上がると、棒付きキャンディを手にズカズカと彼の元まで歩み寄った。
「ノートンさん!」
そのまま勢いで詰め寄れば、流石に面食らった様な顔をする。「…なに?」どことなくドギマギとするノートンさんに何じゃないです!と言ってやった。煙草独特の匂いが鼻を掠める。何処か懐かしさを感じる香りだと思った。
「煙草!身体に悪いんじゃ無かったんですか!?」
「…たまになら良いかと思って」
「わたしは我慢してるのにズルい!触発されて吸いたくなるじゃないですか!」
「あぁ、そっちが本音ね」
そりゃあ、ノートンさんの身体も心配してない訳じゃないけど。そんな真ん前で吸われたら!吸いたくも、なります!うう、折角我慢してたのに禁断症状が。一本いる?と煙草を向けてくるノートンさんが憎い。わたしは、試されているのか…?
「い、いぃ、」
「…」
「いらない、です」
「おお、偉いじゃん」
「わたし煙草我慢するので、ノートンさんも我慢しましょ?」
「なるほど、そう来るか」
とか言って関心しておきながらも、ノートンさんが煙草を止める気配は無い。ムゥと頬を膨らませつつ、もう一度ノートンさん!と詰め寄った。
「身体に良くないです!それとも、口寂しいならキスでもして差し上げましょうか!?」
いつの日かノートンさんに言われた事をそっくりそのまま言い返してやると、ノートンさんはゆっくりと煙を吐き出しながらチラリ、とわたしを見やった。おおう、何だその威圧感。わたしと違って照れる素振りを一切見せないので、何だか滑った気分になる…。ぐしゃり。灰皿に煙草を押し付けたノートンさんの大きな手が、わたしの方へと真っ直ぐに伸びた。
「あの…、んっ!」
唇にやたらと柔らかい感触。後頭部に回ってきた手で押さえ込まれ、そのまま唇を割って入ってきた舌に大きく目を見開いた。
「んぅ、!ふ、ぁ…!」
逃げ惑うわたしの舌を追い掛けて、吸う。チュッチュと卑猥なリップ音が響いて顔が熱くなる。ゾクゾクと背中が震えて脚から力が抜けそうになるけれど、いつの間にか彼の手はわたしの腰を支えており壁へと押し付けられていた。
「ぷぁ、」
「…やっぱり甘い」
息絶え絶えなわたしの手元から棒付きキャンディを引ったくるなり、「じゃあこれは貰って行こうかな」とノートンさんはそれを舌先で舐めながらゆっくりと口に含んでいく。その動作があまりにも性的で艶っぽくて、ついぼうっと見惚れてしまった。…熱い。主に顔が。発火する。そんなわたしを見て至極楽しそうに目を細めるから悔しいのだ。
「また今度口が寂しくなった時は宜しくね」
カランコロン。キャンディを歯に当てながら、ノートンさんがヒラヒラと手を振って行ってしまう。
「……ああ、もう」
ペタンと地べたに座り込みながら、わたしは苦い様な甘い様な口内に思いを爆ぜて、手の甲をそっと唇に押し当てた。
20200116