*haikei

□祭りの華*innocent lovers*
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※SS『祭りの華』の後日談になります


epilogue.

 灼熱の空にじりじりと共鳴する、盛大な蝉時雨がその盛りを過ぎたと思うと、途端に昼間にも涼しい風が吹くようになった。汗を拭いながら、来る日も茹だるような店先に立ったのはまだ記憶に新しいが、今や視界に広がるのは、目にも鮮やかに色付いた銀杏(イチョウ)の並木道だ。すっかり秋の風景に変容している。
 今日も商店街は往来する人々で程良く活気づいている。その人混みの中、ふと見え隠れする茶色のお団子頭に、店のカウンターに立っていた女性は気付いて目を留めた。
 このところ姿を見せなかったが、きっと彼女も忙しくしているのだろう。いつもニコニコと人懐こい笑顔を振り撒く彼女は、見ているだけで気持ちが明るくなる。夫婦共にこれを好んでいた。その、いつも見るものとは幾分控え目な、はにかみ笑いと薄らと頬を染めている様相が少し不思議に思えた。少女が恥ずかしげに、上目遣いに見つめる先の人物。その隣に寄り添って、ゆったりと微笑んでいる名も知らぬ青年に、女性は見覚えがあった。あれは―――。あの祭りの夜に見た、物静かな佇まいを思い出していると、テンテンが、思案する女性に気付いて明るく声を掛けた。

「あ……! おばさん、こんにちは!」

 しおらしくしていたのも束の間、ぱあっと笑顔が華やいで、いつものテンテンが近くに寄ってくる。そこで、連れ立って目の前に来た二人が、互いの手を握り合っていることが分かって更に驚く。あらあら……と目を丸くして、内心愛らしい間柄に思い至ってしまうが、話題には出さずに、女性は思い付いたようにパチンと手を打った。

「あらテンテンちゃん、久しぶりねぇ。そうだ、コロッケ揚げたてだから、ほら、おやつに」

 言いながらてきぱきと、熱々のコロッケが紙に包まれてテンテンと側に控えるネジに差し出される。当然のように商品の見返りを求めてはいない姿勢に二人はそれぞれ対照的な反応だった。テンテンは円らな瞳を目一杯開いて、星が流れるみたいに輝きに満ちるが、彼には特に表面上の変化はなく、というか、無反応だ。固まっている。どうすれば良いのか惑っている様子だ。

「えっ……いいんですか?」
「可愛い常連さんだもの」
「わーい、ありがとうございまーす!」

 香ばしい揚げ物に飛び付いたテンテンは、この肉屋のお得意さんだ。素直な彼女の性格は日頃の行いも相俟って得をする。一方寡黙な彼の方は懐に手を入れて、どうやら律儀にも財布を探っている。高々コロッケ2つの代金は知れているが、あらいいのよ、と女性が勘付いて断っても、いえ、この前の焼きそばの代金もまだですからと、しれっと上乗せして支払おうとしてくる。この恐ろしく礼儀正しい俗客。はてさて有無を言わさぬ態度で紙幣数枚を差し出されて、突っ撥ねるのに難儀する。結局テンテンが見兼ねて、ネジ、もらいなよ、と加勢してくれて漸く生真面目な『ネジ』は財布を仕舞い込んだ。

「すみません」

 渋々引き下がったという様子だったが、一言詫びると、とても丁重な手付きでコロッケを受け取る。ネジと持ち物がお揃いになってテンテンは嬉しそうだ。繋いだ手だってお揃い。ここのコロッケおいしいんだよ―――そうか。そんな他愛ない会話をポツポツ交わす二人の姿は、目に入れるのが勿体ないほどに清らかで愛らしい。知らずと眦を和らげて、暫く降り注ぐ秋の陽射しに溶け込むようにしていた女性は、二人の空間を壊さぬよう、それとなく聞いてみた。

「テンテンちゃんの、お友達?」
「あっ……友達っていうか、えっと……」

 柔和な笑みを湛える女性が、ちらりとネジを気にして、テンテンの顔が見る見る赤く染まっていく。返答に困って俯いてしまう彼女はきっと、単純な問い掛けを真正直に受け止めてしまっている。少し前までは、友達だったのだけど……でも今は。中々口にはできない思案の先は、繋がれた手が既に証明している。誰が見ても、お似合いのカップルだろう。でもそんなことには気付かず、ネジから慌てて離れることもしない。却ってネジの手に縋るようにきゅっと掴まって、密かに助けを求められたネジは、一回り小さな掌をやわらかく握り返した。

「……テンテンが、いつもお世話になっています」
「や、やめてよぅ……お母さんじゃないんだから」

 とんだことを言い出すネジに益々テンテンの眉が下がる。話の中心に持ち上がって自己紹介でもしているつもりなのか。しかし恋人とも友達とも言わなかった。恥ずかしがるテンテンの為に曖昧にごまかしてくれる、ネジの心の優しさは直ぐには伝わらない。けれど一回り大きな掌は、黙ってテンテンの側にいてその不安を可愛い不満に変える。

「あらあ、ふふふ、とんでもないわよ。それより、お祭りの時は悪かったわねぇ。デートの時間を取り上げちゃったみたいで」
「デッデートだなんて……そんな」

 大人びたネジの台詞を、ふふっと笑って、何の気なしに放った女性の言葉がまたテンテンの顔面を燃え上がるように赤くさせた。面白がるつもりはないのだが、何を言っても可憐な反応を見せるテンテンと少しも動じないネジの対比が愉快で、ついつい笑みが零れてしまう。
 お祭りの時……というのは、まだ蝉の盛りの直中に催されたあの夏祭りのことだ。今となっては遠い日の出来事のようで、然れど振り返れば昨日のことのように浮かび上がる。あの夜祭りに出店した、肉屋の手伝いを引き受けていたテンテンは、その僅かな自由時間にネジと屋台を見て回った。しかしネジの方にも護衛任務という立派な大役があったから、何方にせよ会える時間は限られていた。それに、間違ってもデートなどとは……そんなつもり、なかった。あの時の二人は祭りを楽しむのに夢中で、端から見てどうだとか、考える暇もなかったのだ。

「あの……屋台のお手伝い、すごく楽しかったです。もしまたやる時は、声掛けてくださいね! かえって、邪魔しちゃうかもしれないですけど……えへ」

 一頻り照れて取り乱した後、急に真面目な顔付きになってテンテンは女性を見つめる。思い遣りに満ちた明るい茶色の瞳は、何か心を惹き付けて止まない。側にいる彼も、実のところそうなのかもしれない。
 邪魔だなんて……そんなことを思ったらばちが当たってしまう。テンテンの頑張りを、みんな知っているから。売り物の具材を丁寧に刻んでくれたことも、誰もが敬遠するような鉄板の前に立ち続けてくれたことも。しかし何だか感極まる歳になってしまったのか、戯けるテンテンに気の利いたことが少しも言えず、自分が情けなくなってしまう。ただ目尻に慈しみ深い皺を刻ませて、そんなことないわ、とだけ、女性の唇が微かに胸に浮かぶ想いをなぞった。

「……来年は、オレも手伝う」
「え……?」

 呟かれた尊い言葉の響きから間を配って、低く小さく零したネジに、テンテンがあどけない顔を上げる。ネジは目元を緩めて、少し低い位置にあるそれに、そっと近付いた。

「二人でなら……(はかど)るだろう。だから、大丈夫だ」

 降り注ぐ白い眼差しはただテンテンだけを見つめる。テンテンが独りで頑張った分を、今度は二人で半分ずつやろう。“来年は、オレも一緒だから”。そう伝えてくる頼もしい掌の感触に、テンテンは弾む心を抑え切れない。それは来たる翌年の祭りの約束。ネジがいれば、もう特段に心強い。

「……う……うん……」

 細い首をコクリと動かして、控え目にネジを見上げるテンテンは、それでも紅く熟れた顔が蕩けて幸せそうだ。
 次の年のことなど考えていなかったから、これは大変だ。今年の反省も踏まえて、手伝い要員を倍募集しなければ。ああそれよりも、少々昔気質(かたぎ)な店主に来年も参加せざるを得なくなった旨を伝えなければ。
 一人意気込む女性の傍ら、いつの間にかテンテンがコロッケを持った手を振って、女性に別れを告げている。軽く頭を下げ終えたネジを連れて、ほくほくのコロッケにカプリと齧り付くと、膨らんだ頬が横を向きネジににっこりと笑い掛ける。これから楽しいデートに行くのだろう。今更気を回すのは無用だ。


 来年も、やるしかないな。
 初々しい二人の後ろ姿を、穏やかな心持ちで眺めていると、奥にある調理場の方から、微かな店主の呟きが聞こえた。





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