*haikei

□吹雪
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 果てしなく続く雪原に、ネジの眼が眇められた。行けども行けども広がるのは白い景色で、おまけに悪天候で視界も悪い。途中から吹雪いたのは、予想外だった。如何に遠景を見通す血継限界の持ち主でも、山の気象までは容易に読むことは叶わない。専門家でも難儀すると聞く。それでも何とか白眼を使って道なのか分からない雪道を進んで来た。もう一時は歩き通しだ。そして、ネジが気を揉んでいるのは天候だけではなかった。吹き付ける雪を防ぐように、己の外套で包み込んで脇に抱えている塊を、ネジは見る。
 ネジに肩を抱えられながら、半ば引き摺られるようにしてテンテンは足を動かしていた。ネジと共にこの日の任務に当たった、チームメイトのくノ一だ。この悪天候に体力を奪われて、任務上がりの疲労も引き摺りながら、気力と体力の限界を超えて彼女は歩いていた。糸のように細い意識はいつ途切れても可笑しくない。ただ、この雪山の真ん中で切らすのはあまりに良くないから、ネジは何度も呼び掛けて懸命にそれを繋いでいた。気丈で普段から体を鍛えているテンテンは、大丈夫よと最初の内は笑っていたが、反応も段々と弱くなって、今はもう頷くことも儘ならない程になった。
 抱えた体が恐ろしい程に冷えている。青白い顔でハアハアと息を乱す様にもう本当に倒れる一歩手前だと感じる。ネジは顔を上げると、雪にやられないよう目を細めて、遠くに霞む影のような物体を肉眼で確認した。先程見渡した時に、山小屋のような体裁の家屋を、白い眼が捉えていた。取り敢えず、あそこに行けば、この猛吹雪を凌げる。一刻も早く、テンテンを休ませなければ。今までの道中を考えれば、目と鼻の先程の大したことない距離なのだろうが、もう、テンテンの足元は縺れて、ふらふらだった。

「テンテン、堪えてくれ」

 もう返事も出来なくなった白い顔を覗き込んで、短く告げると、ネジは細い体をしっかりと抱き寄せた。







 やっとのことで山小屋まで辿り着くと、雪が吹き付けて凍てついたドアにネジは目を遣る。鍵はどうやら掛かってはいなかったが、不用意に荒らされぬ為にか、ドアの取っ手には太い鎖がぐるぐると幾重にも巻かれていた。
 テンテンを抱えながら、冷えて固まったそれを片手で手早く外すと、ギシ……と軋む音を立てて、積もった雪を力任せに動かしながら重々しいドアを開ける。肩でドアを支えて、テンテンを先に中へ押し入れると、同時に力尽きた彼女の膝が崩れ落ちた。硬い床に倒れ込むところを咄嗟にネジが受け止める。……良く、頑張った。未だ標高がある地点で、酸素が足りないこともあるのかテンテンは肩で息をしている。苦しそうな身体を、ネジは無理には動かさず、床にそのまま凭れさせると、一先ず部屋の中を暖めようと室内を進む。
 思った通り、対遭難者に向けて設えられた山小屋には、火を起こす薪と、毛布、それと食糧庫には数日分の非常食が備蓄してあった。ネジは薪を抱えてくると、側にあったマッチで()べる。
 薄暗い室内がじわりと橙色に染まる。ゆらりと姿を現す火が、それを見つめる白眼に色を添えた。つい数時間前までは、燦々と降り注ぐ陽光が頭上にあったというのに、可笑しな話だが、もう何年も見ていないような、温暖な木ノ葉を想起させる懐かしさがあった。薪を投げ入れて、火加減を暫く調整した後、ネジは背後を振り返った。まるで、自分以外に誰もいないかのように、静かだった。


「テンテン……?」

 入り口近くに寝かせておいたテンテンが、どこかぐったりとしている。直ぐに側に膝を付いて体を起こすと、全身が細かく震えていた。呼び掛けても、返事がない。
 急いで体を抱え上げて、火の側に連れて行く。橙に照らされる顔は、驚くほど青白く、触れた頬が氷のように冷たい。赤と白の忍服は、ネジの外套を被せてはいたが雪が浸透して、水分を含んでずっしりと重たくなっていた。これでは、体が冷える一方だ。
 迷っているような、時間はなく、ネジはテンテンの服の留め具を外した。胸元を広げて、後ろから袖を引っ張って腕を抜くと、下着だけになった身体にテンテンは嫌がった。

「あっ……やぁ」
「すまん。恨まないでくれ……」

 細やかにネジへと抵抗を見せる腕を掴むと、湿った下着も体温を下げる為取り外す。露わになった胸元を目に入れないように、ネジは自分の胸を肌蹴てテンテンの頭を其処に引き寄せる。ネジの装束も同様に雪で湿っており、上を脱いで素肌同士を合わせた。逞しい胸元に体が密着して、テンテンが震えながらか細い声を上げる。

「や、やだぁ……」
「テンテン、誓って、何もしないから……暫くこうしていてくれ」

 今後一切、このようなことはないし、凍えるような目にも遭わせないからと、固く彼女に誓って、ネジは離れていこうとする体を抱き寄せた。再びしっかりと自分と触れ合わせると、それきり抵抗はなくなった。元より体力の限界だったテンテンは、もう逆らうことも儘ならないようで、ぐったりとネジに体を預けた。恐らく彼女は低体温症に陥っている。急激な温度変化は生命の危険と直結するので、こうして体温でじわじわと温めるのが丁度良いのだろうと思う。……テンテンの同意がないことが、唯一の気掛かりだが。緊急事態だ、致し方ない。後で責められることも承知の上と、ネジはテンテンと自分の体を毛布で包み込み、冷気を遮断した。


 パチパチと火が燃え続ける。次第に最初に燃べた薪が燃え尽きて、火の勢いが落ちてきたが、テンテンの側を離れず、ネジはその体を抱き締めていた。両腕の中でしっかりと支える身体の震えが、徐々に収まってきた。最初は躊躇っていたテンテンも、ネジの温もりを求めてか今は大人しく胸に凭れ掛かっている。裸の体温は直に相手へと熱を伝えて、互いにとって具合が良い。触れ合った肌がしっとりと馴染んでいた。
 身体の中心が温まってきたところで、徐々に末端へとネジはそれを移すことにする。毛布の下で、ネジは未だ冷えたままのテンテンの手を掴んで、自分の脇腹に触れさせる。そこもまた、温かく心地良いことが分かったのか、頼りなくもテンテンの掌に、きゅ、と力が入る。微睡んでいるテンテンの顔を、そっと確認すると、頬には薄らと赤味が戻っている。眠りに向かうような、穏やかな息遣いに、随分とほっとした。ここまで来れば、命の危険は、もうないようだ。
 テンテンを極力動かさないようにして、ネジは片手を後ろに遣る。荷物の中から、手探りで水筒を掴むと、引き寄せて片手で蓋を開ける。殆ど口を付けていなかった為、中身は十分にあった。遭難中、飲み水が確保できず、氷を探して喉を潤していたという話も聞くから、幸いなことだった。

「テンテン、水を飲めるか?」

 半分眠りに落ちているような安らかな顔に聞くが、テンテンの反応はない。
 忍なので、双方、数日くらい食事を摂らなくても平気な身体だが、水分は、どうにも摂取せざるを得ない。人間が生きていく上で最低限の、必要不可欠な要素だ。これが体内からなくなれば死ぬ。だったら、疲労を蓄えた体にどうしても飲ませておきたい。

「ほら……喉、乾いているだろう?」

 血色の良くなった頬に手を掛けて、上を向かせる。口元に水筒を当てて、ネジが中身を傾けると、呑み込まれない水が口の端からだらだらと流れてしまう。口元を拭いて、テンテン、と呼び掛けるが、テンテンは睫毛を下ろしたまま、隙間の出来た体が寒いとばかりに、ネジの胸に擦り寄ってくる。


 離れた体をぴたりと密着させると、ネジの体温が伝わって温かい。このまま、眠らせて欲しい。もう、くたくたに疲れてしまった。
 再び心地良い腕の中で微睡み始めたテンテンは、またも温もりから引き剥がされた。ひやりと感じる胸元が嫌で、ネジを側に引き寄せようと手を伸ばすと、唇に、何か柔らかな感触が触れた。そこから、不意に口の中に流し込まれたものを、テンテンはびっくりして飲み込む。こくりと、喉が音をさせると、様子を見計らってまた流し込まれる。潤いが与えられて、自分の体が酷く渇いていたことを知る。柔らかな感触の、与えるがままに、テンテンは口の中に入ったものを一生懸命に飲み込んだ。
 やがて離れていく気配に、目を開けた。目の前にあるネジの端整な顔立ちを、焦がれるように見つめて、もっと、とぽつり、譫言のように濡れた唇が呟く。

「……もっと……のみたい」

 掠れた小さな声に、耳聡くネジは気付いて、口に水を含んで、またテンテンの唇を塞ぐ。
 与えられる側から、体に浸透していき渇いていく喉に、幾ら飲んでも足りなかった。ネジの口内の水がなくなると、テンテンは強請るように唇に吸い付いて、滴る余りを啜る。

「もっと?」

 吸い付いた唇が動いて、テンテンに囁くので、コクリと頷いた。
 何度もネジは唇を合わせて、水を飲ませてくれた。ネジの口内で適度に温くなったそれが丁度良い。気が急いて上手く飲み込めないテンテンを、急かすことなくネジは待っていて、完全に飲み込むのを見計らって、少しずつ水を流し込む。やがて渇きが癒えて、水を欲しがることがなくなると、頭をネジの胸に引き寄せられた。

「……ネジ、は?」
「オレの心配は、しなくて良い」

 微かな問い掛けを簡単にかわして、ネジは乱れた毛布を掛け直す。肩の出ていたテンテンをそっと包んで、元通りに抱き締める格好になる。
 ネジの胸に頬を寄せて、それからテンテンは黙った。またうつらうつらとしているようで、そのまま背中を撫でて寝かせようとした。しかし眠りに就く前に、唇がちいさく言葉を零して、ネジの心を締め付けた。

「……ジ…………ごめんね」

 眠たげな声が、ネジの手を一瞬強張らせた。思わず止めてしまった掌を、ネジは何でもないようにまた動かして背中を摩る。普通に受け取れば、今の行為に対しての謝罪のようだが―――。ネジには一つ、心当たりがあった。

 まだ晴れた雪山を二人で下っている時、テンテンが怪我をした野鳥を見付けて手当てをした。群れと逸れてしまって、心配だからと、水辺を歩く姿を見守って、暫く戯れていた。
 あそこで優に一刻は足止めを受けていた。多分、そのまま通り過ぎていれば、今頃は下山出来ていた。……きっと、そのことだろう。ネジに、迷惑を掛けたと、テンテンは。


「……少し眠ろう……疲れただろう?」

 毛布の中から手を出して、焦げ茶色の髪をくしゃりと撫でた。雪に濡れた髪は、今は乾いてさらりと指の間を通り抜ける。気を逸らすつもりで掛けた言葉だったが、今度はテンテンはそこを気にして、心配そうな顔を上げた。声に、疲れが出てしまったかもしれない。

「……でも、ネジは……」
「……オレも眠るから。大丈夫だ」

 こういう時のネジの言う事は、信憑性に乏しい。何か察しているのか、じっと見つめてくる茶色の瞳に、不安を解くようにネジはゆっくりと微笑い掛ける。
 テンテンはそれ以上追究しなかった。うん、と小さく頷いて、ネジに身を寄せる。後ろめたい気持ちを胸に潜めて、ぎこちなく抱き付いてくる。だからネジはそれよりも強い力でテンテンを引き寄せる。吹雪の中を彷徨ったことがテンテンの所為だとは全く思わない。
 こんなにも誰かを思い遣ることの出来るテンテンを、責められる筈がなかった。
 甲斐甲斐しく包帯を取り出す、心優しい彼女に向かって、傷付いた鳥を、見捨てろなどと、どうして言えるだろうか。

 轟轟と唸り吹き付ける雪風に、抱き寄せたテンテンの肩が僅かに震えた。ネジ達を長く苛んだその勢いは、全く衰えず、より強くなっている。ミシミシと容赦なく、頑丈な作りの山小屋が揺れて、ともすれば山全体が揺らされているようにも思えてくる。しかし何も恐くない。大丈夫、オレがついている――。
 轟音に慄きながら必死にしがみ付いてくるテンテンに、頭まで毛布を被せて、ネジは片時も離れず彼女を抱き締めた。
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