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□祭りの華
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 とっぷりと暮れた空を撫でるように吹く温い夜風は、蒸し暑いながらも一時の涼をくれる。夏の夜は、縁側に座って火照った身体をゆったりと冷ますのも良いし、手持ち花火などあればより一層風流な過ごし方ができる。
 割と華やかな、皆とわいわい燥ぐ今宵の夏祭りのような雰囲気をテンテンは好むが、そんな、静かな夜も良いと思う。そんな夜も……良い。
 風鈴の涼やかな音色に耳を傾けて、団扇で緩く顔を煽ぎ夏の星座を見上げる……これこそ風流なり。


「テンテンちゃん、ちょっとこっちでキャベツ切ってくれる?」
「終わったらこっちにも来て!」
「は、は〜〜い!」


 張り上げた声に、束の間の夢想からテンテンは呼び戻されて、耳には祭りの喧騒が再び訪れる。
 商店街に佇む、顔馴染みの肉屋が、ひょんなことから祭りで屋台を出すことになった。食事付きの手伝い要員を募集するという楽しげな張り紙に惹かれて、それなら自分が喜んでと安易に名乗りを上げたテンテンだったが、安請け合いだった。普段の商店街とは勝手が違って、屋台に不慣れな人員ではてんてこ舞いだ。然れど気さくな夫婦の手掛ける昔ながらの肉焼きそばは、妙に客の食いつきが良くて、作れど作れど飛ぶように売れていく。その為、最初は祭りの見物客の呼び込みを任せられていたテンテンも、こうして調理場の補助に駆り出された。
 着込んだ浴衣の上から肉屋のエプロンを掛けて、襷掛けで二の腕まで捲り上げるなんて誰が想像しただろう。聞いていた話と違う気がするが、微量ながら賃金も発生している為文句も何も言わずに包丁でざっくりとキャベツを切っていく。浴衣では動き難いし何より暑かった。ジュウジュウと香ばしく焼き上がった豚バラ肉が、鉄板の上で中太麺や濃厚ソースと共に縺れ絡み合う様相は、もう当分見なくてもいい。もう肉はいい。蒸した熱気に喘ぐ今は団扇片手に冷えたラムネでもぐいっと傾けたい。これこそ夏の風物詩。

「うう……暑い……忙しいよ……こんなの聞いてない……」
「テンテンちゃ〜ん」
「は、はぁ〜〜い! 分かってま〜す」

 朦朧としながらこっそりとぼやくと催促する声が聞こえて、テンテンも半分自棄になって声を張る。手早く残りのキャベツを切り終えると燃え滾るような鉄板の側に行く。汗だくになりながら必死に麺を掻き混ぜる店主の横で、でき上がった焼きそばを流れ作業でパックに詰めていく。店主に余裕がない為接客も積極的にテンテンが行う。できたての物から客に手渡して、見返りの分の支払いを貰う。おつりの扱いにも慣れてきた。きりの良い数字の為難しい計算はしなくて良い。然れど金銭のことだから慎重に、と意識して。何か不手際があれば客が不快な思いをするし、テンテンを信頼して任せてくれている店にも迷惑が掛かる。

「テンテンか?」

 客足が落ち着く頃、微かな声がテンテンを呼んだ。最後の客に焼きそばのパックを手渡していたテンテンは、祭りの喧騒の中に佇む人物に目を向ける。
 暗がりの中、屋台の灯りに照らされて、無表情な顔が少しだけ呆けたように弛んでいる。警戒心の抜け落ちた、平時の彼にはない様だ。

「ネジ……? あ、あれ? 今日って、任務じゃ」

 疑問形の呼び掛けに疑問で返して、テンテンの方こそぱちくりと目を瞬かす。というのも、お祭りの日に一緒に屋台の手伝いでもしないかと、実はネジに声を掛けていたのだが、当日は任務が入っていると断られていたのだ。だから、どうして此処にいるのだろう……と純粋に至る思考は、茶色の眼をネジに固定させる。不思議そうな顔のテンテンにじいっと見つめられて、何か訳を語るのかと思われたネジは、暫しぼんやりとしている。いつもより低い位置でふわりと纏めたお団子と、エプロンの下から覗き見える紺色の浴衣を、時間を忘れたようにゆっくりと白い眼差しが辿っていく。ネジ……? と再び問い掛ければ、ネジの視線が上がって此方に意識が返ってきた。

「ああ、この通り」

 護衛中だ、とその先は些か声を落として、テンテンにだけ聞こえるように告げられる。この祭りの騒ぎでは、他の誰かに聞かれることもないように思えたが、小さな声はその意図通りにテンテンだけが拾った。此方に見入って、気抜けしていたのは時の間のことで、ネジは直ぐ様任務の緊迫感を持って側にいる人物を配慮している。
 成程……と、ネジが隣で護る洒落た衣を纏った男を見て、テンテンは状況を理解した。一瞬、手伝いが嫌で上手く巻かれたのかと勘繰ってしまったが、失礼なことだった。此処に訪れたのはネジが先に告げた通り、れっきとした『仕事』であった。抑も、テンテンの誘いが嫌なら嫌だと、ネジならはっきり堂々と断るだろう。
 火ノ国でとある呉服屋を営む主人が、忍の里に観光に来ており、その付き人をネジは任せられていた。よりによって、祭りの日ぴったりに被った依頼だが、ネジは事も無げに澄まして、与えられた任務を全うしようとしている。賑やかな催しには端から参加する気はなかったらしい。下忍の頃はよくリーと一緒に三人で出店を回ったりもしたが、今となってはそういう風に集まる機会もめっきりと減った。

「『焼きそば』とな……蕎麦を焼いたのか。しかもつゆに浸ってもない……味はあるのか?」
「城下では、あまり見掛けませんが……このように、麺にソースを絡めているので……つゆがなくても、大丈夫です」
「ソース……んん……良い匂いだ」

 品の良い口髭を動かして、鼻腔に入る何とも言えない香ばしさに依頼主の男は唸る。見慣れぬ食べ物に最初疑いを持ったようだが、ネジの説明を聞いて好奇心が宿ったらしい。そのまま店の前に陣取って、鉄板の上でジュウジュウと音を立てて掻き混ぜられる様を興味深そうに見つめている。

「美味そうだな。テンテンも作ったのか?」
「え、私……? んー、まあ、ちょっとだけね!」

 依頼人に付き合って鉄板を眺めていたネジは、長くなりそうだと判断したのかちらりと視線を上げてテンテンに窺った。いつもは真面目くさって無駄話のしないネジに話を振られて、驚く半面嬉しくも感じる。祭りの夜は特別なのだろうか。
 調子に乗って答えてみたが、テンテンの切ったキャベツは未だボウルの中にある。店主の妻が、後ろで小さく微笑ったような気がしたが、気にしないでおく。
 それよりも。ネジを見ている内にテンテンは急に思い付いた。

「ね、ねえネジ。この後、もし時間あったら……」

 勢いのままに話し出すと、柔和な笑みを仕舞ってネジはきょとんとしている。折角会えたのにこのまま別れるのも惜しい。少しくらい時間が取れたりしないだろうか。
 一緒に、お祭り見て回らない?―――心に浮かんだ、純粋な願いは、結局言葉には出せなかった。
 依頼人が焼きそばを買い求めて、それ以上ネジが此処に留まる理由が、今はなかった。

「悪いな、テンテン……じゃあ」
「あ……うん、頑張ってね」
 
 祭り見物にご満悦な様子の依頼人が、未知なる蕎麦を手に入れてほくほくと次の屋台へ興味を移す。仕方なく話の腰を折って、ネジもその後を追っていく。
 遊びに来ていた訳ではなかった。ネジは大事な任務の最中なのだから。これ以上邪魔をしてしまってはいけない。
 お祭りはまた、来年もあるから。そうテンテンは明るく考えてすっぱりと諦めた。

 何か此方を気にしながら歩みを止め掛けるネジを、手を振って送り出すと、やがて白い装束は人混みの中へと消えていった。
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