*book

□玉子焼き
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*可愛い妹分


 正午。漸く迎えた、彼女の大好きな大好きなお昼。この為に辛く苦しい修行にも耐え抜いた。鼻先に近付けた惣菜の良い匂いに、へにゃりと顔が緩んで、ほっぺたが既に零れ落ちるようだ。
 しょっぱいおかずでご飯をモリモリ食べると、彼女の目が弁当箱の端に移る。修行の日は少しだけ早起きをして、テンテンは自分でおかずを詰めてくる。中でも気に入っているのが、砂糖をたっぷりと使った甘い玉子焼き。これを食べれば熱血修行の疲れだって吹っ飛ぶ。これが陽気な班のムードメーカー・テンテンの元気の源なのだ。……それなのに。
 箸でそっと掴んだ黄金色の輝きは、テンテンが口に含む前に、無慈悲にもポロン…と草の上に落ちて転がった。運命とは残酷なものである。

「あぁー! 私の玉子焼き……」
 
 今正に口の中に入れるつもりだった、箸から落ちたものをテンテンは信じられない気持ちで見つめる。折角上手く巻けたのに。早起きだってしたのに。あぁぁ……と悲しく声を漏らす様は決して彼女にとっては大袈裟なんかではない。これは悲惨な事故だ。食べられなかったふわふわの甘さを惜しんで、いつまでも茶色い瞳がじいっと地面を見つめる。

「オレのをやる」
 
 消沈するテンテンの前に、落としたものと同じくらいに綺麗に巻かれた玉子が現れる。弁当箱の端にそっと仲間入りしたそれに、テンテンは目を瞬く。

「えー……ネジのって甘くないんだもん」
「文句言うな」

 ネジの言うことは尤も。折角の優しさに、しかしテンテンの憂い顔が晴れることはない。というのも、彼のは玉子焼きではなくだし巻き卵なのだ。それは甘くない。

「じゃあ、ボクのをあげますよ、テンテン」

 拗ねたままのお団子頭に見兼ねて、今度はリーが正真正銘黄色い輝きを纏った卵焼きを差し入れる。テンテンは余計に困ったように眉を八の字にした。

「リーのはカレー味なんだもん……」
「流石に玉子焼きにカレーは入れませんよ……」

 微笑みを引き攣らせてしまうリーにも構うことなく、テンテンは浮かない顔で二つの玉子焼きの入った弁当箱を見下ろす。そのまま不貞腐れて手を付けないのかと思っていると、やがて止まっていた真っ赤な箸が、貰った玉子焼きを小さく切り分けて口に運ぶ。ちまちまと味わっている様子を、ネジとリーが眺める。



「んー……なんか惜しいのよね。空気感が足りないっていうか。こう、もっとふわっとね、掻き混ぜる時に空気を入れながら作らないと」
「黙って食べられないのか」
「ふふ……テンテンは照れているだけですよ」

 二つの玉子焼きを味比べして、こと玉子焼き作りに関しては先輩風を吹かせる。折角恵んで貰ったにも拘わらず文句を垂れる可愛げのなさ。ネジの言う事は尤もだし、リーはそんな彼女のことを分かっている。その言葉に聞こえない振りをして、テンテンが二人の顔を見ずに言う。

「じゃー、アンタ達にはこれね」

 真っ赤な弁当箱の中から、一つ二つと箸で掴まれて、ネジとリーの弁当箱にそれぞれ丸い塊が入れられる。思わず二人共目を疑った。

「……テンテン」
「良いんですか? 君の大好物なんじゃ……」

 配られた物が信じられなくて、リーの真ん丸眼も、ネジさえもそれに近しい形になって、テンテンを見つめる。二人にあげてしまったら、テンテンの分はない。食後に大事にとっておいた、彼女のデザート。

「たまには甘いもの摂ったほうがいいわよ」

 それだけ言うと何故かくるりと向きを変えて、テンテンは二人に背を向けて弁当を食べ始めた。膨らんだ頬が動いている。少しずつ、大事に大事に貰った玉子焼きを齧っている。二人からの気遣いを胸の中に閉じ込めるように。いつまでもいつまでも忘れないように。決して甘くはない玉子焼きを惜しみながら食べている。
 ネジとリーは静かに顔を見合わせる。リーの言っていたことがネジにも分かった。テンテンは照れている。『ありがとう』とは意地でも言わないつもりだろうがその欠片がここにある。その証拠を―――からりと揚がった香ばしいゴマ団子を、二人で揃って齧る。

「美味いな」
「はい」

 一瞬ピクリとテンテンが反応して箸を止めた。居心地が悪そうに小さく首を竦める。そして何も聞こえない振りをして、切り分けた玉子焼きを箸で挟み、落とさないようにそっと口に運んでいく。動く口元が、二人に気付かれないくらいに小さく綻んだ。





●拍手御礼SS『玉子焼き』●

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