*book

□ベストパートナー
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「見て、あれって日向ネジさんじゃない?素敵ぃ〜」
「任務帰りかしら……? 汚れた装束姿も粋でカッコイイわぁ」
「きゃああっ! こっち見た!」
「……」

入り口の暖簾を潜った途端、熱烈な歓迎を受けた、その“日向ネジ”は、隣から注がれる、あからさまに面白がる視線に耐えていた。

「ププ……モテる男はつらいわねぇ」
「……」

今まで怒っていたと思われたテンテンは、いつの間にやら機嫌を直し、にやけた口元を手で押さえながら、困惑しているネジを肘で小突く。
このように色男と囁かれることは、今に始まったことではない、しかしあからさまに、見知らぬくノ一達にじろじろと視線を送られて、ネジにとってはあまり良い気分のするものではなかった。
けれどもやはり、端から見れば、ネジは気持ちが良いくらいの美形で、頭も切れて、忍としての才も同世代のそれから抜きん出ているのだ。
若干、不機嫌がちらついたその憂え顔にさえ、哀愁を帯びた二枚目の、溜め息が漏れるくらいの魅力を感じ、浴衣姿の少女達はきゃっきゃとそれぞれ頬を染めて流し目を送る。
ほら、手振ってあげたら?、と満面の笑みで耳打ちしてくるテンテンに、面白がるなと一言返し、ネジは何食わぬ顔で番台に向かう。
それに肩を竦め、やれやれとテンテンがついて行く頃、ネジを見つめる少女達の後ろから、不快に舌打ちをする者が、いた。

「気を付けろよ、白眼で覗かれるぞ」

誰に言ったとも知れないその無遠慮な声は、然程広くないこの風呂屋では、目立ち過ぎた。
途端に、ロビーで他愛なく交わされていた談笑が、ぴたりと止み、人々の視線が、声の主の男と、それが鋭く見据えるネジへと注ぐ。
木ノ葉隠れの里は、忍と混じって、忍術を使わない一般の人も、居住スペースが区切られているとはいえ、同じ空間で生活を共にしている。
当然、里に点在する商店や各種それが運営する施設は、どちらにも利用の制限はなく、自由に出入りして交流も出来る。
だからこそ白眼という、あまりにも戦闘と無関係な、この場で聞くには異質な言葉に、ネジは周囲にいる一般人を刺激しないよう、努めて自然に男を振り返る。

「大体、銭湯に来る必要ねえよなあ。日向さんって立派なお屋敷があるんだからさあ。アレだろ、息抜きだろ?天才って、色々溜まってそうだもんなあ〜」
「ちょ、ちょっと、やめなさいよ、アンタ……」

後ろに立つ男を、少女達の内の一人が宥める様を見れば、彼らは知り合い同士のようだった。
ネジに強烈な敵意を向けてくる男が、恐らくネジにお熱な少女達を、つまらなく思っているのは、直ぐに分かった。
だからと言って、此方が引く道理はない、此処は里の者全てが、分け隔てなく出入り出来る、娯楽施設。
仮令ネジが特殊な目を持っていようとも、火の国で定められた典範により、何人も正当な理由なく、それを拒むことは出来ない。
だが、懐から小銭を取り出そうとして動きを止めているネジは、中々、自らの意志を貫けないでいた。
如何に白眼を持つ、日向の天才と謳われるネジでも、“この場所”では、あまりに分が悪かった。

近くにいた一般人と思しき女が、恐々とネジから後退った。
周囲を見渡すと、誰もが息を呑み、男の戯言を真に受けて、疑念と、困惑の籠もった眼をネジに注いでいた。
誇り高き一族の眼を、くだらぬ男の悋気に汚されて、怒っていない訳ではなかった。
しかし、それをこの場でぶつけるほど、男の仕掛けた喧嘩に付き合ってやるほど、自分を見失ってもいなかった。
テンテン、と側に立ち尽くしている彼女を、冷静に呼ぶネジは、至極妥当な判断をしただろう。

「……悪いが……今日のところは帰る」

力なく言うネジの声は、そのまま彼の心情を表していた。
――もう、疲れた。
これ以上勘弁してくれ。

またな、と声を掛け、黙り込んでいる彼女の肩にぽんと触れるネジは、暫く後になり、テンテンを連れて行かなかったことを、後悔した。
人々に背を向け、出入り口の暖簾を潜ろうとした時、後ろから、割れんばかりの怒号と、何かが拳に貫かれる鈍い音が、した。


「ネジに……っ、ネジに謝れえぇ―――ッ!!」

普段忍具に頼ってばかりの彼女は、思いの外、拳固めも強靭だったようだ。
普段、忍具を手放すことなんてないから、ネジでも、分からなかった。
ロビーの真ん中にいた男が、壁際まで飛ばされ、鼻から鮮血を垂らして呻いている様に、驚きのあまり言葉が継げない。
ネジが見ない内に、恐らく拳を発揮した彼女は、低い体勢でいた体をゆらりと起こし、突き出していた腕を引く。
そして、胸の前に固めたままの拳を持っていくと、もう片方の手でそれを覆って、まだ足らんと言わんばかりに、ぼきぼきと指の関節を鳴らす。

「……悪いけどねえ、ウチの班には、女子の風呂覗くような不届き者は、一人もいないわ!」

後ろに立つネジからは窺えないが、多分、いつになく、目が座っている。
それは彼女を驚愕の眼差しで見遣る、風呂屋の客達を見ていれば、容易に分かった。
ぼきり、ぼきりと、細腕が鳴らす骨の音が、不気味に響く。

「アンタみたいなサイテー野郎と違って、ネジはモテモテなんだから! 覗きするほど女に困ってなんかないのよ! ばかね!」
「おい、やめてくれ……」

骨を鳴らすのを止め、半分失神し掛けている男を勇敢に指差すテンテンを、やっとネジが止めに入る。
また何か誤解を招くような言い方に、彼女の腕を掴んで下ろさせるが、テンテンは止まらなかった。

「大体天才の何たるかを、アンタ分かって言ってるわけ? とんでもない重圧背負って、必死に頑張ってるの、アンタに分かってるわけ? 何も知らないくせに、適当なこと言ってんじゃないわよ!」
「……テンテン」

ネジに掴まれた腕を振り解こうと、肩を荒々しく上下させながら、壁に凭れて白目を剥いている男へとテンテンは捲し立てる。
ネジよりも小柄な体で、男相手に勇猛果敢に立ち向かうテンテンは、守るようにして背後に庇っている、ネジの唇を、僅かに震わせた。
仮令、この世の誰からも、蔑まれても良い。
ネジにとっては、そう思えるくらいに。
それほどに、十分だった。

「分かったから……もうやめろ」

だから、力強く、ネジは彼女の腕を更に引き寄せた。
このまま好きにさせていたら、里の衛兵を呼ばれ兼ねない。
男は既に失神しているし、ネジにはもう十分、痛いくらいにその想いが伝わったのだから。

「分かってないよ……! だってコイツ、ネジのこと……っ」

尚も掴まれた腕に力を込め、テンテンはそれを頑として拒否する。
しかし、男のネジに加減なく掴まれれば、如何に腕っ節の強い彼女でも、抗えない。
それが、もどかしかったのか、まだ殴り足りないのか知らないが、ネジの拘束する細腕が、細かく震え出す。

「……何でお前が泣く」

嗚咽を漏らさぬよう、必死に唇を噛んで、静かに、テンテンは涙を流していた。
引き結んだ其処から時々漏れる、乱れた息遣いに、不自然に黙り込んでしまった彼女の態度に、ネジは後ろに立ちながらも、察してしまった。
下ろした睫毛の間から、幾粒も、透明な雫を零しながら、知らないわよぉと、テンテンはか細く声を絞り出すだけだった。

――もう、良い。

何故か、罵言を受けた時よりも、ネジの為に涙するその光景の方が、彼の心をより酷く締め付けた。
誰も泣いてくれなんて、頼んでいない。
ネジの為に殴り飛ばせとも、怒れとも、言っていない。
本来ならそれは男のする仕事で、こんなにも小さく頼りない背中が、一人で意気込んで、背負って良いものではない。
けれども諸悪の根源が、かの男が既に彼女の制裁により片付いた今、ネジに出来ることは、彼女が不意に見せた“弱さ”を、無暗に晒さないようにしてやるくらいだった。
ぼろぼろと際限なく涙を零す目元を、人々の視線から隠すように、そっと掌で覆うと、強張った小さな肩を抱き、ネジは彼女を連れて暖簾を潜った。
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