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□あなたが必要
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五本の指で挟み持つ、使い込まれた忍具を、狙いを定め、勢い良く放つ。
両手から放ったそれは、計八つ。
それを三度繰り返したから、先に刺さっているのは、二十四。
―外していなければ。
にやり、と少女はその様を確認し、口の端を上げる。

今日も絶好調、と腰に手を当て、満足げに黒々としたクナイで埋まる的を見遣る。
幾つもの衝撃により切り裂かれて解れた藁が、その周辺に散らばり、剥き出しになった内部を貫く刃が、遠目に窺える。
物言わぬ人形の心臓部分に、これでもかと集中する、鋭利な刃物が埋まっている図は、どこか不気味な雰囲気を醸し出してはいる。
だが彼女達忍は、専らそれを生業として生きている訳なのだから、今更そんなことに気を取られはしない。

「何よ、リー。さっきから浮かない顔して」

よって、的から視線を外し、振り返った彼女が眉を顰めたのは、それとは関係ない、別の事柄を気にしてのことだった。

「アンタが燃えていないなんて、珍しいわねー。どっか調子でも悪いの?」

いつも放っておいても変な自分ルールに則り、はちゃめちゃな鍛錬をしているその班員は、黙々と自主鍛錬に打ち込むテンテンとは反対に、石の上に腰掛け項垂れていた。
暫くは妙に思いながらも放置し、自分の鍛練を進めていたテンテンだったが、もう何度目か知れない重苦しい溜め息が彼の口から零れ、ついに構ってやったのだ。

「……テンテン……。実はボク……すごい話を、耳にしてしまって」

そう話し出すリーは、躊躇う素振りを見せながらも意外と容易く口を開く。
もしかしたら早くテンテンが鍛錬を中断し、話し掛けて来ないかと待っていたのかもしれない。

「えっ……ちょ、それってどんな? ヤバイ話なの?」

そんな悩める姿を晒すリーに、配慮する気など毛頭なく、テンテンは心なしかきらきらと輝いた眼を彼に向ける。
気落ちした様子のリーを労わることもなく、的に刺さった二十四のクナイもそのままに、彼の言う“すごい話”に興味津々に身を乗り出す。

「偶然、聞いてしまったんです。……ネジが」
「ネジ……?ネジが、何なの?」

しかしその口から出たのは、思ったよりも身近な人物の名で、テンテンは反射的ににやけた顔を元に戻すと、きょとんとしてリーを窺う。
いつになく思い詰めた顔して、意を決しリーがその先を言う。

暗部に、行くかもしれません、と。

「……は?」

俯いたままのリーの顔を見ながら、テンテンは暫し呆気に取られ、暗部?、と訝しくその言葉を反芻する。
もう長いことネジとチームを組んでいた彼女にとって、それは些か突拍子のない話だった。

「立ち聞きするつもりはなかったんですが……。アカデミーでネジが、暗部の方と話をしていたところを聞いてしまったんです。
ネジに……暗部に来ないかって、そう……」

リーの弱々しい声が、途切れる。
何かにつけ忍として優秀なネジをライバル視している彼である、自分を置いて先に進むネジが、余程ショックなのだろう。
確かに、とテンテンは、思わぬところから零れたネジの出世話を妥当と感じていた。
ネジほどの実力があるのなら、いつ暗部に引き抜かれても、別段可笑しいことはない。
只、彼は日向分家として、ずっとヒナタらの側に置かれるものだと思っていた。
あの彼の伯父である宗主が、一族の宝とも言える逸材を簡単に手放すことも考え難い。

「えっ、何それ、スカウト? すごいじゃない。ガイ先生も知ってるわけ?」

そして、今一度“暗部”という名を意識して、テンテンは破顔した。
まさかの、あのエリート集団からの打診である。
そのような存在が同じ班から出ることも誇らしいし、何よりこのまま古臭い日向に縛られるより、常に上を目指す彼の心意気にそれは合っていそうだった。

「それで何? ネジは、行くって言ったわけ?」

分かりません、と師の認容については首を振るリーに、ネジの反応はどうだったのかと続けて問い掛けると、今度も彼はそれを左右に振る。

「……いえ。何か、答えに詰まっていたようで……何も」
「そうなの……? 迷うことないのに」

テンテンの呟きに、俯いていた顔を上げ、リーがあからさまに疑問を向ける。
注がれる不安げな黒い眼差しを見つめ返し、テンテンは大袈裟に肩を竦める。

「だぁって、『暗殺戦術特殊部隊』、あの火影直属の精鋭部隊よ? 大抜擢よ? カッコイイじゃない。それに、ネジの能力ならそれに見合っていると思うわ。アイツの力なら、綱手様の命にも十二分に貢献出来るだろうし」

素直に仲間の飛躍を喜ぶテンテンに、リーの顔色は晴れない。
柄にもなく冷めた表情の彼に、もう何よ、と溜め息混じりに眉を顰める。

「テンテン……君はそれで、良いんですか?」

何か意味深な言い方をするリーに、え、何がよ、とテンテンは間が抜けた声を漏らす。
勿体ぶるような、また思慮深いリーの言い回しは、彼女の気性にはどうも合わない。

「暗部に行くということは……つまり、班を抜けるということになるんですよ?」

単純にネジを祝福するテンテンに、リーは彼女が気付かなかった決定的なことを告げる。
初めてそれが頭に浮かんだテンテンは、そこであ、と声を出す。

「ボクは……はっきり言って、嫌です。ボク達ガイ班は、ボクとテンテン、そしてネジを含めて、初めてそう言えるのに。昔から三人一緒が……それが普通で、当たり前だったのに。ネジがいたから、きっとボクはここまで努力してこられた。ネジの旅立ちは嬉しいですが……素直に喜べないというか」

再び石の上で深く俯いてしまうリーを、テンテンは黙って見下ろした。
リーは、ライバルに先を越された云々を悔いていたのではない。
単純に、ネジが班からいなくなることを、寂しく感じていたのだ。
まだ暗部行きが決まった訳でもないのに―、テンテンは呆れた風に静かに息を吐いた。

「アンタ、相変わらず真面目ねえ。そんなに堅苦しく考えないで、喜んであげなさいよ」

随分無遠慮な物言いだが、それが彼女なりの慰め方なのだと、リーには分かっていた。
リーは昔から、そんな彼女の底抜けに明るい性格に、励まされてきた。
テンテンが膝を屈め、リーの前にしゃがみ込んで目線を合わせる。

「良い? ネジが暗部に行ったからって、私達が単純に、バラバラになるわけじゃないでしょう? 今まで育んできた仲間の絆は、ココに残る。ココロでは、私達はいつでも、三人一緒じゃない」

少し華奢な拳を作り、力強く、それは彼女の胸に置かれる。
テンテン、と彼女の名を呟く。
柄にもなく感動的な言葉を連ねる彼女に、何だからしくないなと、じわりと笑みが滲む。
だがリーの感じたその変化は、決して気のせいなどではなかった。
次の瞬間、優しい彼女のそれは、頼りなく丸く落ちるリーの双肩に、がしりと重く置かれる。
無邪気な雀色の瞳は、暗く影が落ち、打って変わって眼光鋭くリーを見据えた。

「だから、良い? くれぐれも、ネジの判断を揺さぶるようなこと、言っちゃダメよ? 私達には、ネジが心置きなく新しい世界に行けるように、アイツを笑顔で送り出すっていう最後の大事な務めがあるの。ネジが勇気を出して足を踏み出し、暗部という名の東天を立派に飛び立てるかどうかは、リー、アンタに懸かっているのよ」
「……ボ、ボクに……?」

間近でじっと睨まれたリーは、顔を引き攣らせ弱々しく確認する。
何か、ガイも顔負けの熱い台詞を、次々と繰り出し力説する彼女に、鬼気迫るものを感ずる。
ネジを快く送り出すことを言っている筈なのに、どことなく彼女の口振りに、彼を厄介払いしたい思惑が見え隠れしているような、気がしないでもない。


「オレがどうかしたか」

突如、見つめ合う二人の会話に、第三者の声が割って入る。
此処が修練場ということを考えれば、班の鍛練に足を運んだのであろうその男の登場は、不自然なことでも何でもない。
だがその姿を目にしたリーはびくりと過剰に反応し、テンテンは顔が緩んでいくのが止まらない。
ネジィ! とやけに嬉しそうに男の名を呼ぶテンテンを、リーは混乱した思考の中で見つめる。


――班を抜けるということに、なるんですよ?
リーの言葉を受けたテンテンは、そこで漸く気付いた。
ネジが、いなくなる?
自分達の、前から。

それってすごく、良いことじゃないか!!! ――と。

元来から口煩い者は、好まない。
幼い頃より割と自立していて(ませていたとも言う)、様々なことに自由を求めるテンテンにとって、古臭い旧家で幼少より教育を受けてきたネジは、正に目の上のたん瘤であった。
任務中ほど、彼の存在を心強く思ったことはない。
だが一歩日常に戻れば、ネジは只の、彼女の故郷で離れて暮らす、父親か母親の代わりだった。

――お前は少し、お頭が足らんようだ。もっと本を読め。
失礼極まりないことを連ね、愛読書の難解な本を渡してくることに始まり。

――言葉遣いが悪い。目上に対しては謙遜しろ。もう少し徳を積め。
任務地に赴くと、依頼人に対する態度を注意されるわ、更には。

団子を口いっぱいに頬張るな、みっともない。
座る時は足を揃えろ。
やたらと髪を弄るんじゃない。
任務に化粧は必要ないだろう。
……何だ、その顔は。

彼が与える“有難い”訓戒は、留まるところを、知らず。

「ネジ! アンタやったじゃない、この。聞いたわよぉ、アンタさあ……」

やはり。
いないに越したことは、ない。

胸の内で全力で頷き、テンテンは有りっ丈の笑顔で以て、ネジに祝言を捧げんとする。
今まさに頭に浮かんだネジの小言の数々に、思わずこめかみがひくつくも、それも期限付きだと思えば何のことはない。
早くネジが暗部行きを決めてくれさえすれば、テンテンにとって平穏な日常が訪れる。
そして、先に出たようにそれはネジにとっても、己の能力を余すことなく生かせられる、好機となる。

「テ、テンテン!」

ネジにとっても良い機会だからと、若干、ほんの僅かばかりに生じた、班員を売るような後ろめたさに強引に蓋をしていると、リーが後ろから肩を掴みその先を止める。
今良いところなのに何なのだと、あからさまに不満顔で振り返ったテンテンに、リーが必死な形相で耳打ちしてくる。

「このことは、どうか内密にしてください。ボクが立ち聞きなんて男に有るまじき卑劣な行為をしたのが知れたら、きっと軽蔑されます。同じ男として、何て卑しい奴だと、あの白い目で見下げられます」
「そ、そう……? 考え過ぎだと思うけど……」

凛々しい眉が視界いっぱいに広がり、若干引き気味にテンテンは薄ら笑いを浮かべる。
大分本来の熱血漢な性分が戻った様子のリーは、心持ち表情を曇らせ会話を切る。

「ネジが話してくれるのを、待ちましょう。悲しいですが……それが、ボク達のすべきことなら……。ボクにはネジの飛翔を邪魔することは、出来ません……」

どうやら先程テンテンに喝破されたのが、効いているようだ。
拳を握り辛そうに言い切ったリーは、やはりいつもの元気がない。

「……何なんだ、お前達。人の顔を見てこそこそと」

黙って二人の遣り取りを見守っていたネジが、そこで漸く口を挟む。
流石のネジも、白眼を持ってしても、内緒話までは解せないのだろう。
鋭い目付きで不快感を露わにする、鬼上忍の機嫌を損ねぬようにと、テンテンは素早い切り替えで無難な笑みを作る。

あはは、何でもなあい、と適当に誤魔化すと、ネジは厳しい表情はそのままに、それ以上追及することはなく、彼らから視線を外し鍛錬の準備をする。
それにほっとしつつ、この分だと暫く尾を引きそうだと判断したテンテンは、常であるネジとの組み手は後回しにし、もう少し忍具の鍛練を進めようと、クナイの刺さったままの的を見る。
それぞれが訓練場の中に散らばって動き出し、リーもやっとその意識に達したようで、空いた空間に足を向ける。
だがふと歩き出した足を止めると、まだ近くにいたテンテンにそっと話し掛ける。

「……ネジは、本当に行くんでしょうか」

その声が聞こえたテンテンは、人形の的へと向かおうとした動きを止め、リーを振り返る。
ネジの意思を尊重することを述べていた彼だが、まだ戸惑っているのだろう心情が容易に窺えた。

「さあ、ネジが決めることだし。……ね、ゼッタイ余計なこと言っちゃダメよ?」

少し離れた所にいるネジは、二人の会話を気にする様子なく、荷物の中から忍具を取り出している。
疑り深く念を押すテンテンに、明確な回答が得られなかったリーは、分かっています、と力なく答えた。
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