小説

□驟雨
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教室の窓から、灰色の雲と白い雲が幾重にも重なったり消えたりを繰り返しながら空を横切っていくのが見える。耳に流れ込んでくる年老いた教師の慣れた口調の授業が、早く終わらないかと僕はそわそわしていた。
 あと1分ほどだと時計を見て、わざとらしく筆記用具をペン入れに音たててしまう。教師が時間がきたことに気づくと同時に終了のチャイムが鳴った。
 1秒でも早くうじはらに会いたい。
 わずか10分休みでも、彼のクラスの前の廊下に行って立ち話をするのが日課だった。

 親友が出来て生活が一変した。
 毎日が楽しい。
 今日は何を笑おう。怒ろう。
 そう思いながら朝、目を覚ます。
 いや、夜も、今日は楽しかった、明日はうじはらと何をしゃべろう、と考えながら眠りにつく。
 親友がいるのはなんと充実していることか。

 うじはらに会いに行くまでの時間がものすごく嬉しくて、楽しみで、廊下を跳ねるように歩く時のシューズと廊下の擦れ合うキュッキュという音や感触さえ貴重な気がした。
 あまりに会うまでの時間がわくわくと楽しいから、自分はこの時間を味わうためだけにうじはらに会いに行くのかもしれないとすら思った。会えなくても別に構わないのかもしれない。

 ざわざわと生徒たちが廊下を行きかっている。
 いつもの廊下の窓際に目をやった。

 でも、そこには誰もいなかった。
 とたんに萎む胸。やはり会えなければ全く意味がないと思い直す。
 まだいるのかとうじはらの教室内を覗けば、授業は終わっているのにその姿はなかった。
 朝も会っていたし来ているのは確かだったから、具合でも悪くなって保健室に行ってしまったのではないか、と途端に心配になる。知り合いに聞いてみようか。

 ドアの側の奴に聞こうと口を開きかけたら、いきなり後ろから冷たい細い硬い指が目を覆ってきた。
「だーれだ」

 聞きなれた、聞きたくて仕方なかったうじはらの明るいふざけた声。
「なんやねんっ、どこ行ってたん」
 振りほどいて後ろを向こうとしたら、うじはらは長い腕を絡めて少し抱きしめてきて笑った。そして腕の力を抜いた。
 指は冷たかったのに腕も胸も暖かかった。向きを変えてうじはらの目を見た。
 すると鼻の奥がツンとした。
 やっぱり会う前のわくわく感だけで済むはずがない。会えるとこんなにも嬉しくて泣きたくなるのだと自分で自分に驚いた。
「どこ行ってたん?」
「すがにだーれだってやろ思て、手を洗いに行っててん」
「何それ」
 笑えてきた。授業中に僕のことを考えてくれていたのか。
「手を見たら鉛筆の芯で真っ黒やってん。」
 細やかなうじはら。ノートをたくさん取りながらも、僕のことを考えてくれていたのか。
 また鼻の奥がツンとした。
 
 大好きだと思った。
 

 

僕らが立ち話をして笑い合っていると、一人の教師が通りかかり、うじはらを見てから僕を一瞥し、
「うじはら、付き合う相手を選べや。」
と立ち去り際に言った。
うじはらはその後ろ姿にイー!と、顔を歪めて「教師の言うことか」と吐き捨てた。僕は言われるのも無理はないと、内心思っていた。進学実績を背負って立つはずの高校編入組が、運良く紛れ込んだやんちゃとつるんでいては心配にもなるだろう。
「すがの悪影響が出たらもったいないって気持ち、分からなくはないで」
うじはらは僕をじっと見てから、視線を外して言った。
「あいつら何も分かってへん。すががおらな学校辞めてたし」
そう言ってもらえるのはいつも嬉しかった。
「でも、レベル下がったんちゃう?毎日アホなことばっか言うとるし」
うじはらは腕を僕の肩に回してきた。ぐっと距離が縮まり、思いがけず強い力で引き寄せられ視界がぶれた。体力も体格も成績も段違いなのだと実感する。
「悪影響なんて言わさへん。絶対に成績は落とさへん。」
よく勉強するやつだと思っていた。勉強が好きなようにも見えた。僕の為でもあったなんて、想像したこともなかった。
言葉を失ってうじはらを振り仰ぐと、視線が絡んだ瞬間周りの音も消えた。
でも次の瞬間、うじはらが視線を外し僕の肩を強く揺すってから、ポンっと軽くたたいた。耳にチャイムの音が流れ込んできた。鳴り始めたのはもっと前だったのかもしれない。
「学食でな」
うじはらがいつもの笑顔に戻って言った。
「先終わったら席とっとくわ」
僕も日常に戻って返した。
うまく笑顔を作れていたかわからなかったけれど。
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