小説

□俺の男前
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「緊張してんな〜」
出番前の劇場の楽屋。
菅が笑いながら背中を少し撫でてきた。
「いつもの劇場ちゃうと、なおさらな。今日はまたお客さんいっぱいやろ?見た?」
今日は初めてやる大きな劇場のトリだった。個室楽屋をもらっていたが、若手の生きのいいのが次々に挨拶に来て、どのコンビも華やかでノリにノッているように見えた。
挨拶も一段落して、緊張しやすい俺は、ネクタイもせずに、イスに座って両手を握ったまま固まっていたようだ。
先程ソデから覗けば、満員、立ち見まででていた。若い客層がいつもと違って押しかけている。
「見た見た。若手の売れっ子がぎょうさん出るからな〜」
「せやねん、キャーとか最近聞いてなかったような声聞こえるわ」
「トリで、俺ら出てったら、シーン!」
両手を広げて水平に動かす。菅の目はキラキラと楽しげだ。
「やめて〜頭真っ白になるわ!」
「ホンマや、真っ白や!」
菅は笑って俺の白髪をつかむ振りをした。
「それでこんな?!ちゃうちゃう!」
俺も少し気楽になって笑った。
髪のセットが乱れないように、触らない気遣い。緊張しやすい俺に笑顔を向けてリラックスさせてくれるのも、不自然でもなく、微かに温かくて心地いい。
「お前はあんまり緊張してへんな?」
「してるしてる。でも、あれやん、お前が緊張してへんかな?やっぱしてるな〜!って気にしてると、自分のことそっちのけになるねんな」
「あ〜、俺、緊張しぃやからな、大丈夫か心配になるもんな、悪いな」
コンビであまりに片方が緊張していたら、舞台でうつるし、漫才で噛んだり、飛んだりすれば台無しだ。気になるのは当然だ。
「ちゃうちゃう、宇治原さん緊張してんな〜って自分のことそっちのけになるから、一周回って俺の緊張忘れられんねん。だから、お前が緊張するのは俺にとってはええことやねん。ありがたいっていうかな」
俺はしばし相方を見つめてしまった。なんでもプラスな方向から物事をみようとする頼もしい相方。
「男前やな〜菅さんは」
思わず声が出た。
「なんやねん、利己的やろが。俺さえ緊張せんかったらええねんからな。宇治原さんがどーなろうと」
照れたのか偽悪的にふざけるのも男前だ。
「それにおもろいねん、お前が緊張してるな〜してはるな〜って影で笑ろてんねんで」
菅はいきなり俺の脇腹をくすぐって逃げた。反射的に追いかける。捕まえる。
「笑われとんの?俺?」
「うん!」
間近に顔を近づけてふざけ合う。菅はおかしくて仕方ないという顔で笑っている。そのくしゃくしゃな顔も男前で、いつ見ても吸い込まれて目が離せない。
首根っこを掴むように引き寄せて、くちびるを奪ってやった。
「さんきゅー、落ち着いたわ」
スッと離れて、ネクタイを結びに鏡に向った。緊張をほぐすためにふざけてくれたのは分かっていた。そんな優しさに応えて舞台頑張ろう、と、気持ちを切り替えたら落ち着けた。
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