人生教室
□カルマの時間
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6時間目の歴史の小テスト。
紙にシャーペンが走る音と、些か小テストに不釣合いな音が響き渡る。
小テストに不釣合いな音、それは先生が触手を壁に押し付けるブニョンブニョンという効果音だ。何をしているかは残念ながら私にはわからないけど。
「…さっきから何やってんだ、殺せんせー?」
「さぁ…」
どうやら皆もなにをしているのかわかっていない様子。せんせーって意外と人間らしいからな、イラついた時にやるあんな動きの行動…もしかして、
『壁パンだったりしちゃう?』
「ああ、さっきカルマにおちょくられてムカついてるのか。」
「触手がやわらかいから壁にダメージ行ってないな。」
弱点C パンチがヤワい
小さくつぶやいたはずだった声。それは磯貝君に拾われ皆に同意された。てか壁パンでよかったんだ、あれ。ヤワすぎて違うかとも思ったけど。…うるさい。
「ブニョンブニョンうるさいよ殺せんせー!!小テスト中なんだから!!」
「こ、これは失礼!!」
よく言った岡野ちゃん。まあ私テスト終わったからあんまり関係ないけどさ、気になるんだよねあの音。
殺せんせーがもし速くないならタイマン張ってみたいな。勝てはしないだろうけど、パンチされても痛くないんだし。レベルカンストどころが限界突破してる魔王の身ぐるみ全部剥いでなべのふただけ装備させて序盤の勇者が戦うようなもんだよ。あり、ひょっとしてHP削れないんじゃない?
「よォカルマァ、あのバケモン怒らせてどーなっても知らねーぞー?」
「またおうちにこもってた方が良いんじゃなーい?」
「…」
私が余計なことを考え込んでいるうちに寺坂組がさっそく赤羽君に絡んでいる。お前らは節操無いな。
そして赤羽君、その手に持ってるものは何なんだ?
「殺されかけたら怒るのは当たり前じゃん。寺坂、しくじってちびっちゃった誰かの時と違ってさ。」
『ぷふっ…』
赤羽君の言葉に思わず吹き出す。それは反則だよ。ちびってたのか、あの時。
「なっ、ちびってねーよ!!テメケンカ売ってんのか!!あと桐ヶ谷笑ってんじゃねえ!!」
『んふふっ、いやいやちびってたかは知らないけどさ、泣いてたよなーって!』
「っなんだと!?」
「こらそこ!!テスト中に大きな音を立てない!!」
『えーせんせー、自分の触手に言ってよー。』
真っ赤になって怒る殺せんせー。その言葉に正論で返すと、赤羽君の前の席の千葉君がぐるりとこちらを振り向いた。うん、きっと同じ事を考えてたんだね。
「ごめんごめん殺せんせー。俺もう終わったからさ、ジェラート食って静かにしてるわ。」
「ダメですよ、授業中にそんなもの。まったくどこで買って来て…、!!」
そこで何かに気づいたらしいせんせーは、急に冷や汗を大量に流して焦りだした。
「そっ、それは昨日先生がイタリア行って買ったやつ!!」
『…イタリア…?』
っていうか先生のジェラートだったのね。甘いもの好きなのは知ってたけど。
「あ、ごめーん!職員室で冷やしてあったからさ。」
「ごめんじゃ済みません!!溶けないように苦労して寒い成層圏を飛んできたのに!!」
『…おいしそー…』
「…食べたい?」
小さく笑って殺せんせーから視線をこちらにやった赤羽君は微笑みながらそう聞いてくる。
こくこくと頭を縦に振って彼を見つめたら、ジェラートを手の中に収めたまま私の目の前に持ってきた。
「いいよ、あげる。」
「にゅやっ、カルマ君!それは先生の、」
『んむ…』
とろとろと口の中で溶けていくジェラート。本場の味というべきか、広がる甘みは一級品だ。
『おいしい…!』
「そう?」
『うん!ありがと、赤羽君!』
ちょっと照れたように「どーいたしまして。」と言った赤羽君。そして今度は、私の顔を見て悪戯っ子のように笑った。
「名前ちゃん、口の端に付いてるよ。」
『え、どこ?』
「こーこ。」
彼が手を伸ばしたの彼自身の口…ではなく、私の口だった。
呆然としている私を色気むんむんに細めた目で見ると、そのまま口の端に付いていたジェラートを掬っていった。そしてそれをそのまま舐めとる彼の赤い舌。
……うん。
「ははっ、真っ赤になっちゃって。かーわいー。」
『〜っ!』
…なんか照れるんですけど!?
恥ずかしさのあまりあっつくなった顔を両手で頑張って隠そうとする。それでも耳は隠れていないからもろバレだろうけど。
バカップルでもあるまいし…!
「「「「名前が照れた!?」」」」
『っうっさい!私だって照れるわばぁか!!』
もうやだ恥ずかしい!
べたっと机に伏せるけど、まだ聞こえてくる皆の小さい話し声とお隣からの笑い声が追い討ちをかけるように聞こえてくる。ってか皆見てないでテストやりなよ!終わってないでしょ!?
まあ幸い殺せんせーが注意してくれたから、それ以上騒がれることはなかった。今はだけど。後が怖いよ!
「もうカルマ君!ジェラートを食べた挙句名前さんを誑かすなんて!!」
「誑かされてくれるんならうれしいけどさ。…で、どーすんの?殴る?」
誑かされてないし赤羽君も変なこと言わないで…!
一瞬沸き立った教室に殺意が芽生えそうだよ、まったく。
「殴りません!!残りを先生が舐めるだけです!!」
『それはそれで気持ち悪いけどね!?』
ズンズン近づいてきたせんせーは仕掛けてあるものに気づかない。
そしてばら撒かれたそれにせんせーが気づかず踏みつけたとき、触手が溶けて飛び散った。
授業の前に撒いてたよね。この時用だったんだ。
「あっはー、まァーた引っかかった。」
「!」
続けざまに放たれた三発の銃弾。まあ流石の殺せんせーというべきか、それは難なくかわしたけど。
「何度でもこういう手使うよ。授業の邪魔とか関係ないし。それが嫌なら…俺でも俺の親でも殺せばいい。」
「…」
『…ふぅん。』
一見度胸があるように聞こえるその台詞だけど、本当は違う。単純に命を軽んじているだけ。殺せんせーはそんなことしないだろうし。
「でもその瞬間から、もう誰もあんたを先生とは見てくれない。ただの人殺しのモンスターさ。
あんたという「先生」は、俺に殺された事になる。」
それも一種の暗殺ではある。でも殺せてはいない。私達が任されているのはあくまでも肉体の破壊なんだからさ。
たぶん赤羽君は肉体の破壊に今のところそこまで興味が無いんだと思う。なんていうか、「先生」を殺すことに意味があるみたいな口ぶりだったよね。
「はいテスト、多分全問正解。」
「!」
「じゃね「先生」ー、明日も遊ぼうね!」
そう言って教室を出て行った。
赤羽君はたぶん、頭の回転がすごく速い。今もそう。先生が先生であるためには越えられない一線があるのを見抜いた上で、殺せんせーにギリギリの駆け引きを仕掛けている。
「…」
けど、本質を見通す頭の良さと、どんな物でも扱いこなす器用さを、ああやって人とぶつかるために使ってきてしまったんだろうな。
※ ※ ※
「はー、しっかし名前もマメだよなぁ。」
『?どこが?』
「放課後まで暗殺の訓練してただろ。面倒くさくねーの?」
帰り道。たまたま教室に残っていた杉野と渚君と三村君と一緒に帰宅中だ。
今日の烏間先生との訓練は予想通り終始ハードだった。全く苦に感じないくらい楽しかったんだけど。
『んまぁ、頼んだの私だし。烏間先生教え方上手かったし。』
「今日は何したの?」
『ひたすらナイフの基本!最後にナイフ当てゲームで、明日は銃の訓練やるって。』
「へ、へぇ…ひたすら基本か。ある意味一番疲れそう…」
頬を引きつらせる三人はちょっと引き気味だ。確かに30分近く振り続けたから腕痛いんだけどさ。
ころころと変わる話題について議論していたら、気づけば駅前。
「じゃーな渚、名前!」
「うん、また明日ー。」
『ばいばーい!…ささ、早く帰ろう渚っち!』
「渚っち!?」
徒歩組の杉野と三村君とはここでお別れで、私と渚君は電車に乗って帰らなければならない。電車通学って実はすんごい面倒くさいよね。
「…おい、渚だぜ。なんかすっかりE組に馴染んでんだけど。」
「だっせぇ、ありゃもぉ俺等のクラスに戻って来ねーな。」
どこからか聞こえてきた渚君を罵倒する声。その方向を見れば、見るからに性格の悪そうな男子生徒が二人。殴りたい。
渚君の耳にその罵倒が入るのが嫌で、そっと彼の両耳を塞いだ。
「しかもよ、停学明けの赤羽までE組復帰らしいぞ。」
「うっわ最悪、マジ死んでもE組落ちたくねーわ。…あ、でもあの噂、」
「えー、死んでも嫌なんだ。」
刹那、何かが割れる音が響き渡る。渚君からそちらに視線を移せば、割れたガラスのビンの口部分を持った赤羽君がいた。派手にやるなー。
渚君の耳から手を離し、赤羽君に近づいていく。耳元でガラスのビンを割られたからジュースもかかるわ音にびびるわで男子生徒が震えていた。
「じゃ、今死ぬ?」
『んふふ、楽には死なせないよー?』
「あっ、赤羽!!」
「お、おい、そっちの女のヘッドフォンってもしかして…」
ごちゃごちゃうるさい男子生徒に腹が立ったからとりあえず後ろの壁を蹴る。
そのせいでまた僅かにあがった悲鳴が鬱陶しくて、思わず眉間に皺がよった。
「え、名前ちゃ、」
『私のこと馬鹿にするならまったく構わないんだけどさー?大切な友人のこと悪く言われると腹立つわけ。わかるかな?』
「ひっ、」
『あっはは、馬鹿だもんね、わかるわけないか。
…今は精々「僕達本校舎の生徒ですー偉いですー」とでも踏ん反り返ってろばぁか。そのうち全員まとめて喰い殺してやる。覚悟してろよ底辺層。』
「う、うわぁっ!」
びびりまくって走り去っていくモブ。いい気味だよまったく。
「あはは、殺るわけないじゃん。にしても名前ちゃんやるねー。」
『んふふ、あんがと。』
「カルマ君、名前ちゃん…」
「ずっといい玩具があるのにまた停学とかなるヒマ無いし。」
『…』
まただ。赤羽君のこの目。何かを諦めたような、それでいて憎悪を忘れていない狂気を感じさせる瞳。ジェラートをくれたときも、私が赤面したのを笑ってみていたときも、今私を褒めたときも、彼は欠片もそんな顔しなかったのに。
「先生」に関わる話になった途端、色が変わったようなこの目が…少し怖い。
「でさぁ渚君、名前ちゃん、聞きたい事あるんだけど。殺せんせーの事ちょっと詳しいって?」
『んー、渚君の方が詳しいかな。』
「…まあ、ちょっと。」
改札を抜ける。渚君の頬に流れる汗が今の彼の緊張感を表しているようだ。
2年間同じクラスだったわりにはなんというか、微妙な距離感だよね、この二人。
「あの先生さぁ、タコとか言ったら怒るかな?」
『タコ?』
「…うーん、むしろ逆かな。自画像タコだし、ゲームの自機もタコらしいし。」
『あ、この前なんか校庭に穴掘って「タコつぼ」っていう一発ギャグやってたし、先生にとってはちょっとしたトレードマークらしいよ?』
あれはなかなか面白かった。なんか急に穴掘りだしたと思ったら、その中入って顔だけ出てる状態にしたからね。しかも穴掘るスピードも尋常じゃなくて…んふふ、やばい思い出したら笑えてきた。
「…ふーん。」
例のごとく悪戯っ子のように笑った赤羽君。愉悦に歪んだ微笑は彼の今の心情をそのまま表しているようだ。
「…そーだ、くだらねー事考えた。」
『……赤羽君、次は何企んでんの?』
電車が近づいてくる。電光掲示板には「通過します」の文字。
「…俺さぁ、嬉しいんだ。ただのモンスターならどうしようと思ってたけど、案外ちゃんとした先生で。」
大きな音と強い風を巻き起こしながら、赤羽君の後ろを電車が走っていく。
「ちゃんとした先生を殺せるなんてさ。前の先生は勝手に死んじゃったから。」
「……?」
『…』
靡く髪、歪む口元、狂気に染まった目。壊れかけの人形みたい。
…殺せんせー、お願い。彼を助けてあげて。まだ間に合うから。
手遅れに、なる前に。