人生教室
□暗殺の時間
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ペタン、ペタンと、おおよそ人間が奏でるではないだろう足音が廊下から聞こえてくる。当然だ、今歩いているものは人間ではないのだから。
現在この教室にいる生徒全員は、被弾防止用のゴーグルを身につけ、その生物の入室を今か今かと待ち侘びていた。
もっとも、それぞれがその生物に抱く感情は決して心地のよいものではないのだろうけれど。
出席簿を置く音がいやに響く教室。これから行われる行為への緊張の表れだったのかもしれない。
「HRを始めます。日直の人は号令を!」
「…き、起立!!」
一斉に立ち上がる生徒たち。その手にはそれぞれの武器が握られている。
「気をつけ!!」
ニヤニヤと笑うその超生物。自然と、アサルトライフルを模したそれを握る手に力が篭った。
ーー私達は、殺し屋。
「れーーーーい!!!」
「おはようございます。」
腹立たしいほどの動きで弾を避け続けるその生物は、作り物のようなその微笑を崩すことはない。
「発砲したままで結構ですので出席を取ります。磯貝君。」
「……!!」
「すいませんが、銃声の中なのでもっと大きな声で。」
「…は、はい!!」
挙句の果てに始まった自己紹介。それには時間を無駄にしないように、という皮肉が込められているのではないかと勘繰りかけてしまう。
「岡野さん。」
「はい!!」
「片岡さん。」
「はい!!」
本物の銃とは違い、込められているのはBB弾。故に弾切れなど滅多に起きることはない。
そう、現在進行形で出席を取られているというのに、弾幕が尽きることがないのもその証拠だ。
「名前さん。」
『っ、はい!!』
全くもって腹立たしい。未だ続く出席確認さえも辟易してくる程には。
「…遅刻なし…と。素晴らしい!先生とてもうれしいです。」
ーー標的は、先生。
「残念ですねぇ。今日も命中弾ゼロです。
数に頼る戦術は個々の思考をおろそかにする。目線、銃口の向き、指の動き…一人一人が単純すぎます。」
それに関しては同意もできると皆が呆然とする中一人だけ思考をめぐらせる。私達の一斉射撃程度で殺されるような先生が、今ここ存在するわけがないのだから。
「もっと工夫しましょう。でないと…最高時速マッハ20の先生は殺せませんよ。」
「本当に全部よけてんのかよ先生!どう見てもこれただのBB弾だろ?当たってんのにガマンしてるだけじゃねーの!?」
「そうだそうだ!!」
「…では弾をこめて渡しなさい。」
それはないだろう。先生の手に渡った銃を見つめた。
何のためにこんな小さくて殺傷力もないようなBB弾を使っていると思っている?
「言ったでしょう。この弾は君達にとっては無害ですが…」
『…えぐいなー』
たった一発で派手な音を立てて破壊された触手。あまりのえぐさについ声が洩れた。
というか、国から支給された武器が効かない、なんてあったらただの無理ゲーじゃないか。ただでさえチート並の能力をもっているというのに。
「国が開発した対先生特殊弾です。先生の細胞を豆腐のように破壊できる。…ああ、もちろん数秒あれば再生しますが。」
知れば知るほど無理ゲーになっていくこの遊戯。でも、この意味のわからない高揚感を抑える方法を、私は知らない。
「だが君達も目に入ると危ない。先生を殺す以外の目的で室内での発砲はしないように。」
『うい。』
「名前さん、反応するのは大変よろしい。ただし返事は「はい」にしましょうか。」
『あーい!』
聞く気がないんですか!?と慌てる超生物、もといタコ…否、先生。
その慌てようはどこへやら、一気に肌が緑のしましまへと変わる。
「…殺せるといいですねぇ、卒業までに。」
舐められてるなーなんて思うわりに自分の口角が上がっていることを、私はしっかりと理解していた。
「銃と弾を片付けましょう。授業を始めます。」
ーー椚ヶ丘中学校3−Eは暗殺教室。
始業のベルが、今日も鳴る。
ふと窓から見上げた空には、おぞましいほど綺麗な形をした三日月が浮かんでいた。
※ ※ ※
ーー3年生の初め、私達は2つの事件に同時に遇った。
≪月が!!爆発して7割方蒸発しました!!
我々はもう一生、三日月しか見れないのです!!≫
1つは、私達人類にとってもっとも馴染みの深い星・月の大部分の消失。
もう1つは…
「初めまして、私が月を爆った犯人です。来年には地球も爆る予定です。君達の担任になったのでどうぞよろしく。」
自らがその犯人であると豪語する、超生物の襲来だった。そいつを初めて見た時はおそらくみんな同じことを考えただろう。
まず5・6ヶ所ツッコませろ!!
「防衛省の烏間という者だ。まずは、ここからの話は国家機密だと理解頂きたい。」
普通の中学生に国家機密を話すものか。思わず呆然としてしまった私は、ヘッドフォンから流れ出る音楽を止めることすら忘れてしまった。
「単刀直入に言う。この怪物を君達に殺して欲しい!!」
沈黙。当然だ、頭のおかしい話をそう連続してされてもついていけるわけがない。
「…え、何スか?そいつ攻めて来た宇宙人か何かスか?」
「失礼な!生まれも育ちも地球ですよ!」
嘘だろ。…もし本当だとしたら、生まれからあのタコの姿なのか?それとも後天的な何かであのタコの姿になったのか?母親は人間なんだろうか。人語を喋っているからタコと人の相の子だったりするのかな。
「詳しい事を話せないのは申し訳ないが、こいつが言ったことは真実だ。月を壊したこの生物は、来年の3月地球をも破壊する。」
『なんのRPGなのさ…』
「この事を知っているのは各国首脳だけ。世界がパニックになる前に…秘密裏にこいつを殺す努力をしている。…つまり、暗殺だ。」
烏間と名乗る男性の懐から出てきたナイフがタコの頭を的確に狙う。だが気づいたときにはそのタコはすでに別の場所に立っていた。今残像が見えたぞ…どんな速度で動いているんだ、あのタコ。
「だが、こいつはとにかく速い!!殺すどころか眉毛の手入れをされてる始末だ!!丁寧にな!!」
『なぜに眉毛…?』
烏間さんのナイフは決して遅いわけではない。私から見てもプロ中のプロ、そのくらいの速度が出ているはずだ。
タコは眉毛の手入れをしながら笑っているけれど。
「満月を三日月に変えるほどのパワーを持つ超生物だ。最高時速は実にマッハ20!!」
『…』
マッハ20。そんな数字はこれまで生きてきた中で聞いたことがあっただろうか。いや、私の知識は精々マッハ2止まりだ。あのタコは一体どんなつくりなんだろうかなー…
「つまり、こいつが本気で逃げれば、我々は破滅の時まで手も足も出ない。」
「ま、それでは面白くないのでね。私から国に提案したのです。殺されるのはゴメンですが…椚ヶ丘中学校3年E組の担任ならやってもいいと。」
『え、なんで?』
「すまない、それについてこいつは一切口を割らなくてな。…こいつの狙いはわからん。だが政府はやむなく承諾した。君達生徒に絶対に危害を加えない事が条件だ。」
疑問を口に出した私を皆が尊敬のまなざしで見つめてくる。ああ、皆思ってたことなのね。
烏間さんも律儀に応答してくれるあたり、とてもいい人なのだろう。真っ直ぐな目をしている。
「理由は2つ。教師として毎日教室に来るのなら監視ができるし、」
ーー何よりも、30人もの人間が…至近距離からこいつを殺すチャンスを得る!!
※ ※ ※
「…中村さん、暗殺は勉強の妨げにならない時にと言ったはずです。罰として後ろで立って受講しなさい。」
「…すいませーん…そんな真っ赤になって怒らなくても」
中村ちゃんの銃から弾き出されたBB弾が2本のチョークに挟まれて止められた。普通ならありえない光景だ。…普通なら、だけれど。生憎とあの生物は普通じゃない。そしてそんなタコを受け入れつつある私達も、いろんな意味で普通じゃないけどさ。
ーー何で怪物がうちの担任に?
どうして私達が暗殺なんか!?
そんな皆の声は…烏間さんの次の一言でかき消された。
※ ※ ※
「成功報酬は百億円!」
「「「「!!?」」」」
「当然の額だ。暗殺の成功は冗談抜きで地球を救うことなのだから。」
度肝を抜かれる、それは現状を表すのにもっとも最適な言葉だ。だが烏間さんの目はいたって本気。
百億円、確かに地球と比べたら安いものだろうな。
「幸いな事に、こいつは君達をナメ切っている。見ろ、緑のしましまになったときはナメてる顔だ。」
どんな皮膚なんだろう。そういえばタコって擬態能力もあった気がする。その延長?やっぱりタコと人の相の子だと思う。
「当然でしょう。国が殺れない私を君達が殺れるわけがない。最新鋭の戦闘機に狙われたときも…逆に空中でワックスをかけてやりましたよ。」
あのタコ、手入れが好きなんだね。にしても最新鋭の戦闘機って何kmくらい出るんだろうか?ワックスをかけられるくらい余裕があるってことだもん、化け物だー。
「そのスキをあわよくば君達に突いて欲しい。君達には無害でこいつには効く弾とナイフを支給する。」
『あわよくば、かー…』
「君達の家族や友人には絶対に秘密だ。とにかく時間がない。地球が消えれば逃げる場所などどこにも無い!」
「そういう事です。さあ皆さん、残された一年を有意義に過ごしましょう!」
その超生物は最後までナメ切った調子で、壮絶すぎる自己紹介を終えた。
※ ※ ※
4時間目を終える鐘がE組校舎に響き渡る。
「昼休みですね。先生ちょっと中国行って麻婆豆腐食べてきます。暗殺希望者がもしいれば携帯で呼んで下さい。」
『はーい。先生、お土産買ってきてね。』
「ヌルフフフ、採点したテストを持って帰って来ましょう。」
『それはお土産じゃない、ってわっ!』
逃げるように飛び去っていく先生。金欠なのかなー。
あっという間に豆粒よりも小さくなったように見える。マッハ20、恐るべし。
「マッハ20だから…ええと、」
「麻婆の本場四川省まで10分くらい。」
『原さん計算はやいね。』
「確かにあんなもんミサイルでも落とせんわな。」
少しだけ照れている原さんを微笑ましい心情で見つめる。それでまた赤くなってくれるんだから、可愛い人だ。
そして私がそんなことを考えている間に、教室の話題は一気に先生が中心になる。
「しかもあのタコ、音速飛行中にテストの採点までしてるんだぜ。」
「マジ!?」
『うん。私なんかイラスト付きで褒められた。「理想の解答!タコ二重丸!!」だって。』
「名前ちゃん、あの先生と仲良いよね。」
『そーかな?』
確かに、この教室において今一番気を許しているのは私かもしれない。他の子はまだ警戒してるみたいだからね。
私だってまだ警戒はしてるけど、あの先生はなんというか…本校舎の教師よりずっと「先生」だから。数日でそれがわかるくらい、いい先生なんだ。
「てかあいつ、何気に教えるの上手くない?」
「わかるー!私放課後に暗殺行った時ついでに数学教わってさぁ。次のテスト良かったもん。」
「…ま、でもさ…」
ふと教室の雰囲気が暗くなる。この空気は、ここの教室に漂う特有のもの。劣等感、諦め、すべてを一気に詰め込んだような、重いもの。
自然と、皆の顔が陰った。
「しょせん俺らE組だしな。」
「頑張っても仕方ないけど。」
ーーそう。タコ型の超生物で、暗殺の標的なのに。
あの先生は、何故か普通に先生してる。
私達も同じ。即席の殺し屋であるのを除けば、普通の生徒だ。
…けど、私達E組は…少しだけ普通と違う。
本当に合理的な男だよ、この学校の理事長先生は。
「…おい渚、ちょっと来いよ。暗殺の計画、進めようぜ。」
「………うん。」
視界の端に入った小柄な男の子を誘う3人の男子生徒。遊びの誘い、なんて生ぬるいものじゃあなさそうだ。
何故だか無性に気になった私は、わざわざ作った弁当を腹に入れることなく席を立った。