雪と夢と罪の歌

□14 バレンタインデー
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名前 SIDE

『…それが、ばれんたいんでー?』

「名前ちゃん、知らないの?」

『いや、知らない、というか…』

目の前で首を傾げる京子ちゃんは大層可愛らしいのだが、彼女から聞かされた話に思わず疑問が洩れる。

ばれんたいんでー、つまり聖ヴァレンタイン。キリスト教の行事の一つだったよね。
ただ私が聞かされたその内容は、既知のものとは全く違っていた。

『女の子が意中の男の子にチョコレートを渡すのかい?』

「そうよ。…ああ、あんた帰国子女だったわね。なら知らなくて当然だわ。」

『…これでも一通り文化は勉強したのだけど。』

「んー、出来たのが最近とか?」

確かに恋人達の祭日ではあるのだが、いかんせん私はあまり宗教系の行事には参加出来ないのでまるっきりスルーして生きてきた。…理由はまあ、色々だよ。
そんなわけで、日本についての勉強はそれなりにしてきたが、宗教系はほとんど手をつけていない。
正直ここまで歪曲されていること自体驚きだが、それ以上にたかが製菓会社の策略がこんなにも広まっていることの方が驚きだ。

「あんた、あの風紀委員長と付き合ってんでしょ?渡さないとそれこそ咬み殺されると思うけど。」

『あ、はは…うん、咬み殺されるねぇ。確実に。』

「えー?ヒバリさんあの感じだったら名前ちゃんのこと殴らないと思うけどな。」

『…殴られはしないさ。』

キスされるけど。そう心の中で唱えたものの、どうやら花ちゃんには大方理解できているようでニヤニヤとこちらを見ている。純粋な京子ちゃんは分からなかったみたいでそこは安心だ。

『具体的にはどんなものを作ればいいんだい?』

「んー、トリュフとかマカロンとかかな?」

「あんた料理上手いんだし、もう少し難しいのでもいいんじゃない?」

『ふむ…』

お菓子作りというのは一時期趣味にしていたこともあるし、問題ないだろう。材料費も特に際限はない。問題は作るもの、か。…というかそれ以前に、

『風紀委員会に没収とかは…』

「ううん!風紀委員さんも明日だけは容認してくれるの!」

「ただ授業中に食べたりするのはダメだけどね。見つかった瞬間風紀委員長行きだもの。」

『ふふ、そう。なら安心だね。』

うん、どうやら大丈夫みたいだ。帰りにレシピ本と材料でも買って行こう。
京子ちゃんはどうやら綱吉の家で作るらしく、私もあとから食べに行くことになっている。毒サソリがいることだけが不安、かな。花ちゃんは学校に持ってくるのでそのときにくれるらしい。…ちょっと、楽しみかもしれないな。

「!名前ちゃん、時間大丈夫?」

『え、…あ』

「…早く行きなさい。大変な目に遭うわよ。」

『あ、ああ。ごめん、行くね。』

「うん!また明日!」

「狼には気を付けなさいよ。」

花ちゃんの言葉が若干引っ掛かるが、とりあえず行くべき時間に遅れていることは事実なので急いで荷物を掴み教室を出る。
なるべく早足で歩いていたが、だんだんと足取りが重くなっていく。理由はただ一つ。

『く、草壁君?大丈夫かい?』

「名前さん…、早く、応接室へ…!」

応接室に近付けば近づくほど、少しずつ風紀委員の怪我人が増えているのだ。…え、これって行ったら私もやられるのか?
そうは思いつつも、これ以上犠牲を増やさないために応接室を目指す。…うわ、彼重症じゃないか…
ようやっと扉の前についたが、若干開けるのを憚られる雰囲気だ。さながらインディージョーンズ的な空気。
ごくりと唾液を飲み干してから、おそるおそるドアノブに手を伸ばした。

『…恭弥、さん?』

「なに。」

『い、いや、なんでも…』

気配で誰が来るのかわかるのだ。よく考えたら私が扉の前で躊躇っていることだって彼には筒抜けで。

開けてすぐそこに恭弥がいても、なんら可笑しくはない。不機嫌度がマックスな理由は分かりかねるが。
深ぁーく刻まれた眉間の皺がいかに不機嫌かをよく表している。

「…遅い。」

『ご、ごめんなさい…』

「ふん。」

こんなにも露骨に不機嫌なことは今までにあっただろうか。…体育祭のとき以来、だよねぇ。私、何かしたかな…
ちらりと恭弥の顔を見上げてよく表情を見れば、なんだか複雑そうな様子が窺える。どうやらただ不機嫌なだけではないようだ。

『…恭弥、どうかした?』

「……………なんでもない。」

『…』

「…」

明らかになにかあるような間を開けといてよく言うよ、とじと目で恭弥を見上げれば、ばつの悪そうな顔でそっぽを向いた。暫くの沈黙がその場を包む。
それでもなお見つめ続けた結果、先に折れたのは恭弥だった。

「はぁ……本当に怒ってるわけじゃないんだ。」

『…?』

「明日、バレンタインデーだろう?」

『うん、そうだね。』

少しだけ気恥ずかし気に逸らされた視線と若干赤く染まった頬に、どうやら本当に怒っていないようだと安心する。
そして先を促すように見つめていれば、渋々といった様子で口を開いた。

「…名前は大勢にチョコレートあげるのかい?」

『うーん…大勢かは分からないけど、少なくはないかな。』

それがどうしたの?と首を傾げれば、もう一度顔を背けてしまう。よく見れば先程より赤くなってるな。

「…………やだ。」

『…何が?』

「…名前が僕以外にチョコレートをあげるの…いや、なんだ。」

『!』

きゅんと高鳴る胸。逸らされた顔が希に見る真っ赤で、あまりの愛らしさに思わず笑みが溢れた。

『…ふふ、』

「、なに笑ってるの。」

ぎろ、と睨んでくるのはいいが正直迫力の欠片もない。可愛らしく見えるのは恋の病のせいなのか。

『…そう、いやなの。ふふ、それならチョコレートを渡すのは止めようかなぁ。』

「!本当に?」

『ええ、恭弥が望むのなら。』

「うん。…名前、愛してる。」

不機嫌顔を途端に喜色に彩った恭弥は先程までの態度とは一変、ゆっくりと私を抱き込んで頭にキスをしてくる。
随分と嬉しそうな彼に苦笑しながらも、嫌どころが心地いいくらいの腕の中でそっと力を抜く。
堅い胸板といい香りを感じながら、浸るのは幸福と思考。

さぁて、どうしたものか。
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