□ぐだる長編(途中)4ページ
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「受けた恩はお返しします」
目の前の少女はそう言ってはばからない。遠坂時臣は相手に悟られないようひっそりと嘆息した。

ことの始まりは昨日の夜。どこをどう見ても家出中であろう少女をちょっとした老婆心から助けてしまったことだ。魔が差したとも言える。普段の時臣ならばそんなことはしなかっただろう。が、あの時は間桐家と娘の桜の養子縁組の契りを交わした直後で、どうにも放っておく気にはなれなかった。その結果がこれである。翌朝、どこで調べたのか時臣の家を探り当て、わざわざ訪ねてきたのだ。そして開口一番「恩を返しに来た」と言ってきた。もちろん時臣は丁重にお断りしたが、少女はどうにも引き下がらなかった。そして冒頭に至る。

改めて少女を見る。長く伸ばした黒い髪、茶色がかった大きな目。桜には似ても似つかないこの少女に、少しのセンチメンタルな気分に惑わされ、親切心を出してしまった自分が恨めしい。この少女、どうも恩とやらを返すまではお引き取り願えない様子。しかし、今夜は英霊召喚の儀式を執り行う予定になっている。この程度のことで予定を乱されるのは、常に優雅であることを家訓としている時臣には耐え難いことであった。
「恩、というほどのものではないと思うんだが」
「それはこちらが決めることですから」
平然と出された紅茶を飲みながら、向かいの椅子に腰を下ろす少女のその不遜なまでの物言いは、とてもこちらを恩人として扱っているようには思えない。
「では仕方ない」
この少女を客人としてもてなす必要はない。と時臣は判断した。
「君は私と昨夜会わなかった」
杖を少女の額に当てる。
「君は昨夜、自力でホテルを見つけたんだ。いいね」
それは簡単な暗示の魔術だが、一般人には到底抗う術はない。つまり、これはこの少女が一般人であるという大前提が必要であったのだが
「貴方は聡明ですが、詰めが甘いですね」
少女が何事もなかったように杖を払い除ける様子に目を眇める。彼女には魔術が効いていなかった。実際、今も先程と変わらない様子で紅茶を飲んでいる。しかし、魔術が行使されなかったわけではない。時臣がそんな失敗を犯すはずもない。それらが示すのはすなわち、彼女が一般人ではなく、魔術師であるということだ。
「君は…魔術師だったのか」
「まあ、そうなりますね。で?」
暗示をかけられそうになったことについては全く言及せず(あるいは全く取るに足りないものであったと判断されたのか)少女は時臣に話を促す。
「で、とは?」
「私が魔術師であることで貴方に何かメリットがありますか?私が何をしに来たか、まさか忘れていないでしょう」
時臣は思わず渋面を作りそうになった。魔術師であれば、同じ根源を求める者として少女を尊重もしよう。だが、この恩を返すという行為への異様な執着心は不可解過ぎる。それに時期が時期だ。聖杯戦争に関することで偵察に来た何者かとも限らない。そんな時臣の心中を知ってか知らずか、至って大真面目であると言った風の茶色い目がこちらを見ている。
「何が目的かな?」
「恩返しです。…まさか恩返しの意味からの説明が必要ですか?では鶴の恩返しの話を例に解説しましょうか」
「……結構だ」
知らず杖を握る手に力が入っていたのに気づき、緩める。何故だかわからないが、どうもこの少女の前では優雅さを見失いそうになってしまうようだ。それとは反対に少女は茶色い瞳を退屈そうに伏せながら、悠然と紅茶を飲んでいる。全く今の会話の食い違いを意に介していないらしい。時臣は少女に対して遠回しな言い方は通用しないことを理解し、今度は直球に相手に響く言葉を選んで質問した。
「君は何故そこまで恩を返したがる?」
そう言った途端、ぴくり、と少女のティーカップを持つ手が震えた。ここに来て初めて少女が見せた小さな動揺だった。どうやらようやく核心をつけたらしい。調子を取り戻したことに内心で安堵し、時臣はさらに質問を重ねようとして少女の目を見た。見てしまった。
「聞きたいの?」
決して逃れられない金色の目を――――。
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