「タハミーネ」 シリーズ
□タハミーネ〜蜘蛛女〜
1ページ/1ページ
ルシタニア軍がエクバターナの外壁から叫んでいる。それに呼応して奴隷たちが小さな反乱を起こし始めた。エクバターナの守りにつく兵や市民はもちろん、城に勤める侍従たちも狼狽えた。
この城はどうなるのか、自分たちはどうなるのか。
怯える侍女たちがタハミーネの様子がおかしいことに気付くわけもなかった。
―――シャプールが、死んだ。
己の気持ちを伝えることなど出来うるわけもなかったが、全く自分の気持ちに気付かずいってしまった。
ルシタニア軍も奴隷もどうでもよかった。サームたちが戦局を伝えに来たが、人目をはばかって悲しむふりをしただけである。今更アンドラゴラスがどうなろうと知ったことか。
勇猛な万騎長達も殺された。この城も間もなく落ちるかもしれない。
―――滅びてしまえ。
そして私も殺してくれればいい。シャプールのいない世界など、壊れて消えてしまえばいい―――
「タハミーネ王妃、早くお逃げを」
宰相のフスラブがオロオロと声を掛けてくる。すぐにも逃げ出したいのだろう、侍女たちも落ち着かぬ風でタハミーネの顔を盗み見る。
―――煩わしい。
お前たちも共に滅びればよい。誰一人残らずとも良い。全て無にして、私のこのシャプールへの想いも無になればよい。
「城へ敵兵たちが向かってきております!お早くお隠れを!」
悲鳴を上げるようにフスラブが急き立てる。
煩い。私は生きたくなどない。
「アンドラゴラス王は必ず生きておられます。王妃にはアルスラーン王子もいらっしゃいます。ここは生きて―――」
―――アルスラーン。
馬鹿馬鹿しい。その名を出されて私が気を変えるとでも―――
冷たかったタハミーネの瞳に光が宿った。
「フスラブ」
まくし立てていたフスラブは急に呼ばれて一瞬きょとんとした顔をした。
「ルシタニアは、確か弟が愚王を支えていたのですね」
「は?はい、宗教に凝ったイノケンティス7世は政務に興味がなく、王弟のギスカールが実権を握っていると」
「ですが、王ではない」
タハミーネの体が燃えるように熱くなった。
―――いるではないか。
アルスラーンではない。どこかに、この世界のどこかに、シャプールに祝福された私の娘がいるではないか。
―――生き延びて、探し出す。
それしか私には、シャプールにつながるものがもうないのだ。
この容貌のせいで望まぬ人生を歩むことになった。この顔を好ましいと思ったことは一度もなかった。だが―――
これからは、この顔一つで生き延びてやろう。
「フスラブ。案内を」
タハミーネの言葉が終わる前にフスラブは跳ねるように立ち上がった。侍女たちもあわててついてくる。
ルシタニアのイノケンティス7世。その王弟ギスカール。妖婦の名に恥じぬ手練手管で二人を操り、生き延び、娘を探し出して見せよう。
―――シャプールが祝福してくれた、私の娘。
タハミーネは隠れ場所に座り、敵兵が来るのを待った。獲物が巣にかかるのを待つ、雌蜘蛛のように。