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□猫の足
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ぼんやり目を覚ましたギーヴは暫く天井を見上げていた。音はない。締め切られた雨戸の外では鶏たちの餌を求める鳴き声はしている。だがこの家の中に音はなかった。

体の向きを変え向かい側の扉を見た。その扉の向こうに女がいる。まだ寝ているのだろう。音はない。

もう起きる時間だと知っていながら、ギーヴは暫く寝具の上に横たわっていた。喉の渇きと空腹だけが、小さな苛立ちの理由ではないと知りながら。


着替えたギーヴが顔を洗い、鶏に水と餌をやり終えたころ、女が慌てて起きてきた。ギーヴを見てばつが悪そうに笑みを浮かべると、スカーフで髪を覆い、朝食の準備に取り掛かった。


以前なら、すでに女は畑で働いていた時刻である。


机に食器を並べながら、女は少し変わった、とギーヴは思った。女が絵を描いた細々したものはよく売れた。自分の描いたものが金になると知った女は、あれ以来頻繁に部屋に閉じこもるようになった。そして昨夜、腕輪や髪の飾りなど、結構な数を渡してきた。だからギーヴは今日再びこれらを町に売りに行く。ここしばらく女が部屋に引っ込み、家の隅に気付かない程度の埃が貯まり、洗濯籠がいっぱいになったのはこのためだろう。最もギーヴは時間があるのだから、女の代わりにギーヴが掃除し、洗濯もしたから構わない。


ただ―――女が変わった、という事実がギーヴを苛立たせた。


女と、街の女たちがダブって見えた。欲の入れ物と、その入れ物を嘘で埋めたギーヴ。この女は金を得る方法を覚え、他の女たちのように空っぽの容器になるのだろうか。

ギーヴは戸口で見送る女を振り返らずに出発したので、女が何か言いたげ―――話せないのだから、何か伝えたそうにしていることには気づかなかった。



街へ着くとギーヴは以前小物を売った店へ行き、店主の言い値で売った。店主のにやけ顔から安値なのだろうと気づきはしたが、値を交渉する気分にはならなかった。

―――まだ日は高い。

革袋の中の金がチャラリと鳴った。

ギーヴは何かを追い払うように、以前夢を見せた女の一人の元へ向かった。


女に起こされ、夫が帰ってくるからと慌てて追い出されたギーヴはまだ少しぼんやりした頭で家路を急ぐ人々を眺めた。

俺もあの家に帰ればいいのだろうか、と考える。家族でもないし友人でもない。金づるとも思ってない。では何なのだろう。この苛立ちはなぜ沸き起こるのだろう、と答えの出せぬまま、ギーヴは夕暮れの街を出て、女の家へ続く道を歩いた。


日は沈み、森の中を行く道に灯はなかった。ギーヴは夜目のきく方だったから、わずかに葉の隙間を通り抜けた月の光を頼りに足を進めた。


ここには音があった。虫の声、風に揺れる草の音、鳥たちの囁き声。ギーヴの耳はそれらを拾いはしたが、ギーヴにとって意味のないものだった。

ギーヴはしばらく歩いた後、剣の柄にそっと手をかけた。空気が重くなる。闇が体に巻き付いてくる。ギーヴはすべての神経を背に集めて―――飛び退きざま、剣を抜いた。



ギーヴが剣で受けた衝撃はかなり強く、一瞬剣を取り落しかけた。だがギーヴの猫のように敏感な瞳は、瞬間飛び散った花火で浮かび上がった攻撃者の姿をとらえていた。



意外であったし、予期してもいた。



ビザン。ギーヴと全く似ていない双子。努力の人と呼ばれた男。かつての恋人が選んだ相手。


低い姿勢で剣を構えるギーヴに対し、ビザンは両足で地面を踏みしめ、微動だにしなかった。黒いフードをかぶった陰のようなビザンは、昔話に聞くザッハークのようであった。その両目は狂気じみた色を帯びている。


「何の用だ」


ギーヴは静かに尋ねた。


ビザンは―――ただ、嗤った。
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