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□猫の足
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次の日からギーヴは数日ぼんやりして過ごした。陽の光に顔をなでられて目を覚ますのは、不思議と心まで温かくなる気がした。鶏たちも卵を取りに来るギーヴにも慣れたようで、つつかれなくなった。女を手伝って洗濯や掃除、畑仕事に修繕を行い、暇なときは女が絵を描くのをぼんやり眺めた。


自分から毒気が抜けていくのを感じて、こそばゆいような不安な気持ちだった。


部屋に描く場所が無くなったのか、女は長い髪を留めていた質素な木製の飾りに絵を描いた。繊細な模様が描かれた髪飾りは女の黒髪によく似あって、ギーヴが親指を立てて褒めると女は嬉しそうに微笑んだ。

ふと、ギーヴはこれは売れるのではないかと考えた。

女は己の描いたものが売れるなど想像もしていないのだ。不審がる女に片目をつむり、ギーヴは女が絵を描いた髪留めやビーズの飾りを全部預かり、次の日に再び村へ向かった。


村に着き、ギーヴはさて、と顎を撫でた。革袋には女から預かったものが入っている。


―――これをどう売ろうか。


必ず「売る」方法はある。ギーヴが夢を見せた女たちに声を掛ければいい。だが、その考えはギーヴの胸に何か小さな棘で刺されたような痛みを与えた。その痛みが何なのかはあえて追求せず、ギーヴは市場で目を付けた店主に声を掛けた。


「おいおい、そんだけかよ」
「文句があるなら他を当たんな」
「その倍はくれてもいいはずだろ」
「ほら。これで手を打ちな」

文句を言いながらギーヴは金を受け取ったが、内心舌を出していた。思った以上の金額で売れた。店に並べられた髪留めを早速女性客が手に取って眺めている。

足取り軽く市場の道を行くギーヴは、女たちのところへ寄ろうかと考えた。金はあるだけいい。それに何だか気分は上々で、今なら大層実のある空っぽの言葉が吐けそうだ。放射状に道が伸びる市場の中心に立ち、女たちの顔を思い浮かべた。


あの女なら、こっちの道。あの女なら、あっちの道。


ギーヴは首を回して道を確認し、考え、腕組みし、やがてため息をついた。


―――やれやれ。


ギーヴは己に向けて苦笑いし、女の住む家に向かって伸びる道を歩き出した。



次の日の朝、ギーヴが目にしたのは、女と兎。手足を縛られ土間に転がった兎を、ちょっと困った顔をして刃物を手にして見下ろしている。

「おい、何だその兎」

思わず口にして、女のそばに寄る。女はしゃがむと、ササっと土間に指で絵を描いた。いつもながら、女の描く絵は簡潔でわかりやすく、美しい。

どうやら昨日女が絵を描いたものが売れたことの祝いらしい。いつもは兎が罠に掛かれば女が村で売って金にしたが、今回は食べるつもりらしい。

「そりゃ豪勢だが…お前、さばけるのか?」

ギーヴが女と刃物と兎を指さすと、女は情けなさそうな顔をして、刃物をギーヴに押し付けようとした。ギーヴは「おい、俺は嫌だぜ」とわざと大げさに手を振り、逃げようとする。女が赤い顔で刃物を持って追いかけてくるから、ギーヴは腹を抱えて笑った。

結局ギーヴが兎をさばき、女はその様子を眺めていた。ギーヴが斬り落とした足をしげしげ見つめているのを不思議そうにするので、ギーヴは地面に絵を描いて説明した。

遥か西方の国では、兎の足をお守りにすること。財布に入れれば金が貯まり、心臓近くに提げれば健康になり、痛む体の部分に付ければ治ると信じられている事。

かなり手間取ったが、何とか通じた。その証拠に女は疑わしそうに兎の足を見つめている。ギーヴがそれ、と差し出すと、慌ててのけ反って尻もちをつく。再びギーヴは大笑いして、女は怒ったような笑い顔で、手拭いでパシリとギーヴを叩いた。


ギーヴは、自分が邪気もなく笑えることを、久々に思い出していた。



そのころ、沈む太陽を追いかけるように村へ到着した男がいた。深くかぶったフードの下から覗く鋭い視線は誰かを探すかのように揺れている。

ふと、男の瞳が何かを見た。馬を操り、広場の掲示板へ寄る。


そこに張られた「結婚詐欺師」の似顔絵を、男はじっと見つめ、そして―――嗤った。
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