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□黒豹と薔薇姫
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「やあやあ、心の友よ。兄弟よ!」

いつもの大袈裟な挨拶にアルスラーンはにこやかに応えるが、周りの重臣たちは眉をひそめている。シンドラの色男、ラジェンドラ王がアルスラーンの肩をバンバン叩きながら親しげに振舞うのを見て、ダリューンは舌打ちした。

「まったく、本当に俺はあの御仁は好かん」
「まあそう言うな。扱い次第では役に立ってくださる方だ」

ナルサスは涼しげな顔で応えた。


アルスラーン率いるパルス軍と、ダリューンのおかげで王位についたも同然のラジェンドラの立場なら、アルスラーンに最大限の敬意を表してもよさそうなものだが、ラジェンドラの中では立場は同等であった。それどころか、隙あらばパルスを乗っ取ってやろうという意図がはっきりと見えるので、アルスラーンの臣下たちにはすこぶる評判が悪かった。



「心の友よ、今日はおぬしに色々と贈り物を届けに参った」

宴が始まると、ラジェンドラはそう言って、確かに高価そうな贈り物をアルスラーンの前に積み上げさせた。

「さて、あれで今度はどんな難題を吹っかけてくるつもりやら」

ダリューンがつぶやく。

ラジェンドラは大笑いをしながらアルスラーンに話しかけていたが、ふっと真顔になった。


「お前か、ジャスワント」

部屋の隅に控えていた男が、片膝を床についたまま一礼した。

頭にターバンを巻き、褐色の肌を持つ男は精悍な雰囲気だった。このジャスワントは、今は命を助けてくれた恩を返すため、アルスラーンに仕えている。

「どうだ、アルスラーンの役に立っているか」
「微力ながら」

そうか、と呟いて、ラジェンドラは杯から酒を飲み、再び笑いながらアルスラーンと話し始めた。だがその場にいた者で、ラジェンドラとジャスワントの間に流れた不可解な雰囲気に気付かぬ者はいなかった。


宴も終わりかけ、少数の者のみで部屋を移り、再び小さな宴が催された。アルスラーンにダリューン、ナルサス、ラジェンドラと、ラジェンドラが狙うファランギースと、それを阻止しようとするギーヴである。ファランギースを酔いつぶそうとラジェンドラとギーヴが張り合い、お互い負け、床に転がった。アルスラーン達はやれやれ、とあきれ顔を見合わせた。



「時にラジェンドラ王」

ギーヴが眩む目を片手で覆いながら訪ねた。

「ラジェンドラ王は、ジャスワントと何か特別な事情でもおありかな」
「ああ?」

床に伸びるラジェンドラも、真っ赤な顔を扇であおぎながらギーヴを見る。アルスラーン達も談笑を止め、二人を見た。

ギーヴは よっと体を起こすと、水差しから直接水を飲んだ。こぼれた水が首筋に流れ落ちるのを袖で拭い、ラジェンドラを指さした。

「先ほどの雰囲気は、ただの主従関係のものではないな」

ふん、とラジェンドラは鼻を鳴らし、同じく起き上がると、ギーヴの手から水差しを奪い取り、一気に飲み干した。

「それはそうだ。ジャスワントは今やアルスラーンの部下だ。俺と主従関係などではないわ」

そして少し考えて、ぽつりと言った。


「シンドゥラ、そしてパルスか。思えばあいつも数奇な人生を歩むものだ」

部屋にいる人々が己を見つめているのに気づき、ラジェンドラはガリガリとターバン越しに頭をかいた。

「あいつはシンドゥラ人だが、シンドゥラにはいくつもの部族がある。シンドゥラの共通語の他に五十以上の言語が使われていることからもわかるだろう。シンドゥラは、こういった部族をまとめ上げて作られた国だ。同じ人種だし、同じ神々を崇拝するため、内輪もめなどはほとんどないがな」

両手を後ろの床に着けて耳を傾けていたギーヴがにやりと皮肉気な笑みを浮かべた。

「ほとんど…ねえ。施政者側の表現だな」
「何が悪い。それぞれの部族が我らこそ一番と争い合っていたら皆仲よく他国に滅ぼされるわ。国としてまとめ上げるのに、犠牲はつきものだ」


アルスラーンはパルスとシンドゥラの違いについて考えた。己が王となった暁には、奴隷制度を廃し、平等な国を作るつもりだ。パルスには部族も存在しない。だが、シンドラにそれほどの数の部族が存在するなら、それらをまとめ上げ、一つの国として機能させるには、王に相当の実力と人気がなければ厳しいだろう。

実力はともかく、人望はあるラジェンドラだから、シンドゥラの王としては結構適役なのかもしれない、と思った。


「で?それとあんたらの関係とどう繋がる?」

ラジェンドラは胡坐をかき、壁にもたれて天井を見上げた。暑そうにふう、と息をつく。

「ジャスワントはある部族出身で、部族長の息子だった。あいつがまだ小さかったころ、その部族は独立を狙って蜂起し―――消された。俺の父にな」

ラジェンドラはパタパタと扇であおぐ。何気ない話をしているようで、瞳は真剣だった。

「だから、あいつにとっては、俺は仇だろうよ」

そして一息ついて、続けた。



「そして俺にとっては、妹を尼僧院へ追いやった仇だな」


「仇」の話をするにしては、声に少し憂いがあるようで、皆は黙ってラジェンドラを見た。



城の露台の手すりに腰かけ、ジャスワントは夜の空を眺めていた。先ほど見たラジェンドラが、昔の記憶をよみがえらせる。


ジャスワントは苦しげに眉を寄せ、目を閉じた。


初めて上がった宮殿は、自分のいた屋敷とは格が違った。自分を見る白い眼をやり過ごし、ただ部族の再興のために日々を過ごしていたとき―――出会った少女。


ジャスワントが間違えて入った部屋で、少女は驚いて立ち上がり、自分を見つめた。


時折垣間見る王の面影を持つ、十三歳ほどの少女。シンドゥラ人には珍しく薄い色の肌に、整った顔立ち、身に着けた豪華な衣装で王女と知れた。


だが、ジャスワントの目を引いたのは―――少女の顔右半分を覆う、深紅の薔薇が張り付いたような火傷の痕だった。
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