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□霧
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城壁に囲まれた街の中心にある城の一室で、男が窓際に立っている。城のそばを流れる川で遊ぶ子供たちを眺めているのだ。川沿いに並ぶ木々に見え隠れして、飛び込んだり水をかけあったりしている。

そのうち、一人の女性が服の裾をつまみながら、川に入った。子供たちが水をかけ、女性が反撃する。結局女性は服を水浸しにしながら、子供たちと笑いあいながら戦っていた。

男は意識せず顔に笑みを浮かべると、部屋を出ていった。



ジリジリと肌を焼く陽の光を受け、シャプールは手を額に当てて光を遮った。その手の甲も、一瞬で光に刺されるように灼け始める。地面は白く乾燥し、馬が歩くたび砂埃が上がった。道に沿って植えられた木の陰に入ると、面白いほど楽になる。湿気の少ないパルスの夏は、日陰にいればそれほど過ごしにくくはなかった。

白い綿のシャツから出るシャプールの腕は、千騎長らしく鍛えられてたくましく、胸板も厚い。気真面目そうな顔つきは、そのまま性格を表していた。実際、軽薄に遊びまわることの嫌いな人物である。

その隣に馬を並べるのは、そんなシャプールとなぜか気の合う地元の貴族の息子、パルハームである。武人のシャプールのように体を鍛える必要もないし、「文化的生活」を楽しむのが仕事のような貴族と武人は相容れぬことが多いが、シャプールとパルハームは年齢が近いこともあり、子供のころからよく遊んだ。三十を少し過ぎた今も、こうして一緒に飲みに行く間柄だ。

そのパルハームが向かいからやってくる一団に声をかけた。

「名無しさん、川遊びでもしてきたのか」

先ほど子供たちと遊んでいた名無しさんと呼ばれた女性は、両手を子供たちとつなぎ、なんなら足にしがみついて運んでもらおうとするちゃっかりした幼子を叱りながら、白い道路を歩いていた。周りを数人の子供たちが囲むようにして歩いている。

子供たちはシャプールとパルハームの姿を見て、声をあげた。

「千騎長シャプール様だ!」
「名無しさん様、パルハーム様ですよ!」

子供たちはワラワラと二人の周りを取り囲む。

皆濡れた髪が顔にへばりついている。幼子は二人の馬を恐れてあまり近寄らないが、十歳くらいの子になれば、平気で馬の鼻面をなでている。騎馬の民であるパルス人にとって、子供であっても馬は特別な動物だった。

「名無しさん、おぬしもびしょぬれだな。その日焼した様子と言い、とても貴族の娘とは思えぬ」

シャプールが名無しさんを皮肉った。

「シャプール様こそ、兄上とばかり一緒にいて、よろしいんですか?剣の練習でもしないと、万騎長になるどころか百騎長に格下げされません?」

パルハームがやれやれ、と目をぐるりと回して上を向いた。

「おぬしらは会うといつもこうだな。シャプール、十も年下の私の妹の相手はせずともよい。名無しさん、おぬしももう少し口の利き方に注意せよ」

シャプール様から始めたのに、と名無しさんはむくれた。健康的に日に焼けた小麦色の肌に、笑うと白い歯が美しかった。長い黒髪を無造作に後ろで一つに束ねているが、顔つきは確かに貴族的な美しさがあり、パルハームとよく似ていた。

「それで、今夜はどちらへ行かれるのです?お酒か色事か存じませんが、お二人とも三十をこえて相変わらずふらふらと…」
「おぬしこそ結婚せずふらふらしておるだろうが!」

わかったわかった、とパルハームがシャプールの馬の手綱を引っ張り、進ませる。

「名無しさん、夜には戻るから、父上と母上によろしく伝えてくれ」

名無しさんはかしこまりました、と軽く頭を下げると、シャプールにも慇懃無礼に頭を下げ、子供たちにひきづられるようにして去っていった。

シャプールとパルハームは再び馬を並べて進む。陽がはるか遠方の山々に落ち、空は急速に青みを失い、いくつか浮かぶ雲と共に、茜色に染まり始めた。吹く風も、少しばかり心地よいものに変わったようだ。

「まったく、おぬしの妹は相変わらずだな。年長者を敬うということを知らん」
「年寄り臭い言い方だな。あいつが敬わない年長者はおぬしくらいだ」

それが問題なのだ、とシャプールが愚痴る。

「あんなことだから、二十歳も過ぎて嫁ぎ先もなく、施設で子供の世話などしているのではないか。いやそれは立派なことだが、なにも名無しさんが働かなくてもよかろう」

あの子供たちは、名無しさんとパルハームの両親が設立した施設で生活している。おもに隣接する神殿の女官長達が世話をしているが、名無しさんまで毎日世話を手伝っているのだ。

「嫁ぎ先がないわけではないぞ。見合いの話も結構来ているが、あいつが軒並み断ったのだ」

シャプールは思わずパルハームを見た。

「見合いの話があったのか?」
「ああ、我が家と縁を持ちたい貴族や大商人など、いくらでもおる。ま、本当は末の妹のナスリーンのほうが良いのだろうが、父上が気に入ってしばらく手放しそうにない。で、名無しさんの方に話が回ってくる、と。言っておくが、名無しさんがナスリーンより劣るとか、そういう話ではない」
「そう言っているのも同然だ」

シャプールはナスリーンの顔を思い出した。といっても、パルハームの屋敷は何度も訪れているが、名無しさんと違ってナスリーンはあまり部屋を出ることはなく、二、三度見かけただけだ。金髪に陶器のような白い肌で、挨拶をする声も静かで、繊細な楽器のように耳に心地よかった。なるほどナスリーンを娶とりたいという男はごまんとおろう。

「名無しさんも妹御をみならってしとやかにしておればよいものを」

シャプールは頭の中で名無しさんとナスリーンを並べ、ああも姉妹で違うものかと納得がいかない。

「おぬし、本当に名無しさんがナスリーンのようにしとやかに振舞ったらどうする」
「笑ってやる」
「だろう。あいつはあれでいいのさ」


すでに日は落ち、だがうっすらと明るさが残っている空には、ぽつぽつと星が姿を現した。二人の道の先には道路沿いの店々の灯りが地上の星となって瞬き始めた。

「だがまあ、我々もそろそろ年貢の納め時かもしれんぞ。先だって父上が、おぬしのお父上とお会いしたとき、おぬしがなかなか身を固めぬと言って愚痴をおっしゃっておられたそうだ。おぬしにもそろそろ見合い話が行くやも知れんぞ」

パルハームが意味ありげにシャプールを見る。シャプールはため息をついた。


「まぁ…そのうちにな」


二人はそのまま馬を並べ、目当ての居酒屋へ向かって行った。
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