読み物(SF乾海)

□正しい世界
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「行ってきます」

俺はラケットキャリーを背負って、玄関を出た。
朝の空気はまだ冷たく、吐く息は白い。
一気に手が冷えてくるのが分かって、すぐ手袋をはめると、いくらか冷えは治まった。
その瞬間、携帯がメールの着信を知らせたので、ポケットから取りだすと、海外に研究留学で行ってしまった、一つ上の乾先輩からだった。
俺の気持ちが分かるようで、いつだって辛い時や寂しい時にタイミングよくメールをくれる。
今日だって、練習試合の結果が余りにも不甲斐なく、落ち込んでいたんだ。

『おはよう海堂、昨日は残念だったな。敗因は自分で分かってると思うからあえて言わないけど、追い込み過ぎは良くないぞ。もう雪は降ってるよな。外で練習ができ難くなる季節だからこそ、今のうちに筋トレに励めよ。後でメニュー送るから』

こういう時、心が繋がっていると思う。
俺はすぐさま返信した。

「おはようございます、先輩。今朝はすげえ寒いです。昨日の晩には雪もちらほら降っていました。メニュー待ってますが、ちゃんと食って寝てください」
 
送信ボタンを押して、携帯をパタンと閉じると、さっきよりも少しだけ心が軽くなったような気がした。

学校はエスカレーター式なので年度末の試験さえクリアできれば、高等部へ上がれる。だから3年になっても部活をしているものは多く、俺もその中の一人というわけだ。
不意に過去を思い出した。
とてつもない才能を持つ先輩たちと朝夕毎日、練習に明け暮れた日々。
それは、俺の心の中で一番の輝きを放つ。想い出にしんみりしていると

「おっす、かいどー」

背中に、何かがおぶさった。
 
「おい、降りろ!苦しいだろうが!」

こいつはクラスメイトの神尾アキラ。
この春に転校してきた男で、気が付けば、俺の隣はこいつが占領していた。
以前の学校ではテニス部の主将をしていたそうで、実力的には俺と同じくらい。
そこから打ち解けて今に至ってる。
今年の大会の結果は、昨年よりも芳しくないので、もう思い出したくもないが、こいつが入ってきたから良い線まで行けたとだけ言っておこう。
 
「そんなに邪険にしなくても言いだろ、マムシー」

俺の背中からひょいっと飛び降りて、近くの石ころを蹴る。俺のことを『マムシ』呼ぶのは二年の桃城くらいだったのに、転校初日から俺のことをマムシと呼んだ。ずっとそう呼んでいたかのように。
 
「マムシ言うな!」

今では慣れたが、やはり良い気はしないもんだ。
片手で出した手套を難なくかわされ、逆に俺の手頸を掴んだ。
 
「へへッ!朝練前にコート使うんだろ。早くいかねーと、朝練始まっちゃうぜ!」

その時、脳裏に掠めた不思議な映像。
誰かが俺の手頸を掴む。
なんだ、これ。 
目の前にいる、誰ともわからない試合相手。

ダブルス・・・?
  
<さぁ・・・反撃・・開始だ・・・・・>
 
胸の奥が痛い。
心臓がものすごい勢いで動いているのが分かる
横にいる誰かが倒れていく。
俺はこの光景を知っているし、倒れていくのは・・・
 
「海堂!!」

ハッと気づいて視線を合わせると、心配そうに見つめる神尾の顔があった。

「・・・・わりぃ。ちょっとボーッとしてた」
 
俺の顔を覗き込む神尾の頭をくしゃくしゃに撫でてやると、すぐ機嫌は直ったようだった。

「なんかあるんなら、俺、相談に乗るぜ!」

「あればな」

ゴチャゴチャ言っている間に学校には着いたのだが、結局コートを使うことは出来なかった。
乾先輩から新しいメニューが届いたのは、3日経った夕暮れだった。

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