□三千世界の鴉を殺し
1ページ/1ページ

「三千世界のカラスを殺し、ぬしと朝寝がしてみたい」


土方の腕の中で、沖田が突然そんな事を言い出した。
「なんだそれは」
「江戸で流行った都々逸(どどいつ)ですよ。知りません?」
「知らねえな、どういう意味だ?」
沖田の艶髪を指で梳きながら問う。
少し寒いのか、沖田はもそもそと布団に潜り込んだ。
「朝から騒々しい世の中全部のカラスを殺して、あなたとゆっくり朝寝がしたいと言う意味です。朝になったら帰ってしまうお客さんと遊女さんの事を唄った都々逸ですよ」
「ほう、なかなか粋じゃねえか」
「土方さんの俳句よりは良い出来ですよね」
「お前は一言余計だ」と、コツンと小突いた。
沖田がえへへと笑い、土方の厚い胸板に頬を寄せた。
とくんとくんと優しい鼓動が聞こえてくる。
「でも、なんだかわかる気がするなあ」
「なにがだ?」
「遊女さんの気持ち。私も朝になれば、自分の部屋に戻らないといけないんですもん。たまには土方さんとゆっくり朝寝がしたいです」
沖田はぷうっと膨れた。
その膨れた頬を土方は突ついた。
子供のように柔らかな頬だ。
「そんなにかわいい事を言うなよ。それに朝早く帰らなくてもいいじゃねえか」
沖田はいつも自分が寝ている間に、夜明けとともに自室へと帰ってしまう。
そして朝餉の時間になれば、また自分を起こしに副長室へやってくるのだ。
どうせまた来るのであれば、そのままここに居ればいいのに。
その方が効率的ではないか。
「ダメですよ。隊士達に示しがつきません」
困ったような顔で沖田が笑う。
「…という訳で、私は部屋へ帰りますね。土方さんはもう少し寝ててください。また後で起こしに来ます」
名残り惜しく軽い口づけをし、沖田が布団から出て、部屋から去って行く。

「三千世界のカラスを殺し、ぬしと朝寝がしてみたい、か…」
馴染み客が帰った後の遊女はこんなに淋しい気持ちになるのか。
隣りには今まで横で寝ていた沖田はもういない。
彼の温もりも、時間と共にすぐに消えてしまうだろう。
自分もまるでその遊女になってしまった気分だ。

まだ沖田の温もりがある布団を抱いて、土方は眠りの深淵へと落ちた。



***
この都々逸は高杉晋作が詠んだらしいです。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ