心なき狗と、名の無い死神と。
□飴と鞭、妹と師。
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「…龍にい、と呼んでも良いですか?
………如何したんですか急に咳き込んで。私、薬を間違えてしまったのでしょうか?」
「ゲホゲホッ…あ、暗里、其の呼び名は」
「龍之介さんと呼ぼうと思ったのですが、折角ですし龍之介お兄様でも宜しいのではと思い、其れは其れで長ったらしい気もしたので省略して龍にいと呼んでみました」
「龍にい…っくく」
太宰が隣で必死に笑いを堪えている。
「…駄目でしょうか?」
挙げ句の果てに上目遣い。
「だ、駄目では、無い。だが…だが……っ」
「……?」
唸る僕の前で暗里が不思議そうに首を傾げた。
「…別に、暗里の自由にすれば良い」
「有難うございます、龍にい」
「ッゲホ!!」
「くくっ…暗里、芥川君の治療が終わったらやろうか」
「はい、太宰さん」
「私の事も治兄と呼んでも善いのだよ?」
「…?何故太宰さんを『治兄』と呼ぶ必要が有るのですか??」
「……」
暗里は、芥川以外の人間にはほぼ興味を持たない少女だった。
「お願いします、太宰さん」
治療も終わり目の前には暗里と太宰、二人が立ち並ぶ。暗里は自分のヴァイオリンを素早く大鎌へと変え、構えた。
「……来い」
「はい」
急激に場の温度が寒く、重くなって行く。
何時始まっても可笑しく無い中、動き出したのは暗里だった。
「遅い!」
切っ先に太宰の指先が触れるのを寸前で防ぎ、大鎌を足台にして後退する。
かと思うと、其の儘の勢いで前へと駆け出した。
(其れではまた太宰に防がれるのでは……)
同じ様に大鎌を太宰へと払い、其れを軽くかわした太宰の黒い前髪が数本宙を舞う。
「今の動きは悪くはない、だが」
「誰が其れで反撃を終了すると言ったんです?」
「…な」
払った大鎌が地面に突き刺さる程の威力は、足のハイヒールに移っていた。
何とか腕で防ぐ太宰は数十cmは動かされた様に見える。
「……なるほど。」
もう一度、蹴ろうとした片脚をピタリと止めて大鎌を地面から引き抜く。
既に態勢を立て直した太宰に追い討ちを掛ける事は不可能だと悟ったようだった。
「見ない間に随分腕を上げたな。其の、冷静で冷徹な頭脳も」
「太宰さんのお陰ですよ」
「だが、まだ甘い」
太宰が動き出すとは思わなかった。
当然暗里も大鎌を持ち直し、見逃すまいと低く構える。
「…だから甘いと言っているんだ」
伸びた手先に触れられると拙い。
そう言うかの様に大鎌を後ろに下げ向かう拳を片腕だけで受け止めた。
「ッ…」
無表情だった暗里の顔が少し歪む。
だが直ぐに身を翻し脚技で太宰の横腹目掛けて打ち出した。
「…ふん」
其れを太宰は軽く受け止めしっかり掴むと、拳が暗里の腹に命中させる。
吹き飛んだ暗里は先程の僕の様に壁に叩きつけられ、口からは一筋の血が滲んだ。
「……っ…」
(暗里……!)
それでも暗里はよろりと立ち上がり、無表情な其の顔で太宰を見据える。