薄桜鬼

□秘密の架け橋
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(先生、先生)

そう呼ばれれば呼ばれるほど、鬱陶しかった。ちかくにからだを寄せられて、太陽のにおいに似た健康なからだを、肩にもたれかけられた時なんか、突き飛ばしてやろうと何度思ったか。勘違いしないでほしいが、俺はあいつがすごく好きなんだ。





「土方先生。今日の古典で質問したいところがあって」

「ああ、悪いな。今は無理だ。忙しいからまた今度な」

「え…でも、おとといもそう言って、今度みてやるからって…」

心底がっかりしたみたいに、古典の教科書を胸に抱いたまましおれてしまった。

「仕方ないだろ。ひとりの生徒にだけ毎日毎日つきっきりにできるわけないんだ」

学習意欲のある善良な生徒に、教師としてもっと気の利いた返答はないのか。

「すぐに質問する前に、まず自分で考えてみたのか。なんでも訊けばいいってもんじゃないんだ」

「ごめんなさい…」

教科書を握る指先に、力がこもっているのがわかる。知ってるさ。古典は俺との架け橋だってことくらい。
それでも、冷たくあしらうしかないじゃねぇか。

『あ、土方先生。今いいッスか?こないだの古文なんスけどぉ…』

「おう。かまわないぞ。どこだ?」

俺は陰でなにを言われようがかまわねぇ。それに、案外おとなは漫画やドラマのような噂話なんて信じたりしないものだ。そんなつまらない噂話に一喜一憂して、ばか騒ぎができるのは学生のうちだけだ。


(知ってるか?斎藤ってさ…)


冷たくあしらうしかないじゃねぇか。あいつが大切にしている俺との架け橋を、ずっと遠くに架けないと、あいつを守ってやれねぇんだから。

「っ、失礼します…」

案の定、とびっきりの傷ついた顔をして、あいつは俺から離れて行った。




「よし、と…これで今日の分は片づいたな」

パソコンの電源を落とした俺は、イスの背もたれに背を預けて思いきり伸びをする。

「あら、お疲れのご様子ね。土方センセ」

「ああ、君菊先生…お疲れさまです」

「お疲れだからって、ちょっとかわいそうなんじゃない?」

「なにがですか、俺がですか?」

生徒たちから断然人気のこの女性教師は、俺の隣の席で仕事をしている。

「違います。先生の仕事虫には呆れてものもいえません。自業自得なんだから、慰めたりはしませんよ」

美人だが、けっこうハッキリものを言う。でも嫌いではない女性の一人だ。

「さっき見てましたけど、今どきあんな可愛い子、いませんよ?斎藤君?でしたっけ。先生のクラスの。よく先生のところに古典の質問に来てるの見かけますよ。先生を見つけると嬉しそうな顔をして…よっぽど先生と古典が好きなのね」

女性というのは鋭い。あいつの嬉しそうな顔なんて、見分けられるのは俺だけだと思っていた。思いがけずヒヤリとした。

「それなのに土方先生ったら、かれのお願いを無下にして。まじめで良い子な斎藤君がかわいそうです。あんなに先生を慕ってるのに」

そりゃそうだろう。俺とあいつは、ただの教師と生徒の付き合いじゃないんだ。とっくに慕う域を越えてんだ。だから、あいつにはおとなの付き合い方を覚えてもらわないとだめなんだよ。
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