薄桜鬼
□if~明治編
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「新八…」
「すまねぇ!豆腐切らしてた、すぐ買いに走ってくる!」
「新…」
「風呂、入るか?すぐ沸かすからな!」
「……」
ようやくひとつ屋根の下、落ち着いた暮らしができるようになったというのに、斎藤は永倉の自分に対する態度が気に入らない。こちらから声をかければ、まるで先回りするかのように勝手に話を打ち切って、ろくに顔も合わせない。
永倉は、近所の道場で子供たちに剣術の稽古をつけている。この日も家に帰った早々、汗でびっしょりの稽古着も脱がないまま風呂をせっせと沸かしていた。風呂釜の前にしゃがみこんで、息を大きく吸い込んで風を送っては薪の具合を調整している。時折こめかみを伝う汗を袖で拭って、また薪をつつく。真白の稽古着はすっかり汗を吸って、彼の背中に張り付いている。
斎藤は、その背中に向かって言った。
「新八」
「おう、もうすぐ沸くからな」
風呂釜からは、湯気が立ち昇っている。そろそろいい湯加減のはずだ。永倉は風を送るのを止めた。
「新…」
「近頃、剣術をやる子供も減っちまってよ、道場の数も減って昔みたいに威勢のいい気合いの声が聞こえなくなっちまった。時代だなあ…剣術ももう流行んねぇのかな」
余った薪を片付けながら、寂しいもんだなと呟いた。
「でもよ、新選組の武勇伝を聞かせてやると子供たちの目の色が変わるんだよ」
永倉は子供たちに、新選組の活躍を話している。自分の体験を面白おかしく講談話のようにして聞かせていた。永倉は燃える薪を見つめたまま、背後に立つ斎藤に話続ける。
「新選組は賊軍だーっていう子もいるんだな、やっぱり。まあそうだな、間違っちゃいねぇ。錦の御旗に弓引いちまったんだから、間違っちゃいねぇや」
手元の薪同士をカンカンと打って弄びながら言った。焔が永倉の頬を真っ赤に上気させている。
「だけど、俺たちがやった事だって間違っちゃいねぇ。新選組はただの殺人集団だと後世に伝えられちまうのは、俺は嫌だ。最後まで忠義を貫いた、誠の武士だったんだぜってさ。そしたらさ、すげーって、目を真ん丸くしてもっと話してくれって」
斎藤は黙って話の聞き役に徹した。少しでも、永倉の考えている事が知りたかった。
「まあ、俺が新選組の二番隊長だったって事を信じてるかどうかは微妙だけどな」
くっくっと背中を丸めて永倉は笑った。「よっこいせ」と言いながら立ち上がると、
「それでさ、俺とどうも反りが合わなかったのが三番隊長で居合いの達人だった斎藤一ってやつなんだって言ったんだよ」
「なっ…!」
思いがけない自分の登場に、斎藤は唖然とした。斎藤は永倉とは反対に、新選組の事は他人にあまり話さなかった。隠しているわけではないが、話すと色々面倒だと思ってしまう。もちろん永倉も承知しているから、外では斎藤一の名は出さぬようにしているはずだった。
「だけど実は斎藤は…」
「俺の名は出さぬ約束だろう!」
ましてや同じ家に住まっていると、子供に知れたらますます面倒くさい。黙って聞き役に徹するはずが、つい怒鳴ってしまった。自分の短気を呪う。もしや永倉は、自分のこういったところが嫌いなのかも知れないとさえ思った。彼の言う通り、元々反りが合わないのだ。
けれどそんな斎藤に対して永倉は、
「風呂、ちょうどいいから先入れよ」
汗水くの顔が振り返ってけろりと言うから、斎藤は腹が立つ。ぷいと踵を返して、奥の部屋に姿を消した。
「あ、あれ?斎藤?」
残された永倉がキョトンと立ち尽くしていると、勇ましい足音がしたと思ったら、手拭いと新しい着替え一式を投げつけられる。永倉が咄嗟に受け取ると、
「あんたが先に入れ。そんなに汗まみれでいられたら迷惑だ。汗も拭かないで、風邪でも引いたら知らぬからな」
斎藤は一息にそれだけ言うと、また踵を返して行ってしまった。
案の定、永倉は風邪を引いた。