質素な丸テーブルが一つに長椅子が二つ、ベッドがあって窓があり、ドアがある、といった、何の面白みもない部屋では書物が唯一の友となるのも仕方なし。陽の出の時刻を過ぎているとはいえ起床の時間にはまだ早いのだ。もう一度眠気が訪れてくれないだろうか、なんて淡い期待をして、ベッドから身を起こして、壁にもたれかかって、とりあえず本を読んでいた。横を見ればいくらでも積んである本。こんな味気ない死角い世界に押し込めた張本人が用意した本、これが中々興味をそそられてしまう。



 がつがつというかがつんがつんというか。骨に響くような強さで突かれた後は決まって動けなくなる。身動ぎしただけで腰が悲鳴を上げるからだ。ベッドに倒れ指一本曲げるのも億劫で、独特の腰痛にまいっていたら、そいつはばらばらと、上から落としてきたのだ。ペーパーバッグからハードカバー、果てはカラー図鑑を。雨と呼ぶにはちょいと重た過ぎる降り注ぐ紙の塊。スタンドでガードしようとすれば、同じくスタンドによって封じられた。あとはもうあっという間。本の海に埋もれていった。分厚い図鑑が頭に当たって痛い。ページが顔面に被さって息が苦しい。それ以上に、本の匂いが懐かしい。古い匂い。インクの匂い。活字を見るのは久しぶりだったから、抑え切れない嬉しさを、本で顔を覆うことで隠し、目だけを覗かせ、そいつを見上げた。いまだ多くの本を小脇に抱えベッドの横に立つそいつを、何のつもりだ、と牽制した。牽制、しようとした。ああ、あの表紙、日本では絶版になったやつじゃあないか? 

 「おねだり顔が上手くなったじゃあないか承太郎」
 「んなもん上手くなってたまるか」

 完全には言い返せなかった。無様に飢えた眼差しを送っていたと思うので。だって読みたかったのだ、そこは否定できなかった。そいつが手に持つ幾冊もの本を目で追っていた。

 「どうせ退屈に殺されそうな毎日だろうと思ってな。わたしのいないあいだは」
 「う」

 投げ渡される一冊。また一冊。もう一冊。

 「こいつらで、せいぜい拙い知識を、詰め込んで、いればいい」
 「ぐ」

 ぽいぽいと放られて、

 「窓の外なぞ見ずとも、な」
 「ぐあ」

 区切りごとに追加される重み。生身の腕での抵抗も虚しく押し潰された。この扱い、もはや切れてもいいだろう。てめえおれはともかく本は貴重なんだ大事に扱えと反撃しかけ、暴れた腕は宙を掠めた。そいつは部屋から消えていて、影も形も残っていなかった。一杯くわされたみたいで腹が立つ。何が知識だ、お互い趣味が合うわけがない。この本だってろくでもない内容の……悪趣味な…………腰の痛みもどこかに吹っ飛んで、ページを捲る手は一日中止まらなかった。読後の感無量に浸って、最後の奥付まで見ようという気になって、そこを開いた。そうしたら、はらり、と何かが落ちる。しおりかな、と拾い上げて、固まった。

 「これ、は」

 遠く離れた国にいる人の姿が今、手元に。偽造でないことぐらい、スタンドの視力を使わずとも分かっていた。この人のこの明るい笑顔は間違いなく、

 「おふくろ」

 母のやわらかな温かさは変わっていないながらも、顔周りは少し痩せて、どこか寂しそうだった。だが生きている。自分の足で立っている。

 「そうか……元気で」

 ただ窓の外を眺め異国の空に空想を描き、見えもしない人々を想うよりは、この方が確実に確かめられて、安心できるだろう、と奴が肩を竦めて苦笑する、そんな光景が脳裏に浮かぶようだった。昨夜の、気遣い無縁の、無茶苦茶なあの行為が鞭なのだとしたら。こいつはまるで。

 「まるで飴の大盤振る舞いだな」

 慈悲だとか施しだとか、薄っぺらなお情けを受けることは絶対に嫌だけれど、これはそういうのではないんじゃあないか、と思った。きっと、これを映したいと強く強く望まなければ映らないものだろうから。わざわざ念じて手に入れて、ぺたぺたとセロテープで本に貼ったのかと、そう思うと、手のひらに乗せたそれを長いこと見つめてしまっていた。

 本の最後に貼りつけられた紙、一枚。本を一冊読み終えるごとに、増えていく。昼寝中のイギー。地図を見つめて語らうポルナレフと花京院。カイロの市街で聞き込みをするアヴドゥル。祖父にいたってはハーミットパープルでカメラをぶっ叩こうとしている瞬間だ……撮るやつはまた撮られるやつでもあるという茶目っ気に笑った。盗撮写真と言えば聞こえは悪いが、関わった者達の安全という、交わした約束が守られている、確たる証。

 懐柔の手段にしちゃあ上手いことをしやがる。

 読む前に本の後ろを開いて回収したって良い。のに、そうする気は起きず。高く積み上げた本を、ひとつひとつ読んでは最後に現れる紙の中の、家族や友を撫でることが楽しみになった。



 次は誰だろう、スージーQおばあちゃんか、もしかしてあの放浪癖の酷い親父か、案外ローゼスのじいさんかも、と被写体に思いを馳せて、この日も本を読み進んでいた。

 「ん」

 空気の流れが変わった。さざ波のように微々たるものだったけれど、逃すことなく気付き、顔を上げた。読書の世界から戻ってくる。物語は佳境に差し掛かっていて、いいところだったのだが。だけど今は、続き気になるそのページを閉じ、中断する。小さな気配の変化にも敏感にならざるをえない。この館において、警戒し過ぎるということはないのだ。ほどなくして予感は的中した。静かだった部屋に騒音が転がり込んでくる。それは窓硝子の割れる音として鼓膜を攻撃してきた。スタンドの手で耳を塞ぐ。一体何が、と動じる前に、捉えていた。今まさに転がっている最中である、輝く金色……に混じった、艶やかな赤い色を。

 この館、人の出入りはあるが、基本、こちらの生活圏内に足を向ける者はいない。上司からの命令なのか、わざわざ会いたくないと考えているからなのかは不明だ。それで結構だった。見せ者にされるのは真っ平、訪問者がいないのはちょうど良い……と言いたいが何にでも例外はあるものだ。当の『上司』こそがこの生活を支配している。これからはここが貴様の世界だ、と至極当然のように言い放った男。自らが「くれてやる」とあてがった部屋に入る際は、たとえ真夜中だろうと時を止め無断侵入するし。不眠に苛ついたから内側から家具でバリケードを築けば一蹴りの『ノック』で吹き飛ばすし。と、元々からして手段を問わない破天荒だった。

 今日は一段と派手だな。

 完全に冴えた。こうなればもう寝直せない。とんだ入室の仕方もあった。普段、周りから冷静沈着と評されるが、今は乾いてもいない目を数回まばたかせるくらい驚いている。本を持ったまま、ベッドから腰を浮かせたのもそれなりに動揺していたからだ。窓際……正確には、かつて窓のあった場所まで、ゆっくりと近付いていく。飛び散った硝子片を裸足で踏まないよう、油断なく。

 「初めて見たぜ。体を張ってのノックなんざよ」

 砕けた破片の真ん中に在る男をじっと見下ろした。

 文字通り、騒音と共に転がり込んできたDIOは片膝をつき、俯いている。肩は大きく上下して、荒い呼吸の音も聞こえる。それに耳を澄ませているうち、血溜まりができあがっていき、床の硝子は赤く深く、染まる。額を伝いいきおいよく溢れる鮮血、露出した肌よりしゅうしゅうと立ち上る煙。どれも等しくDIOから噴出している。視界に飛び込んだ赤色は、頭部からの出血だったのか。理解し、頷き、窓枠を見やる。カイロの街並みが広がる景色、その遠くの方が白い。部屋に陽が射すほど明るくないながら、既に太陽は顔を出している……日光が最大の弱点である吸血鬼は怪我を負った体で、物影から物影へ、ザ・ワールドを駆使しここまで帰ってきた……DIOの体が焼けているのは、つまりそういうことなのだろう。

 運がねぇな。てめーも。

 スタンドの脚で飛び上がった末よりにもよってこの部屋を選ぶとは。DIOは相当焦っていて、何を考える余裕もなかったと見える。己が囲う存在、同時に、己の首を掻っ切る可能性もある者の元へ、来てしまうのだから。

 満身創痍のていで帰った場所におれが居るってのは、どんな気分なんだろうな。

 DIOを見下ろし、傍らにはスタンドを出現させる。

 今ならやっつけられる、というやつだが。

 試す気は全くなかったのだが、なおもあからさまな行動を取ってみる。DIOへ向けてかざした手で拳をつくる。一心同体のスタンドと共に握った拳。攻撃すれば大抵のものを破壊する、凶器と言えるそれ。十分に射程距離内だ、DIOの急所に突き付けているのと同じだろう。だがDIOは、応戦しない。見えていないのか、それとも? DIOが弱っていることは感覚で分かっていた。見た目の酷さや失血の多さから判断したんじゃあない。理屈じゃあない。肉体の繋がり、星型のあざが伝えてくる。今がチャンス、叩くならこの時、と、急かしてくる。

 血に汚れ痛々しくぐらついている金髪、その脳天にこの拳、振り下ろせばそれで全てが終わる。自由を目前に、深呼吸して、目を瞑る。スタープラチナに意思を込める。

 「ここで終わるなら百年の人生もサビシイもんだ」

 いいや人を辞めたお前には『人生』ですらなかったか。そうして、感情のこもらない平坦な声を動かぬDIOへと降らせ、視界を開けた。

 「やれやれだぜ」

 ベッドの脇からスタープラチナに取ってもらった学帽を被る。

 「ちっとも清々しくねぇ」

 これほど締まらない勝ち方もない。

 「DIO」

 ぴき、と何かが鳴った。何だろう。膝に手を置おいてさらに屈み、伏せられている顔をよくよくうかがう。するとまた、ぴきぴきと鳴る。DIOが歯を、いや牙を噛み締めている音だった。DIOと呼ぶ度に噛み鳴らしている。あくまでも、自身の呼び名に対し反射的な反応をしているだけであって、こちらの呼びかけそのものは聞こえていない、脳に届いていないのかもしれない……だったら届くまで呼ぶだけだ。

 「DIO、DIO……DIO。DIO」

 ぴき、ぱき、ぎり、かちり。呼んだ分だけ、DIOの牙が削れる。

 「DIO。もうすぐここも明るくなる、ぜ」

 やがて朝が来る。硝子のない窓から砂っぽい風が入り、血で濡れた金糸を撫でていっても、やはり返事はない。そうか、確か頭は致命傷になり得るのだった。カイロの街中で戦ったことを振り返る。DIOの意識が混濁としているのもそれが原因か。会話が成り立たないのは面倒だった。一息吐いたあと一瞬もためらわず、DIOの襟首を掴んで思いっ切り、放り投げた。無様に体を打ちつける、こともなく、受け身を取ったDIOがくうッと力ない声を上げた。いよいよ視覚も麻痺し始めているのか、目眩を払うように頭を振れば、新たな血がこめかみから零れて、一滴、二滴と、赤い海の足しになっていく。

 「てめーが死ぬのはてめーの勝手だが、目の前で自殺されるってのは美味くねぇからな」

 DIOが死ねば母は人質の状態から解放される。閉じ込められた生活ともおさらばできる。しかしこんな終わり方、納得がいかない。どうしても見過ごせない。一個人としてのわがままだけれど。今日まで散々好いように扱われてきたのだ、引導は、この手で渡さなければ。それも真っ向勝負でないと、身の内を焼く闘志は満足しないし、この先一生嫌な敗北感が付き纏う。だから、だ。だからひとまず、太陽光の当たらない死角、部屋の片隅にぶん投げてみた、はいいけれども……さてとどうしよう。祖父のように吸血鬼の生態には詳しくないが、傷の再生が遅れているのは血が、他者の血が足りていないからだというのは何となく想像できた。重傷のDIO、激痛に苛まれるDIO、癒しの糧がすぐにでも欲しいに違いない。

 現在、館に献身的な女達はいない。先日、みんな、逃がしていた。



 DIOに吸い尽くされることこそ至福と感じる女ならば、好きにしろというスタンスで放っておくのだが、その日見たのは日本で言う中学生にも満たない少女ばかり。事情も知らぬまま売られてきたと分かる彼女達を見過ごせるほど心は冷めていなくて、全員を館の外へと追い出した。DIOの派手過ぎて悪趣味な装飾品を持たせ、街の外れにいるジョセフという男を頼れと伝えて。

 「食糧庫が空になったぞ」

 即ばれた。それはもうすぐにばれた。ばれるかばれないかどちらにしたって端から隠すつもりもなかった。だからDIOの眼光と正面からぶつかり合った。あっちこっちからちまちまと吸っているんじゃあねえぜジョースターの血があれば十分だ、ジョナサンの体を間借りしているお前には、と言い返しながら、こう言えばDIOは怒るだろうなと思っていた。折檻だ、と美しく醜悪に嘲笑い手酷い仕打ちをするだろうと。それを受ける覚悟もできていた。なのにDIOは表情をぱっと変えた。

 「悪い子だ」

 ガキを叱る声で、だけど顔は笑っていて……ザ・ワールドに手を取られる。持ち上げられた手はそのままDIOの手のひらの中へと包まれた。

 「わたしに、貴様の血だけで腹を満たせと言うのだな。仕方のないやつだ」

 困った困ったと嬉しそうに言うDIOは、この指へ自分の指先をくっ付けて、そこから吸血した。ほんのちょっと。ちょこっとだけだ。御猪口一杯分ほどのごく少量を、ずきゅん、と。



 なんだ、それ。それだけでいいのかと拍子抜けしたら、DIOは何にも言わず睫を伏せるだけだったか。あれ以来、館に女の影はない。自らがああ言ってしまったからにはケツを持つべきだろう。ほれ、と手を出した。指ではなくて、もっとイイ箇所、もっと太い血管の通る手首から吸えばその傷も癒えると考えて、DIOへ見せる。

 「失せろ」

 苦痛を滲ませた低い声。DIOが唸り、世界は止まった。誰も、時など止めちゃあいないのに。

 「寄るな」

 時間の流れを思い出し、ハッとしたところへかかる追撃。差し出していた手首がとても呆気なく、折れた。来い。傅け。乗れ。出るな。行くな。傍に。ここに。いればいい。全部DIOが言った。DIOに言われた。時に殴られ、時に囁かれて、言葉で態度で、床でベッドで、繰り返し言われ続けてきた。それが、何だ、いきなり突き離されてわけが分からなくなる。何よりも、ショックと感じたことが一番ショックだ。情けないことだがひりつく喉を必死に動かして問い返す。

 「おれに助けられることが気に食わんのは当然だが、てめぇ、灰になるぜ」
 「だめだ。来るな」

 何を言っても遮られ拒まれる。それでも、DIO、と呼ぶ。呼べば、DIOはあいかわらず牙を鳴らして威嚇めいた反応をする。手負いの獣相手なら、目線は同等がいいだろう。とうとうDIOの前に膝をついた。いっそう距離が近くなり、合わせてDIOの拒絶はほとんど懇願めいていた。

 「近寄るなったら」
 「いいか、DIO」

 一旦言葉を切る。二呼吸、必要だった。腹の底から、怒鳴るためには。

 「てめぇが! おれに! それを言うんじゃあねえ!」
 「く、あ」

 人からフツーの生活を奪っておいて、狭い空間で雁字搦めに縛っておいて、傍に在れと真っ直ぐな目で言っておいて、本を読んでいてさえ身内の写真を撫でていてさえ『DIO』を、お前のことを思うようにさせておいて。

 「それだけは……言うな」
 「ぐうッ」

 たった一度の拒絶がどうしても許せなくて、無性に遣る瀬無くて、DIOの胸倉を掴み上げた。されるがままDIOの頭ががくんと揺れて、瞬間、目と目が合う……今日初めてのことだった。朝も昼も夜も妖しく輝くDIOの瞳、それが一段と異様な色を見せるので、息を呑んだ。虚ろなようでいて、違う。焦点は定まっている。DIOは、ちゃんと見ている。何を。いや、どこを……この首筋を。気付いた時には遅かった。視界が弾けて、ちかちかと点滅した。次いで鈍く痛み出す後頭部に、頭を打ったこと、なぜなら押し倒されたからだということを教えられた。腹筋で起き上がろうにもDIOが上から圧を加えてくる。人間の力では到底敵わない凄まじい怪力に、押さえつけられている鎖骨が軋む。スタープラチナでも引き離せない、となると、さすがに青褪めた。理性のないDIOの眼球がぎょろぎょろと動き、皮膚の下の血流を探していた。強烈な生存本能がDIOに正気を失わせている。そこまで推察し、そしてそこまでが限界だった。

 「あッ、あッ」

 吸血が始まる。それも、本気の吸血が。

 「ううッ」

 首の皮膚を突き破り入ってくる指が五本。これに比べたら昨日までのはお遊戯に過ぎなかったと思い知らされた……指と指の触れ合いで幸せそうだったDIOは己の欲求にどれほどの我慢を課していた?

 「ん……う」

 呻くのを耐えられたのもわずか数秒。

 「ぅあ! ああ、ぁああッ」

 声帯を酷使し口を突いて出て迸る声がうるさいと思う。だが止められない。DIOも息を乱し、髪からは血を、鼻筋からは汗を落として、血に集中している。

 「熱い、ぞッ……ああ、馴染んで、満ちる……満ちる!」

 首を仰け反らせて喘ぐ姿は綺麗だった。割れていた骨が修復し裂けていた肉が繋がり汚れ乾いていた金糸は艶を取り戻し、削れていた牙までもが美しく整っていく。

 「もっとだァ」
 「あッああッ」
 「ふ、ふ、もっと、さあ、おれに生きる力を」
 「あッ、てめぇの、中に」

 熱い体の中に入る。血が、自分自身の一部だったものが、DIOの中へ、どんどん入っていく。その感覚は想像を絶する快楽だった。上から落ちて口元に付くDIOの汗を飲み込んだ。甘い。舌舐めずりをするDIOに呼応して唇が開く。気持ちが良い。良過ぎる。死にそうになる。死んでもいい、と思わせる快感。このままでは……死ぬ。目を見開いた。冗談じゃあない。死んでたまるか。いやだ。死ねない。死なない。やりたいことが沢山ある世界で、生きていたい。いつか自由に、生きたい。衝動に突き動かされとっさに上げた腕。さっきからずっと持っていたものを、スタープラチナの助力も借りてDIOの頭目掛け、全力でぶち当てた。

 「オラァ!」

 手応えはあったが効果のほどはいかに。薄れていく思考をどうにか繋ぎ止める。

 「ぎゃんッ」

 動物の鳴き声、犬か、あえて例えるのなら狐か、まあそんな感じで一声上げて、あれほど抗ってもびくともしなかったDIOが項垂れる。倒れはしないものの、応答はない。

 「死んだ、か」
 「死ぬかマヌケがァ!」

 ハードカバーはないだろうしかもその角で、と怒っている。おお、その血色良過ぎる赤い唇と人を見下す態度と切れた時の口の悪さ。いつものDIOだ。

 「DIO」
 「なんだ? というか貴様、承太郎、その首は」
 「DI、O」
 「承太郎? おい気をしっかり持て」

 呼べば応える元気なDIOだ。確認したら急に暗闇が広がった。貧血による誘いに乗って、落ちる。



 目覚めの気分は悪くなかった。どうやら上質な枕が敷いてあるらしい。頭にできたたんこぶに優しい柔さを感じる。それと、髪を撫でられている。これにも不快感はない。恥ずかしいが幼い頃にされていたことなので懐かしい。目蓋の裏では光を感じられない。今は夜のようだ。

 「わたしは忠告したぞ。三、四回は言ったぞ。空腹だからこのDIOに近付いてはならないぞと」

 そんな丁寧に説明してくれるような言い方はしていなかったぜ、言おうとして、黙る。薄目を開けて静かに悟った。何を枕にしていたのか。ベッドに座るDIOの太腿は温い。

 「危うく吸い尽くして殺すところだ……貴様を、失いかけた」

 そういう台詞も似合わない弱々しい声音もあまり聞きたいものじゃあなく、目を逸らして薄暗い部屋を見回す。そうして床に落ちているそれを見つけた。無造作に取り残されている本の隣に、薄い紙が一枚。

 「お」
 「あ」

 そういえばあの本の写真、まだ見ていない。

 「今……見るのか。読み終わっていないのだろう、後ででも」
 「気になると眠れねぇからな。本から外れたからには見たい」
 「ううん」

 わたしと居る時はよした方がいいと思うがなァ、と何やら意味深なことを呟いて、今度はDIOが視線を横へと逃す。その妙な様子にどうしたんだいったい何が映っているというんだと、大きな好奇心と一抹の不安を抱きつつ、スタープラチナが持ってきた写真、ぺろんと表に返して、見た。二度見した。その後、釘付けになった意識をようやく引き剥がして、おい、とDIOを剣呑に睨もうとして諦めた。彫刻もかくやという白磁の肌のはずなのに、顔が赤い。耳まで赤い。やめてくれ。伝染しそうだ。

 家族じゃあなかった。友人でもなかった。もちろんローゼスでもなくて。写真の中のDIOは微笑んでいる。熟睡しているおれへ口付けるDIOは、吸血に恍惚としていた時よりもよっぽど満たされた顔だった。



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