小説

IF.F
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その手に意味がなくとも



結社を抜けてからは、時間を持て余していた。

フィアナに付き合う日中の時間の経過はなんだかんだ速い。
だが陽が沈んで人の気配もなくなってくると途端に暇になる。

こんなにもゆっくりと過ごすのはいつぶりだろうか。
結社の仕事がない期間にも、これほど余裕を持った生活は然程記憶にない。


大半の人間が床に就くであろう時間に、借りたホテルの部屋を出た。

ホテルの前にある花壇の縁に腰を下ろし、
街か空かその境界か、何を見つめるでもなく眺めている。

ひんやりとした夜風が出した肌を撫でていく。
指先や顔から徐々に体温を奪われていく感覚。

視界に映る街の景色は、建物の電気が時折消えていくくらいで、
人が通りがかることも、鳥が飛び立つこともない。

昼間の喧騒とは遠い空間、不意に瞼を伏せる。

数アージュ背後、ホテル出入り口の開閉音が耳に届いた。

肩越しに振り返ると、暗闇とは打って変わった夕陽の色を揺らす髪。
肩にストールを羽織り、自身の名を呼ぶ女が居た。

柔らかい笑みを浮かべて数歩近付くフィアナに、僅かに口元を緩める。


「夜中に出歩くのは感心しないぞ」
「いつもそう怒られちゃう」


フィアナは羽織ったストールを胸元で掴みながら、眉を落として笑う。
数歩、斜め後ろに立つ彼女を横目に、レーヴェは再度視線を街へと投げた。


「何を考えてるんですか?」


最近になって、ふとした瞬間に同じ問いをされるようになった。
結社に属していた頃には一度も訊かれなかった質問。

福音計画に関わる内容である可能性を考慮して、
意識的に控えていたのだろう、と今なら推測ができる。

フィアナの発する穏やかな声色はすっかり耳に馴染み、
自分から彼女の影を探すことも増えていた。


「・・・寝付けない時などは、こうして風に当たることが多いが」
「はい」
「最近は、お前が来るのを期待している節があるなと」
「・・・えっ」


振り返りもせず浅い笑みを浮かべて告げた言葉に、驚き混じりの声。

斜め後ろに立つフィアナへ、上半身でだけ振り返る。
腕を伸ばしてやっと指先が触れる程度の距離に立つ彼女へと手招き。

片想いである彼から思いがけない言葉を貰ったフィアナは、
僅かに動揺した様子で数歩の距離を埋める。

更に招く動作を見せるレーヴェに、腰を曲げて顔を寄せた。
ふ、と伸びてきた左手は、指の関節でフィアナの右頬を撫でる。

「っ、え、」と混乱混じりな声に、泳ぐ翡翠色の瞳。

頬に、ほんの少し食い込む手は意外と荒れてなくて、
珍しい行動を取る眼前の男は、感情や意図を読み取れないくらい普通だった。

すり、と頬を撫でた手の甲はそのまま通り過ぎて、フィアナの首裏へ。
夕陽を連想させる髪を巻き込んで、ぐっと肩を抱き寄せる。

お互いの肩が口元を押さえる、座ることによって生み出された身長差。

抱き寄せられた際に僅かによろめいたフィアナは、
レーヴェの肩に手を置き、息を詰まらせていた。


「な、なにか、あったんですか・・・?」


好いた男から、突然のアクション。

困惑の色を滲ませ、声を震わせながら問う。
心臓を掴まれるような感覚に、呼吸もままならない。

背中を丸めたまま抵抗もしないフィアナに、彼が動く様子は伺えない。
代わりに「いや、何も」と、実に、穏やかな声色の返答があった。


「お前に心配されるほどのことは何もない」


理由も意図も何もなかった。
手を伸ばせば届く場所に居る彼女を、意味もなく傍に寄せたかっただけ。

微かに香る柔らかな匂いに、ふと瞼を伏せる。

腕の中の彼女は、緊張からか少し身を固くしていたが、
いつまでも大人しかった。





(声が、あまりにも穏やかだったものだから)
(これ以上の言及は憚られてしまった)

(1分も経てば彼はゆっくりと離れ、
 何事もなかったかのように立ち上がり「戻るか」と告げた)





 
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