もう一度、君と

□第5局
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5月4日。
とうとうこの日がやってきた。

《すー、はー、すー、はー、》

朝早くから電車を乗り継いで東京大都会の真ん中で降りる。
普段は御縁のないような立派なホテルのロビーに私と佐為はいた。
エントランスに入ってすぐの案内板に「北斗杯」の文字がある。
いい天気だ。
外が眩しい。

《すー、はー、すー、はー、》

エレベーターで上がって、普段は披露宴会場として使われているであろう部屋を目指した。
ホテルに行くのだからとスニーカーはまずいと考え少し綺麗めな格好でパンプスを履いて来たけれど、近所を散歩するような格好のおじさんがわらわらと部屋に入って行くのが見える。
なんだ、みんな結構カジュアルだな。

《はあ……あわわ〜、ふう、》

入り口に“北斗杯 大盤解説会 受付”と看板が置かれている。
壁には対戦表が貼られていた。

《すー、はー、すー、はー、》

さて、さっきから落ち着きのないこの幽霊はどうしたものか。

「第一戦目、中国VS日本。初っ端からか」
《はああ……》
「佐為、落ち着きなさいっ」
《だってだって、初めてヒカルから離れて対局を観るんですよっ、大丈夫かなぁ……ヒカルぅ……》
「ヒカルはヒカルにできることを精一杯やると思うよ。あっちはまさか佐為が観に来てるなんて思わないんだから」

また深呼吸してやがる。
中国VS日本。
大将戦は陸 力 対 塔矢 アキラ。
陸はなんだろ。読めない。
副将戦、王 世振 対 進藤ヒカル。
ワン……なんだろう。
三将戦、趙 石 対 社清春。
しょう?ちゃお、かな。
中国語は読めない、流石に。
でもいいの。
東大の試験で中国語なんてないから。
おはようございます、と受付に挨拶をする。
「パンフレットをどうぞ」
と受付のお姉さんに手渡されて、引け腰の佐為を無理矢理引っ張って解説場へと入った。
おお、パンフレットにはちゃんとフリガナが振ってある。
良かった。
どこに座ろうかと考えていると、
「9時に対局スタート、10時から大盤解説が始まります」
というスタッフの声が聞こえた。
ふむ、成程。
そこで佐為が突然、《あ》と声を上げた。
何かに驚いたようだった。

「どうしたの、佐為?」
《越智がいます。ヒカルの院生だった頃の友人で、同時期にプロになった子です》
「ああ、越智康介。棋院のサイトで見た顔だ。よし、後ろに座っとこ」

特徴的な坊ちゃんヘアーだ、良く覚えている。
私達が席に着くと、丁度大将によるニギリが行われた。
結果は塔矢アキラが白。

「ヒカルは黒だね」
《ええ》

場内では他の人も皆同じような会話をしていた。
塔矢が白、ヒカルが黒、社は白。
団体戦の醍醐味というやつだね。

「佐為、見える?あの真ん中のモニターがヒカル。左が塔矢だよ。下から出てくる手がヒカルの手になるね」
《はい。ヒカルは先番ですから、小目に打つと思います》
「右上スミか。佐為がいつも打つのと同じね。あ、打ったよ。小目だ」

右隣に人が座った気配がしたから、佐為が私の右隣へと移動した。
すると佐為がまた《ああっ》と声を上げた。
それも先程よりも少し大きい。
見ると私と同年代くらいの男の子の2人組だった。

「なんだかすごいな、やっぱり」
「ああ……。進藤、緊張してないといいけど」

と話す2人を見て、私は片方に見覚えがあった。

「和谷義高だ」
《ええ。それに伊角さん》
「伊角さんって?」
「え?」
「あ?なんだ?」

やっっっばい、声に出てた。
和谷だ。和谷義高だ。
ヒカルと同期の。
伊角さんって、あれだ。思い出した。
プロ試験全勝の伊角さんだ。

「えっと……、プロの和谷くんと伊角さんですよね、すみません突然。というか、思わず」

いや本当に思わず。

《咲気を付けて》
(あんたが声上げるからだろ)

「俺達のこと知ってくれてるんですね。なんか嬉しいな」
「週刊碁で見てますよ(本物だーっ)。伊角さん、全勝合格なんですよね。おめでとうございます」
「あ、ああ。ありがとう。えっと……」
「あ、私月城咲と申します。今高3で、今年プロ試験受けるんです」
「へえ!プロ試験!外来からか」

と、和谷くん。

《咲、ヒカルが打った》
「お、5手目か。うん、立ち上がり問題なし」
「進藤の応援か?」

これは伊角さん。

「うん、進藤くん。伊角さん、私も全勝合格するんで、楽しみに待っていてくださいね」
「え……あ、うん。凄い自信だね」
「自信じゃない。確信だよ」

(すっげー自信家)
(伊角さんより自信家)

なんて思われていたなんて私は知る由もなく。

「一応塔矢も見ておくか」
《今のところ問題ありませんね》
「うん。安定している」
「なあ、月城……さん。月城さんって、進藤の何?友達ですか?」

と、和谷くんからの質問。
進藤の、何────私はヒカルの、何?

「私は……進藤くんの、ファン。半分はね」
「半分?」
「半分って?もう半分は?」

私(咲)は、ヒカルのファンであり、応援している中の1人。
それでいて共有できる(佐為という)秘密を持っていて、もう半分はね。

「もう半分は、師匠。碁の師匠」
「えっ……」
「師匠!?」
《咲……》
「え、でも進藤の奴、師匠はいないって……」

私は和谷くんと伊角さんと話をしながらも、モニターからは目を離さずに、腕時計と交互に見遣る。
進藤ヒカル、15手目。

「ヒカル、ペース的には問題ないけど、あの黒どうかな。少し微妙な感じが」
《そうですね。緊張しているのでしょうか……。左下の黒、ヒカルらしくありませんね》

会場に入ったばかりの和谷くんも、佐為も、ヒカルの緊張を案じていた。
負けん気が強いらしいからな。
少し硬くなっているんじゃないだろうか。

「なんか……進藤らしくないな」
「和谷もそう思う?大丈夫かな、進藤」

2人の会話に耳を傾ける。
どうやら同じことを思っているようだ。
ヒカル……ここにきて何故か私が緊張してきたよ……。

《咲。塔矢が》
「塔矢?」
「塔矢が仕掛けてきたぞ!」

3人の中で1番始めに動き出したのは、塔矢アキラだった。
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