ボールを繋げ心を繋げ

□1球目
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青葉城西高校3年、及川徹には、

好きな人がいる。


初めて彼女を見かけたのは、バレーボール雑誌に載っていた、「今期待の中学生〜未来のスーパースター〜」という特集記事だった。
U-18大会で彼女は14歳にして出場していた。
東京都代表、ポジションは、セッター。
身長は167cmと低めにも関わらず、アタックも上手ければサーブも上手いらしい。
超正確なトス、このトスなしではエースなし。パワーは劣るものの、正確さや回転の有無、向き、総じてコントロールに長けていると書かれていた。
そこに載っている写真を見て及川は、ただ心から湧き上がった思いを口にした。

「美しい……」

大人びた表情、サーブトス中のぐんと引き締まった集中力を高めた目線。
それと、ポジションは「セッター」。

「運命かも……!」

及川は、自分よりも年下な彼女にすっかり魅入られていた。
その後、暫くして彼女の活躍ぶりを見ようとその名前をネットで調べてみると出てきた情報は、「白石瑞希引退」の文字。
あんなにも強いのに、彼女はバレーを辞めたらしい。
ネットとは便利なもので、嘘か真実かは別として様々なことが書かれている。
チームメイトとトラブル、怪我、性格に難アリ、口が悪い────などなど。
あんなにも美しくキラキラとした表情でボールを追う子が何故辞めてしまったのだろう。
本当に怪我なのか。
彼女は自分の1つ年下だから、これから高校に上がる。
東京に行けば会えるのかなんて不毛なことを考えてしまった自分を鼻で笑い、パソコンを閉じた。
そして都心よりも少し遅れて桜が満開になった今日、青葉城西の入学式を明日に控えていた。
まさか明日、憧れの彼女に会えることを、この時まだ及川徹は知る由もない。


入学式後、それぞれの部活は活動を始める。
校庭を進む及川の行く手には、様々な部活の生徒が行き交う。
パート練習を行う吹奏楽部の楽器の音、ランニングをする野球部、階段ダッシュを行うバスケ部、及川はそういったありふれた日常を眺めることが嫌いではなかった。
新入生もちらほら残っていて、既に部活見学を始めている者や、きっと中学からの仲なのだろう、ただ喋っているだけの者もいる。

「きゃー!及川さん、部活頑張ってください!」
「うん、ありがとねー」

名前も知らない女の子に応援をされ、当たり障りなく返すこの行為も、嫌いじゃない。
でも好きでもない。
そう、なんとも思ってないのだと思う。
門から入ってバレー部の体育館までは少し距離がある。
その距離を歩くこともまた、嫌いじゃなかった。
道すがらには桜の木が何本も植えられていて、その中でも一際大きな木がある。
その、下────。

「…………」

今までならきっと見過ごしていた風景。
桜の木だってたくさんある。
桜なんて毎年咲く。
道を歩く生徒も、自分を見て頬を染める女の子も、いつもならただ通り過ぎるだけの風景。
目にも止まることだってなかったはずのその風景。

「…………っ、」

息が止まった気がした。
その桜の樹の下に立って、それを見上げる女の子は、間違いない。
周りよりも少し高めの身長に、真っ直ぐな瞳。
髪は大分伸びていたけれど、そのスラリとした手足。
真剣な表情。
あれは、半年前に雑誌で見た彼女────白石瑞希だ。
どうしてこんな所にいるのか。
ここは、青葉城西高校で、宮城県で、東京都ではなくて。
まるで幻なんじゃないかと疑うくらいに彼女は綺麗で。
夢を、見ているようだと。
ハッと気付いた時には、もうそこに彼女の姿はなくて、自分は走り出していた。
あの白石瑞希がいた!
青葉城西の制服を着て、桜を眺めていた!
あの憧れた白石瑞希が!
狙った所に百発百中でボールを投げられるあの白石瑞希が!

「岩ちゃんっ!!!」

及川は勢い良く部室の扉を開ける。
はよー、という挨拶に返事をする余裕もなく、及川は岩泉一に詰め寄って捲し立てた。

「青城の!桜の下に!いたんだ!彼女が!いたんだよ!」

なんだようるせーな、と素っ気ない返答であっても及川は気にせず話を続けた。

「あのね、岩ちゃん、聞いてね、落ち着いて聞いて、あのね、」
「うるせー!お前が落ち着け!」

ゴス!という鈍い音が響いて、及川は岩泉に殴られたことを理解する。
すー、はー、と大きく深呼吸をすると及川は順を追って説明を始めた。
幸い部室にはまだ2人しかいなかった。

「半年くらい前の月刊バリボーでさ、今期待の中学生特集がやってたの覚えてる?あそこに載ってた東京の子が、さっき青城の桜の木の下に立ってたんだよ!凄くない!?」
「はぁ?人違いだろ」
「んもう!絶対その子だったんだってば!俺が見間違う筈ない!」

岩泉がどんなに素っ気なく返しても、及川は食い下がった。
岩泉自身、及川がこれ程に目を輝かせて他人を語るなんてあっただろうかと考える。
あながち本当にその子だったとしたら────。

「その子、名前は?」

と、漸く岩泉からの会話の展開。

「白石瑞希ちゃん」

名前は聞いたことあるかも、前に何度か及川が話していたかもしれないと、岩泉は記憶を辿る。

「なんでまた青城なんかにいるんだよ。東京の方が強豪校いくらでもあるだろ」

宮城の県ベスト4と、東京のベスト4とでは、レベルが違うことを岩泉も及川も良くわかっている。
勝ち進まなければならない数が全く違う。
学校数が宮城と東京では大きく違いすぎるのだ。
雑誌に載るくらいの強者なら東京のトップの高校に入る方が自然じゃないだろうかと、岩泉は考えた。
そんな質問を投げかけると及川は意外にも少し目線を沈めた。

「彼女……バレーを辞めたって噂があって。トラブルとか怪我とか、色々言われてて本当のことはわかんないけど……」
「……ふーん」

尚更わからない。
バレーを本当に辞めたのなら。
その辞めた理由も青城にいる理由も訳がわからない。
だからやっぱり────

「人違いじゃねーの?」
「絶対白石瑞希ちゃんだった!!」
「……ふーん?」




それから数日後、及川は彼女を探していた。
白石瑞希ちゃん、白石瑞希ちゃん、白石瑞希ちゃん……。
1年生の教室を手当り次第に覗いていく。
次の教室を覗こうとして入口に立つとそこで女の子とぶつかってしまった。

「あ、ごめんっ」

と咄嗟に謝ってその子の顔を見ると、なんと、あの彼女だった。
そして彼女は自分を見上げて、そこで初めて目が合う────。

「失礼」

と、ただ一言。
白石瑞希から発せられる初めての声を聞いた。
(こ、こここ、こえっ!声聞けた〜っ!)
感動過ぎて言葉にならない。
瑞希はすぐに目を逸らすと、教室から出て行こうとした。
教科書とペンケースを持っているから移動教室なのだろう。
すると何人かの男子生徒がわらわらとやってきて、彼女に声をかけた。

「あ、白石さん。次移動しないで教室待機らしいよー」
「あ、そうなの」

また声聞けた〜!
しかも、白石さんって!名前!やっぱりあの子だ!
あの白石瑞希ちゃんだ……!
と、及川が舞い上がるのも仕方ない。
周りからすればただの女子高生でも、自分からすれば彼女は憧れのセッター、ある種芸能人に会えたようなものなのだから。

「あっ……」

何か話を、と思ったところでチャイムが鳴り、及川は教室へ入っていく瑞希を黙って見送る。
それからも何度も学校で彼女を見かけてはすれ違い、遠目で見つけてもつい目で追って、及川はそうやってずっと瑞希を見てきた。
彼女が何か部活に入ったのか調べてみたけれど、バレー部どころか何処の部活にも所属することはなかった。
どうしてバレーをやらないのか、どうして宮城にいるのか、好きなものは何か、どんな声で表情で自分に笑いかけてくれるのか、知りたいことはたくさんあるのに話しかけられないまま1年が過ぎた。
そして2度目の春がやってくる。
今日も瑞希は桜の木を見上げている。
そしてそんな彼女を遠くから見つめる及川。
及川は3年に上がり、瑞希は2年に。
彼女に出会って1年経って漸く、物語は動き出す。
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