忍足と囲碁
□第2局
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放課後。
忍足くんに連れられてきたのは囲碁部部室。男女合わせて40人程の部活。囲碁部で40人はすごい!流石氷帝といったところか。これを忍足くんに伝えたら、テニス部なんて200人やでと返されたけど。200人って…。
「200人!?氷帝のテニス部って、強いの?」
「んー、まあ強いかな。全国優勝はまだあらへんけど、一応常連校ではあるし。レギュラーになれるんは8人だけやで、みんな切磋琢磨しとるんよ」
「200分の8か……厳しいな」
囲碁部の部室は、忍足くんが来たというだけで、女子の騒ぎようはこれまたすごい。
「2年の忍足くんだ!」
「きゃー!本当だ!隣の子誰?」
「先輩、あの子、こないだ転校して来た人ですよ」
「ふーん」
なんだよ。
何か言いたいことあるなら来いってんだ。
にしても、すごい人気だなぁ。
寧ろ忍足くんを嫌いな人を探す方が大変そうだ。
「この子転校生なんですけど、見学ええやろか?」
「あ、神崎と申します。どうも」
忍足くんに続いて慌てて自己紹介。
「どうも。僕が部長です、よろしくね。経験者?」
「あ、はい」
「棋力はどのくらい?」
「うーん……大会とか出たことないんです」
こちらの世界では、という意味で。
「そっか。うちの囲碁部は結構強いんだよ。海王中と張り合うくらい」
「海王中?」
「あれ?知らない?私立の海王中。今、塔矢名人の息子が入学したって有名な」
「へぇー」
へぇーなんて言ったけれど全くわからん。
塔矢名人すらわからない。
名人のタイトルを持つってことは凄い人なんだろうけど。
その息子までもが注目されているというのか。
海王中を知らないなんて余程珍しかったのか、部長は目を大きくして私を見ている。
中3…だけど、今は年上になるんだよね。なんかやりづらいなぁ。年上、年上。私は中2。
「軽く打ってみる?」
「…いいんですか?。忍足くん、どうする?見てても面白くないかも」
「んー、ええよ、せっかくやから見てくわ」
「そ」
わわ、碁石持って打つのなんて久しぶりだ。仕事始めてからはめっきり打たなくなって、最近なんてずっとネット碁だったしなぁ。
このヒヤリとした感覚。
削れた右手の爪。
社会人になってからは囲碁ができないことから目を背けるように、ネイルをして爪の傷みを隠していた。
でも私は、その爪が誇りだった。
今何年ぶりかにこうして碁石を触って思うことは、ああ、懐かしい。
それと、好きだなってことだけ。
「神崎さん、何子置く?」
「互い戦で結構ですよ」
変にハンデをもらっても困るな。やりづらい。
「互い戦ってなんや?」
と、忍足くん。彼は面白いのだろうか。
「お互いにハンデなしで戦うことだよ。こうして碁石を予め置いてから対局すると、ハンデが生まれる」
「ふむふむ」
「僕がニギルよ」
「握る?あ。口挟まん方がええか、すんません」
「いや、いいよ。神崎さんはわかるよね?」
「はい」
囲碁なんて触れる機会滅多にないもんね。
忍足くんからすると未知の世界、だよね。
「囲碁では黒が先番。どちらが黒を持つか決める時にこうやって握って、相手は手の中の碁石が偶数か奇数か決めるんだよ」
囲碁部の部長は優しい人みたいで、忍足くんにいろいろ解説してくれていた。きっと私もそんなに強くないと思われている。
「テニスでいうところのフィッチだよ。私が偶数だと予想しているから、まぁ、これがスムースだとして、当たれば私が黒。サービスだね」
「成程。神崎さん、テニスもわかるんや?」
「それは人並み程度かな」
大学のサークルで友達に頼まれてテニスしてました……なんて言えないなぁ、絶対に。
「2、4、6…7」
「ラフだね」
「僕が黒、神崎さんが白ね。コミは5目半で」
「はい」
「コミってなんや?」
「先番の黒は有利だから、自動的に白に5目半のコミが付くんだよ。うーん…テニスでいうところの…全ゲームのサービスをもらう代わりに、相手にあらかじめ3ゲームくらい与えた状態で始める感じかな」
「おお、わかりやすいわ。結構有利やな」
「お願いします」
「お願いします」
パチッ…パチッ…と、碁石が碁盤を弾く音。たまらないな、この音。
この部長…きっとこの部で1番強い人だろう。でも…あまり、強くはないな。
いや、そこそこ強いし大会では上位には食い込むだろうけど……私には及ばない、きっと。
私、見た目はこんなだけど、囲碁はプロを目指してたくらい好きだった。けれど、親に反対されて、何度も喧嘩したけど結局プロ試験は諦めて普通に高校に通って、普通に就職した。
あの頃は、腐ってたなあ、私も。
もう一度、やる……かなぁ。
でも…やるならここではできない。今この部長に勝つこともしたくない。
私が白だから、コミを5目半もらっている。7目半くらい差をつけて2目半負けでいこう。
「今って、どんな感じなん?」
と、忍足くん。
「神崎さん、わかる?」
と、部長。
「部長の方が勝ってます。私は結構押されてるかな。テニスでいうところの、4-2くらいかな」
「へぇ。やっぱりめっちゃわかりやすい」
パチッ…パチッ
「あ。そろそろ部長がマッチポイントだ」
「整地に入ろうか」
「僕の2目半勝ちだね。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
よし、2目半負け。勘は鈍ってない。
スポーツと違って、久しぶりにやっても腕が落ちる訳ではない。
そこはなかなかいいとこだよな。
「神崎さん、結構打てるんだね。君さえ良かったらいつでも入部歓迎だよ。6月には大会もあるしね」
さて、どうしよう。
あまり…乗り気ではない。打つのはやっぱり楽しいけれど、いつまでもこうして手加減しながらっていうのも疲れるし、思いっきり打ちたいなー。
ちら、と横目で忍足くんを見る。
「神崎さん、他にも気になる部活あるんやろ?そっちも見に行こうや」
…伝わった。私が乗り気じゃないこと、忍足くんはわかってくれている。
彼は本当に私が思っている以上に冷静に周りを見ている。
25歳の私が言うのもどうかと思うけど、忍足くんてば大人だー。
「ああ、そうなんです。考えておきますね」
またいつでも来てね、とだけ言われ、私達は囲碁部を後にした。
ああは言ったものの、実際他に興味のある部活はこれと言ってあるわけではない。
とりあえず忍足くんにお礼かな。
「忍足くん、今日はありがとう。この後、どうする?」
「ええよええよ。せやなー、俺少し自主練してこー思うねんけど、神崎さん良かったら少し見て行かん?」
「えっと…天文学部だっけ」
「なんでやねん。想像と現実ごっちゃになっとるやろ。テニス部やっちゅーねん」
そうでした。テニス部ね、テニス部。
中学生が爽やかに頑張っている姿を見るのもたまにはいいかもしれないな。
私は二つ返事で了承し、忍足くんとテニスコートへ向かった。
「忍足くんだ!」
「うわー、今日もかっこいいー!」
「隣の子誰?」
「知らなーい。なんなの、あの子」
「忍足くんと歩いてる。何様?」
「ねー、むかつくー」
ああもう、本当にどこいってもモテる奴と歩くのは大変だ。