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□ご主人様と専属メイド
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柔らかな木漏れ日が射し込む。吹く風は爽やかで、囁き合うように楽しげな小鳥達のさえずりが響く。
そんな穏やかな森の小道を、一人の少女がトボトボと心許ない様子で歩いていた。琥珀色の髪はクセが強くふわふわと揺れて、同色の瞳は零れ落ちそうなくらい大きい。大変可愛らしい十三、四の女の子なのだが、服装は質素で男の子のようだ。荷物は少し大きめな鞄を肩から提げているだけ、しかしこれが彼女の全財産だった。
少女の名は沢田綱吉。早くに両親を亡くし、育った孤児院は経営難で先日潰れた。一緒に育った兄弟のような仲間達が散り散りになる中、十四歳の綱吉はもう働けるだろうと奉公先を決められた。
綱吉は足を止める。溜め息が漏れた。孤児院のことは仕方がない。自分にどうにかできるものではなかった。働くことにも異存はない。新しい環境に不安はあったが、慣れれば何とかなるだろうと思っていた。手前の街であの話を聞くまでは…
綱吉は鞄を開ける。奉公先へ向かうための地図と、紹介状が入った封筒を取り出した。道を聞こうとこれを街の人に見せた途端、にこやかだった顔が微妙に引きつったのだ。
何事かと訝しむ綱吉に、街の人は躊躇いながらも教えてくれる。
あの屋敷の当主は大変気難しいらしく、一年前かなりの人数が辞めさせられたのだという。そのせいで人手不足な筈なのに、雇っては辞めさせるらしい。
「そんなに気難しいご主人様か…俺、やってけるのかな?辞めさせられたらどうしよう…」
他に行く当てのない綱吉にとっては重大な死活問題だ。
「あ、でも最近姿が見えないって言ってたな」
何故か、当主自身は最近見かけなくなったとも言っていた。綱吉は首を傾げる。しかし、それと辞めさせることが結びつかず、仕方なく再び歩き出した。
綱吉の奉公先、雲雀家は、もうすぐそこだった。
「でか…」
雲雀家の大邸宅を正面から見上げて、綱吉は呟いた。自分が育った孤児院の何倍あるのか、考えるだけで目眩がした。
しかしこんな所で見上げていても仕方がない。綱吉は辺りを見回し、裏口を探す。客として来たのではない。先ずは裏口に回りなさいと教えられた。元より、あの大きくて立派な扉を叩く勇気はなかった。
裏口を求め、屋敷と森の境を歩く。格子や壁といった森と屋敷を隔てる仕切りはない。
綱吉は後から知ったことだが、この森自体が雲雀家の庭だった。
そんな広さなものだから、裏口はなかなか見つからない。朝から歩き通しの綱吉は疲労と空腹でかなり疲れていた。
近くに休むにはちょうど良い木陰を見つけ、綱吉は腰を下ろす。このままでは着いた途端、腹の虫が鳴って恥ずかしい思いをするだろう。とにかく何かお腹に入れないといけないと、鞄から小さな包みを取り出し膝の上に広げる。中にはビスケットが三枚。孤児院から貰った最後の食料だ。
いただきますと手を合わせ、ビスケットを一枚摘んで口元に運んだ、その時。頭上から何かが降ってきた。
木の葉が舞う。それは木の上から飛び降りた筈なのに、驚く程音を起てずに地上へと足を着けた。
「やあ、君、誰?」
良く通るボーイソプラノが綱吉の耳朶を打つ。
木の上から降ってきたもの、それは五、六歳の少年だった。
綱吉は声も無く少年を見つめた。とても、綺麗な男の子だ。髪も瞳も漆黒で、整った顔立ちには気品がある。
「ねぇ、誰って聞いてるんだけど…」
ポカンと呆けて応えない綱吉に少年は僅かな苛立ちを見せ、一歩踏み出す。
グシャリ…と軽い音。少年は地面を踏むのとは違う感触に足元を見る。
「なに…?」
「ああああああぁぁぁぁ!!」
訝しむ少年の声に、綱吉の叫びが重なった。
「俺のビスケットォォ!」
少年が踏んだのは、綱吉のビスケットだった。先程いきなり降ってきたこの男の子に驚き、取り落としてしまった物だ。
「コレ君の?でも落としたならもう食べられないよ」
落とした時点で諦めるべきだろうという少年だが、常にギリギリの経済状態で育ってきた綱吉には落としたくらいは許容範囲内なのだ。
「そんなことないよ!まだ汚れを落とせば食べられたよ」
半泣きで潰れたビスケットを見ている綱吉。少年は彼女の膝の上に残されたビスケットに興味深げな視線を送った。
「そんなに美味しいの?」
狼狽えるほど美味しい物なのかと首を傾げる。それは食べ物に困ったことのない人間の考え方だった。裕福な家の子だと分かったが、綱吉は二枚残ったビスケットの一枚を摘み上げると、なんの躊躇いもなく少年に差し出した。
「食べる?」
どんなにお腹が空いていても、小さい子に食料を分け与えるのは彼女にとって当たり前ことだ。