□夫婦ごっこ3
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「そろそろ帰って来い」

 それは、赤ん坊の姿をした黒衣の家庭教師の、鶴の一声で終わりを告げた。
 あくまで仮の関係だった。何かを取り交わした訳でなく、ましてや法的にはなんの繋がりもない。一生ではないことを、そんな当たり前なことを、家庭教師に言われるまで綱吉は忘れていた。雲雀との「夫婦ごっこ」はそれ程に日常になっていた。

 雲雀の母はそれはそれは残念そうに何度も引き止め、また絶対に遊びに来てね、と抱き締めてくれた。祖父は、これからもおじいちゃまで良いんだよ、とやはり抱き締めようとして、雲雀に阻止されていた。父は、本当に遠慮しなくて良いからいつでもおいで、と優しく頭を撫でてくれた。
 そして雲雀は…

「じゃあね」

 と言って、それだけだった…





 ランボが目の前を駆けて行く。イーピンがその後を追いかけ、フゥ太がランキング星と怪しげな交信をして辺りの物を宙に浮かせていた。階下では母親の奈々の美味しそうな手料理の匂いと、ビアンキの危ない手料理の匂いが絶妙な感じで混ざり合っている筈だ。
 綱吉は、そんな光景を気の抜けた表情でボーっと眺めていた。

 ドカッ!!
「ふぎゃっ!!」

 唐突な背後からの衝撃。綱吉は前のめりに倒れ込んだ。
「な、なな、なに…!?」
「まったく、何ボーっとしてやがんだ、このバカ弟子が」
「リボーン!」
 恐らく跳び蹴りを食らったのだろう。痛みに耐えながら振り向けば、黒衣の家庭教師がニヒルな笑みを浮かべて立っていた。
「いきなり蹴るなよ!相変わらずだな、お前…」
 そう、相変わらずだった。リボーンもみんなも…雲雀の家に行く前の、いつもの日常が戻ってきただけだ。それなのに…

「なんかあったか?」
「え?」
「雲雀のとこで…」

 綱吉は一瞬押し黙る。ふと笑い、首を横に振って言った。

「なにも…なにもなかったよ…」

 しかしそれは、今にも泣き出しそうな笑顔だった。





 カサリ…
 静かな部屋に紙を捲る音が響く。
 応接室とは名ばかりな、風紀委員会の執務室となっているこの部屋で、雲雀は書類の整理をしていた。
 ふと、書類に落としていた視線を外し、窓際に目を向けた。カーテンが風でゆらりと広がり、元に戻ったときには窓枠に腰掛ける小さな影を生み出していた。
「やあ、赤ん坊」
 特に驚きもせずに、雲雀は小さな影…リボーンに挨拶をする。
「チャオッス、雲雀」
 リボーンも気軽な挨拶で返す。
 この黒衣の赤ん坊が、唐突に応接室へとやって来るのは珍しくはない。
「で?今日はなんの用かな」
「解ってんだろ?ツナのことだ…」
 リボーンの赤ん坊故に読みづらい表情が、微かに剣呑さを帯びる。
 雲雀は一旦、仕事の手を止め、目の前に山積みされた書類を流石にうんざり顔で見詰めた。
「タイミングを外したんだ」
「忙しいか?」
「まあね」
 隣街とのいざこざがここ最近悪化していた。並盛内部で問題を起こす者も多く、加えて校則違反者が少しづつ増えていた。取り締まりと、それに伴うデスクワークの増加。元々学校では会う機会が少なかった雲雀と綱吉だったが、この上、家で会えることすらリボーンに奪われ、何日綱吉の顔を見ていないのか、考えただけでも雲雀の不機嫌さは増してゆく。
 これにリボーンは苦笑して、ママンが心配し始めたんだからしょーがねーだろ。と言った。
 綱吉が雲雀家に居たのは三ヶ月余り、未成年の娘が人様の家にそれだけ長くご厄介になっていれば、いくら大らかな綱吉の母とはいえ、心配にもなるだろう。
 だが、タイミングが悪すぎた。
 確かに、好きと言うだけならば時間は取らないが、しかしどうせなら、その後思う存分イチャイチャしたいではないか。その時間がない。
 そういう雲雀にリボーンは意地の悪い笑みを浮かべる。

「それだけじゃねーだろ」

 雲雀の眉が少しだけ跳ね上がり、その後は不機嫌に歪んだ。
 この黒衣の赤ん坊に隠し事は難しい。
 雲雀はひとつ、溜め息を吐く。

「あの子…笑ってくれるようになったんだ…」

 最初はただ怯えていた綱吉が、恭弥さん、と笑って寄ってくるようになった。

「僕の傍に居たいと言ったんだ…」

 リボーンの顔に呆れの表情が混じる。
「……なんだ。惚気なら聞かねーぞ」
 しかし、雲雀に甘い話をしている様子はなく、僅かな逡巡を見せた後、溜め息混じりに言った。
「あの子が僕の傍に居たいのは、本当に特別な意味なの?」
 雲雀がこんなことを考えるのにはそれなりの理由がある。それはあの日、綱吉が雲雀家を去る際の自分の母と彼女の会話…

「ツナちゃん、本当に帰ってしまうの?おばさん、ずっと一緒に居たかったわ」
「俺もずっと一緒に居たかったですけど…」

 ずっと一緒に居たかった…綱吉は母にもそう言った。
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