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□桜リップ
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 唇を撫でると、指先に引っ掛かりを感じる。その僅かな感触に沢田綱吉は眉を寄せた。ひりつく痛みは大したものではないが、それ故にずっと気になってしまう。
「ツナちゃん。唇どうかした?」
 その様子を見ていた笹川京子の問いかけに、綱吉は苦笑する。
「うん。なんか荒れてて…」
「あ…ホントだ。見た目でも分かるね」
 少し顔を近付ければ、いつもはふっくら柔らかな唇がカサカサと乾いているのが見て取れた。
「偶にこうなるんだよね。冬より春先の方がなりやすいかも…」
「うん、それ分かる。季節の変わり目だからかな?あ、ツナちゃん。舐めちゃダメだよ。悪化するから」
 乾くのが気になるのだろう。唇をペロリと舐める綱吉を、京子が窘める。
「あ、ゴメン。無意識に舐めちゃうなぁ」
「リップクリーム塗ると良いよ。私持ってるから、ちょっと待ってて…」
 京子はポーチからスティックタイプのリップクリームを取り出すと綱吉に渡した。
「はい。私は今大丈夫だから、あげるよ」
「いいの?ありがとう」
「どういたしまして。ただ、使いかけだから私と間接キスになっちゃうけど…」
「京子ちゃんとなら別にいいよぉ」
 お互い気心も知れた女友達。今更リップクリーム越しの間接キスを嫌がる相手でもない。ただ、キスなんて言われてしまうと、ちょっぴり気恥ずかしくもある。そんなちょっぴりに照れてクスクスと笑い合いながら、綱吉はリップクリームの蓋を開けた。
「じゃあ、遠慮なく使わせて貰うね」
「はい。どうぞ」
 使いかけで少し減ったリップクリームは爽やかな柑橘系の香りがした。ちょっと美味しそうなんて思いながら塗ろうとした綱吉だが、唇に付ける直前、それは手から消えてなくなる。いや、正確にはなくなったのではなく、奪われたのだ。
「へ?あ…」
 見上げると、見知った黒が目に入った。学ランを纏い、その強さと苛烈な性格で畏怖の対象となっている風紀委員長。そして綱吉の恋人でもある雲雀恭弥が、不機嫌を隠さない顔でそこに立っていた。
「…雲雀さん?」
 不思議そうに首を傾げる綱吉には応えず、雲雀は奪い取ったリップクリームを元の持ち主である京子にポイッと放る。
「ふぇ!?」
 恋人と言っても付き合い始めたのはごく最近だ。それまでは頼りにはなるが怖い印象の強い人で、正直言えば話すのもまだ少し緊張する。しかも普段の雲雀は寡黙で、彼から告白されて付き合いだしたのだが、恋人らしい進展もほぼない。今だってリップクリームを取り上げられた理由がさっぱり分からず、綱吉はかなり動揺していた。
 オロオロとする綱吉を前に、雲雀は何かをポケットから取り出す。それは黒い筒状の物で、シンプルなデザインは口紅のように見えたが、中身は白くこれもまたリップクリームのようだ。
 雲雀はそれを片手に綱吉の顎を掴むと上を向かせる。
「ふぇう?」
 訳が分からず無抵抗の綱吉の唇に、リップクリームが押し当てられた。しかし勝手が分からないのだろう。手付きは少々乱暴だ。
 グイグイと塗られながら、綱吉は今日の昼休み、雲雀にも唇が荒れている話をしたことを思い出す。
 もしかしてわざわざ買ってきてくれたのだろうか。ならばお礼を言わなければと思った綱吉だが、それは言葉にならなかった。
 リップクリームを塗り終えた唇に、柔らかなものが押し当てられている。クリームとは違い暖かなそれが、雲雀の唇だと気付くのに数秒かかった。
「君の唇は僕のなんだから、他のヤツのものを触れさせるのは許さない」
 唇を離しそう言うと、雲雀はリップクリームを綱吉の手に握らせる。そして、何が起こったのか理解の追いつかない綱吉を残し、颯爽と立ち去って行った。
 その後ろ姿を呆然と見送っていた綱吉だが、京子が軽く吹き出す声がして振り返る。
「ふふ、雲雀さんは私でもヤキモチ焼くんだね。ツナちゃんはこれから大変だねぇ」
 クスクスと笑う京子に、停止状態だった綱吉の思考が回りだす。ようやくキスされたのだと理解すれば、今度は恥ずかしさで体温が急上昇した。
 真っ赤になった綱吉の鼻孔を桜の香りが微かにくすぐる。それはリップクリームのものなのだろうか、雲雀の残り香なのだろうか。どちらにせよ繊細なその香りは、綱吉の心も桜色に染め上げてゆくのだった。

end
 

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