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□卒業式
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桜の木の下に彼は佇んでいた。
今年は暖冬で開花が早いとは言われていたが、流石にまだ蕾のままのそれを雲雀恭弥は見つめている。その瞳にいつもの切れるような鋭さはなく、風のない水面のように静かだった。
だから、だろうか…いつもの緊張はなく、彼女は自然と雲雀に声を掛けていた。
「雲雀さん?」
雲雀がゆっくりと振り向く。
「沢田…綱吉」
ふわりと琥珀色の髪を風に揺らして立つ小柄な少女の名を、雲雀は呼んだ。
「あの…もうすぐ卒業式始まりますよ」
今日は並盛中学校の卒業式だ。そして雲雀は卒業生の筈なのだが…
並盛の制服ではなく、いつもの学ランを羽織った雲雀は綱吉に鋭い視線を向ける。
「僕に群れろと…?」
「い…いやっそんなことは…で、ですよね…」
綱吉は雲雀らしいと苦笑した。
「あ、でも、ここで何を?桜…はまだですよね?」
雲雀は再び蕾の桜に目を戻す。ただぼんやりと見ているのではなく、一点に視線を注いでいることに気付き、綱吉はそれを追って桜を見た。蕾は大分膨らんでいたが…
「あ…」
小さなそれを見つけた。
「咲いてる!一つだけ咲いてますね、雲雀さん!」
何故だかそれがとても嬉しくて、綱吉が満面の笑みを雲雀に向ければ、雲雀も何時にない穏やかな笑顔で綱吉を見ていた。
思わず見惚れた。頬が火照り、気恥ずかしくて俯く。
だが、これはチャンスかもしれないと綱吉は拳を握る。彼女には雲雀に言おうか言うまいか…ずっと迷っていたことがあったのだ。
「ひ、雲雀さん!あの…あの…その…」
この機を逃せばもう無理だと、決意を固め、勇気を振り絞る。
「学ランの第二ボタンを俺にくれませんか!」
一気に言った。
緊張と羞恥で真っ赤になった顔を上げると、雲雀は眉間にシワを寄せ、難しい顔をしていた。
赤かった綱吉の顔色が一気に青くなる。
調子に乗りすぎたのだ。雲雀の笑顔に、もしかしたら…などと思い上がりも甚だしかったのだ。
泣きそうな顔を頭を下げることで隠す。
「ごめんなさい!俺、バカなことを…」
もう一度、ごめんなさいを繰り返し、その場を走り去ろうとした綱吉の手を雲雀は掴んだ。
「ちょっと待ちなよ」
グイと引き寄せられた。
「なんなの?自分から話を振っておいて勝手に答えをだして…だいたいなんでボタンなんか欲しいの?しかも第二?訳が分からないんだけど…」
「へ?なんで…って……ご存知ない?」
どうやら雲雀は、かの有名な卒業式の風習のひとつを知らないらしい。綱吉は驚いたが、雲雀ならそういうこともあるだろうと納得する。
「…いえ…いいんです。大したことじゃ…忘れて下さい」
ホッとするやらガッカリするやら…しかし、ここでそれが何かを話すのは、自分が雲雀をどう想っているのかを説明するようで何やら恥ずかしい。ありったけの勇気をだしたのだが、無かったことにしようと綱吉は肩を落としてうなだれた。
ブチッ。
そんな綱吉の耳に、何かを引きちぎる音が聞こえた。見れば雲雀がボタンを差し出している。
「え…と?」
「欲しいんでしょ。あげる」
「良いんですか!?」
「どうせ付け変えないとならないからね」
受け取ったボタンには、並盛中という浮き彫りがされている。同じ並盛でも並盛高に通うことになる雲雀には、もう不要なものだろう。それでも綱吉はうれしかった。
「ありがとうございます!大事にします!」
ボタンを嬉しそうに握り締める綱吉に、雲雀は満足げな笑みを零す。
ふにゃりとした笑顔で、貰ったボタンを眺めていた綱吉だったが、突然弾かれたように顔を上げた。
「いっけね…俺、卒業式いかないと…なので、あの…雲雀さん…」
綱吉は自分の右手と雲雀の左手を見る。先程、雲雀が綱吉を引き止めるために握った手は、まだそのままだった。
「手を、離して頂けませんか?」
ずっとこうしていたい気分ではあったが、そういうわけにもいかない。
しかし、雲雀の手は離れなかった。
「ここにいなよ」
「え…でも…」
「僕の卒業を見送るのはあの桜だけで良いと思っていたんだけどね…」
握った手に、ほんの少し力が込められる。
「君がいるのも悪くない」
その言葉に驚き、嬉しくて…しかし、そう言って笑う雲雀の姿が霞んだ。
「なんで泣くの…」
言われて初めて、自分が泣いていることに綱吉は気付く。止めようとしたが止まらない涙を拭きながら、綱吉はしゃくりあげた。
「だっ…て…ひ、雲雀さ…もう明日からいなくな…う、うう…」
雲雀自らが卒業という言葉を口にしたことで、彼が明日からこの並盛中からいなくなることを、綱吉ははっきりと実感してしまった。
「泣かないでよ。だいたい、卒業してもこの学校が僕のものであることは変わらないんだし、様子は見に来るよ」
それでも泣き止まない綱吉の柔らかな髪を、雲雀はそっと梳く。
「君にも、会いに来るよ」
濡れた瞳を見開いて、綱吉は瞬きもせずに雲雀を見つめた。驚きに、どうやら涙は止まったらしい。
「あ…ど…」
それはどういう意味で…だろうか?戸惑う綱吉に雲雀は続けて言う。
「先ずは桜を見に行こうか。ここの桜も良いけど穴場を知ってるんだ。満開になったら連れて行ってあげるよ」
いや?と聞かれて綱吉勢いよく首を横に振る。嫌な訳がない。また涙が出てきた。今度は嬉し涙だ。
「だから、なんで泣くの…」
怒っているというよりは、困った風な雲雀の声に、綱吉はゴシゴシと涙を拭いて、へにゃりと笑った。
「連れて行ってください。お花見!」
「うん」
やっと笑った綱吉に、雲雀も微笑む。
遠くで卒業生に贈る言葉が響いていた。
end