Short Stories

□9cmのこちら側
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日常で身に付けている兵団服のブーツには、無論ヒールがない。
それは当たり前で、あったらそんなの戦闘時や立体機動にものすごく邪魔になるからだ。


「兵長、おはようございます。早速ですけれど、書類お持ちしました。」
「ああ・・・ほんとに早えな・・チッ、めんどくせえ。」
「申し訳ないですけど、ほんとお願いしますよ。」
「・・・・どうせお前んとこから来る、エレンの実験絡みのめんどくせえやつだろう?」
「まさにその通りで、返す言葉もないんですけれどね。」

執務机から立ち上がった彼とまっすぐに目が合う。
おそらく、というかたぶん。
彼とわたしの身長はほぼ一緒。
でもその「人類最強」という謳い文句のせいなのか、それとも尋常ならざる彼の威圧感めいた雰囲気のせいなのか。
それともその、異常に整った冷たいようなきれいな顔が、頭も小さくて、鍛え上げられた肩のあたりと相まって、ものすごく均整が取れて見えるせいなのかは知れないが。
(全然そんな風に見えないんだよねえ・・・・小柄っていうのは、もちろん話として聞いてたけど・・・自分よりは絶対大きいと思ってた。確かにこうして見ると小さいよ。でも感じないんだよね。)

兵長は奥の書棚に歩いて行って、いくつかの引き出しをがたがたと開けた。
「どうしました。」
「ああ・・・承認用に、いつもと違った印章がいるらしい・・・」
「そうですか。」
小柄なのに、とても広く感じるその背中。
ふつつかながら、つい『抱きしめたい』なんて思ってしまう。
「そういえばてめぇ、こっちにいるのはいつまでだ?」
「え、あ、はい。ええと、来月の初旬までです。」
「壁外の準備に取りかかる前だな。お前、ラッキーというか、その期間に引っかかったら地獄を見たな。」
そうしてちらりとわたしを振り返ってにやっと笑った。
(兵長・・・笑った?)
「そ、そうなんです、か?」
「ああ、あった。」
執務机に戻って、見た事のない印章を押すと、それをわたしに戻した。
「ほら。」
「あ、ありがとうございます。」
「・・・壁外は、前も後も地獄だからな。」
「はい・・。」
ふいっと視線が外されるのは「もう行け」という合図だ。
わたしは黙ったまま短い敬礼をして、部屋を出た。

元々所属は憲兵団だ。特に優秀だったわけではないけれど、この配属にはおそらくまだ現役で政府に勤めている父の影響があったんだろうと思う。
だからか、前線に駆り出される事もなく、主にこういった事務的な役割をこなす、いわゆる職業軍人みたいになってる。給料ももらえるし、休暇をとって旅行にも出かける。調査兵団や巨人のことは、話には聞いているけれど、それ止まりで・・・まるでおとぎ話のような出来事だった。王政府のお膝元、シーナに住む住民なんて、大体こんなもんだ。
6年目の今期、定例の短期出向を命じられた。
出向は、兵士になって2度目。
今回の行き先は調査兵団、しかもその内の1ヶ月を、特別作戦班リヴァイ兵長の元で勤める事となった。
調査兵団と憲兵団なんて、基本的には水と油みたいなもので、同期でもいなけりゃあまり話すこともない。
わたしの同期で調査兵団に希望した人達は、皆もう鬼籍に入っている。

案ずるより・・・の言葉通りで、兵長の下で働いて、何をそこまで虐げられることもなく、彼の言う事はそもそもが「正当」なのだった。
ある午後、ペトラさんに呼ばれ、わたしは兵長の執務室を訪れた。
「あの、お呼びとのことで。」
「そうだ。入れ。」
ドアを一歩入ったところで、一瞬敬礼をして、それからすぐに机に近づく。
来たばかりの頃、敬礼の姿勢を解かずにいたら、
「てめぇは、人生の何分の一かを敬礼だけで無駄にしているな」
と言われた。
びっくりした。それはわたしが考えていたこと一緒だったからだ。
わたしは敬礼を解いて、思わず言った。
「ええ、そうですよね。本当、そう思います。」
するとちょっとびっくりしたような顔の後に、兵長は「おもしれぇな。さすがは、箱入りのお嬢様兵士だ。」と言った。
「お嬢様兵士」にはちょっと語弊があるんじゃないかと思ったが、「おもしれぇ」と言ってくれたそのちょっと口元をならすような笑顔にはとてもときめいた。
「ご用向きはなんでしょうか? あ、少し早いですけれど、お茶をお淹れします?」
「ああ、それも頼むが・・・・お前に書簡が届いている。急ぎのようだ。すぐに開くといい。」
「え、急ぎの、書簡ですか?」
受け取ると、署名はシーナにいる父だった。
心焦りながらもどかしく封を切ろうとするわたしに、兵長が「使え」と言って、ペーパーナイフを貸してくれた。
中身は・・・・・
「・・・・何が、急ぎなんだか・・・・」
思わず漏れた声を兵長が聞きとがめた。
「おい、どうした?」
「あ、す、すいま・・・いえ、申し訳ありません!・・・いえ、その、実家の父からです・・・ほんとうに、くだらない内容で・・・」
兵長がじろりとわたしを見て言った。
「なんだ、見合いでもするのか?」
「・・いえ、そこまであからさまではないのですが・・・ともかくも、舞踏会に参加しろとの・・・『家長命令』だそうです。」
はーっと溜め息をついて、わたしは紙を元通りにたたんだ。本当はすぐさまくしゃくしゃと捨ててしまってもよかったが、ここは兵長の執務室だ。
いくらわたしが「世間知らずの箱入りお嬢様兵士」なんて認識をされていても、さすがに無礼極まりない。
「・・・参加するのか。」
「命令に背く場合には、すぐに兵団を退官せよとのことです・・・・」
「どこの場合も上官命令ってのは理不尽なもんだな。」
兵長はにやりと笑った。
それは、あの、わたしの好きなあの笑顔で、不覚ながらもまた心が鳴る。
「ええ、まったくです。」
わたしは一礼をして、「お茶をお持ちします」と一旦下がった。

執務室に戻り、お茶を机の上に乗せ、この後の予定と指示を仰ぐ。
特にないとの事だった。少し早かったが調理場に向かい、夕食の下ごしらえを始めるとしよう・・・とわたしはまた一瞬の敬礼をしてまさに部屋を出ようとした時、
「おい、忘れ物だ。」
と兵長の声がした。
「え、ああ。」
「・・・ちゃんと部屋には持って帰れよ・・・あと、日にちはいつだ。ちゃんと休暇申請を出せ。明日、俺からエルヴィンの方に申請を提出しておく。」
兵長の手渡す書簡を受け取りながら、はあ、とわたしはどこかあいまいな返事をした。
「再来週の土曜の夜、だそうです・・・で、金曜の午後にはシーナにいろと。」
了解した、と兵長は言い、まあ楽しんでこい、と言って机に戻っていってしまった。


「そう、ゴキゴキ首を鳴らすもんじゃない。」
隣の父は溜め息をついて零した。
「普段着ないものと身につけないものなので、肩が凝るのよ。・・・ヒールも高いし。仕方ないでしょ。」
「お前・・・もう少し淑女らしく作れんのか?・・・見なさい、あの子を。」
そして末の妹が向うで何人かの男性と楽しそうに歓談するのを指差した。
「向き不向きがありますからね。…お父様、これでも兵団の中ではそれなりにちゃんと働いているんですよ。咲く場所はちゃんとあるのですから、いいじゃないの。」
ぶつぶつとわたしは言った。足首が痛くなりそう。
そのとき、入り口近くで何やら人だかりがしているのが見えた。
「何かしら?」
「・・・ああ、本日のゲストだな。めったにない客人だと、主催の枢機卿には聞いたのだが。」
人波をかき分けるようにして広間中央に歩いて来た人物二人を見て、わたしは息を飲んだ。
「へいちょ・・・!」
思わず扇が口元に行ったのは、それなりにわたしもそういう育ちをしてきたってことなのだろう・・・と思う間に、兵長はわたしを見つけるやどんどんこちらに近寄って来た。
「お招きに預かり、参上しました。」
ぽつりと言う彼の後ろから、同行して来た団長がにこやかな笑顔を見せた。
どちらもいつもの兵団服ではない、正装だ。
しかも兵長は髪をオールバックに撫で付けていて、ともすれば全然違う人に見える。
「調査兵団団長のエルヴィン・スミスです・・・お見知りおきを・・・そしてこちらが。」
水を向けられた兵長はいつもの仏頂ツラはどこへやら、まず父に手袋を外した手を差し出した。
「兵士長をしております、リヴァイと申します。」
わたしは思わずぽかんと口が開いてしまった。
あの、
兵長が、
人に、
「・・・・・敬語を使っている・・・・」
ちらりと目線が泳いでわたしの方に向く。
慌てたような父がわたしの背中をばんばんと叩いた。
「え、あ、はあ・・・」
反射的に差し出した手を、兵長はうっとりするようなスピードで手に取った。
「以後、お見知りおきを。お嬢様。」
そしてすこし身体をかがめて、口元にわたしの手の甲を持って行った。
真似事で、ほんとうには触れなかったが。
「ダンスを申し込んでも?」
ダンス?!
わたしはいよいよ喉元が凍り付いたようになった。ちらりと父を見やると、「受けなさい!」と言わんばかりに何度も頷いている。
「は、はあ。」
鳴り始めた音楽に周囲の人々が滑るようにホールの中心に集まった。
花のような色とりどりのドレスを来たご夫人とそのパートナーの紳士で、ホールは溢れ返る。
気がつくと、リヴァイ兵長の手がわたしの腰に回っていた。
「お前、躍れるか?」
耳元でささやくように彼が言った。」
「・・・兵長は?」
「真似事くらいならな。見るだけなら、飽きる程見ている。」
「奇遇ですね、わたしもです。」
そしてわたし達は顔を見合わせて、笑った。
兵長と、こんな近くで、こんな格好をして、そして笑い合っているなんて、
「嘘みたいです。まるで、夢みたい。」
兵長はそれをとがめもしなかった。ただそのきれいな黒い目で、穏やかに笑っていた。
そしてふと、気づいた様にわたしの目を覗き込んだ。
「そうか、お前・・・・今日はハイヒール履いているのか。どうりで、見上げているはずだ。」
そして音楽に合わせる様に、そっとわたしの腰を引き寄せて、「きれいだ」と囁いたのが聞こえた。


「あの、驚きました。」
兵長が父に連れられて政府の役人と話している間、わたしは団長の隣にいた。
「そうだね、資金集めのパーティーはあるにはあるが、いつも決まった方達のところだからね。」
エルヴィン団長もわたしも今や壁の花状態で、手にシャンパングラスを持ちながら、向うにいるリヴァイ兵長を目で追っている。
「どうしても、って頼まれたのでね。中々普段こんな頼み事はしない奴なんだが、まあ来てみたら、君やお父上がいらっしゃったということさ。」
ふうん、わたしは一口のシャンパンを飲み込んでから、え、と気がついた。
「奴?」
よもやスポンサーのことはそこまでこき下ろさないだろう。まして、わたしなんかの前では。この場では。
「団長。」
「うん。」
「奴とは、どなたのことですか?」
大柄な団長を見上げるのはいつものことだけれど、その視界もいつもより9cm違う。
団長はやさしげな目でグラスを飲み干して、言った。
「あちらで慣れない歓談をされている、さっき君をダンスに誘った紳士のことだよ。」

「お休みを頂きまして、ありがとうございました。」
「・・・ああ、俺も休暇を取った。」
今週は、調査に関わるデスクワークが山程あるという。早くも机の傍らには、資料と書類が積まれていて、何種類もの印章がその出番を待っている。
「兵長。」
うん、と走らせるペンと、羊皮紙から目を離さずに兵長は返事をする。
「いいお休みでした?」
そして目を上げて、そのきれいな黒い目がかすかに笑って、視界の中にわたしがいることがちゃんと分かった。
「ああ・・・久々にダンスなぞを踊ったな。」
「そうですか。」
「ああいう場はやっぱり性に合わねえんだ、俺は。」
思わず噴き出してしまった。
「あ、なんだよ。」
「・・・奇遇ですね、わたしもです。」
するとふと窓の外を見て、リヴァイ兵長はまぶしげにその目を細めた。
「性には合わねえんだが・・・悪くはねえ。」
そうしてペンを置いて立ち上がると、わたしに向かって手を伸ばした。
「お見知りおきを、お嬢様。」
掬い上げる様に手のひらを取って、息を飲む間に柔らかな唇が押し付けられた。
そんな顔、そんなことされたら、
「冗談が過ぎます。誤解しますよ、兵長。・・・いくらわたしでも。」
兵長はまたあの笑顔を見せて、言った。
「ああ、いくらでもしとけ。」

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