ラッキー千石の事件簿

□さまよえるファントム
1ページ/3ページ

第四幕
『さまよえるファントム』

 ・壱・

 荒井将史は、部屋でワープロを打っていた。ダークオーク調の、アンティークな凝った造りのディスクにしがみつくようにして、一心不乱にキーボードを叩いている。
千石達の“質問攻め”が終ると、荒井は、すぐに自室に戻った。シナリオの続きを書くためだった。
 最近は、30分も同じストーリーを書きつづけると、すぐに行き詰まりを感じて、また一から書きなおしてばかりいた。それが今夜は、かれこれ1時間以上も、一つのストーリーを書きつづけているのだ。
彼は、興奮状態だった。素晴らしいひらめきが、次々にわいてくる気がした。はじめて惨殺死体というものを見た、その劇的な体験が、自分の才能を開花させてくれた、そう思っていたのだ。

「いいぞ…いいぞいいぞ……」

薄い唇が、震えるように小刻みに動いている。
彼はナルシストだった。自分の顔も、体も、声も、性格も、才能も、そしてにおいさえも気に入っている。不満は無かった。すこし残酷で好色で、サディスティックなとことなども、きっと女にとってはたまらない魅力だろうと、そう思い込んでいた。
 彼の部屋にはビデオが数百本もある。自分の舞台はもちろん、旅行先での“自分”、自分を愛した者達との、淫らな行為にいたるまで、全てビデオに収め、凝ったタイトルまでつけてコレクションしているのだ。
もちろん、それらの「作品」の主人公は、全て自分である。
彼にとって、自分の行動は、何もかもがパフォーマンスだった。コーヒーカップを持つ仕草、タバコをくわえる様子、ほどけた靴紐を結びなおす動き、自分を見ている女に送り返す誘うような視線、それらはすべて演技でありながら主張であり、芸術――アートだと、彼は考えていたのだった。
 そんな荒井の孤独なパフォーマンスにも、かつては観客がいた。鳳長太郎だった。
他の劇団員達が内心嘲笑う、この自分の性癖を、鳳だけは理解してくれているのだと、荒井は長い間思い込んでいたのだった。
劇団の練習生だったころの鳳は、荒井の目には、ただの偽善的な好青年にしか映らなかった。伴田の息子と鳳の関係が、子供じみた恋愛ごっこに見えたからである。
しかし、四年前、鳳が、誰の目からも実利のある観月はじめとの結婚を選んだ時、荒井はこの冷酷で打算的な美しい男に、自分と同じ匂いを嗅ぎ取った。
鳳の好青年ぶりもまた、計算されたパフォーマンスだと思った時、荒井ははじめて鳳に興味を持ったのである。ちょうどそのころ、鳳も荒井に近づいてきた。そしてこの二人の、3年以上にもわたる、親密な付き合いがはじまったのだ。
鳳は滝澤に、自分の本性をこともなげに語った。亮を役者としての成功の糸口として利用しようとしていたこと、その用を果たさなくなった亮を捨てて、財産と地位目当てに観月に乗り替えたことなど、荒井はすべて、鳳本人の口から聞いていた。
荒井もまた、鳳に、人に言えない後ろ暗い秘密や、性癖などを、自慢げに語った。四年前に犯した“ある犯罪”のことも、全て包み隠さず、お互いの秘密を話すことが、自分達にとって信頼の証であると、彼は思っていた。
 荒井は、鳳の頼みごとは、大概引きうけた。
しかし、鳳は、その荒井の信頼を、いとも簡単に裏切ったのだ。
 荒井は、自分の書いた脚本が、劇団尾の喜々津状のオーナーである、観月の父の目に留まるようにと、鳳をとおして何度も頼み込んでいた。
ところが、鳳に渡した台本は、一つとして観月のもとに届いていなかった。すべて、鳳が握りつぶしていたのである。
 そのことを知って、初めて荒井は気付いた。
鳳にとって、自分は都合のいい手下にすぎなかったのだ、と。鳳は、自分のために何かしてくれる気など、毛頭なかったのだ。そう思った時、荒井の胸に、鳳に対する復讐の炎が燃えあがった。
荒井は、鳳に迫った。

―アンタの正体を観月にばらしてやる―

が、そんな荒井を、鳳は嘲笑った。

―はははは…やってみればいいですよ。あなたに話したようなことは全部観月は知ってるよ。あの人、俺にベタ惚れなんですからね。何を言っても、俺から離れやしないのさ。俺と一緒になるためなら、なんでもするようなやつですからね。そんなこと、あなたもわかってるはずですよ?―

そう言われて、荒井は黙るしかなかった。彼は、鳳と自分の書くの違いを思い知らされた。
自分には、鳳のような恐れを知らぬ振る舞いはできないと思った。荒井は、自分の行状を暴露されるかも知れない状況を、たやすく笑い飛ばせる鳳の豪胆さが、急に恐ろしくなったのだ。
 そして結局、荒井は、自分が四年前に犯した悪事をネタに、逆に鳳に首根っこをつかまれることになってしまったのである。
それからまもなく、「四年前の犯罪」について、荒井と秘密を共有していた赤澤もまた、鳳に、そのことをネタに服従を約束させられていたことを、荒井は知った。
荒井も赤澤も、いつのまにか鳳の罠にはまっていたのである。

=カタカタカタカタ

ワープロのキーを叩く乾いた音が、雨音のように淡々と続いている。
携帯ワープロの液晶画面の、青いバックライトに浮かぶ文字が語るのは、血生臭い死と呪いの物語である。
何度も唇をなめながら、荒井は、キーボードを叩き続ける。凶器をはらんだ目で、舞踏病に取りつかれた踊り手のうように。

=コンコン…

ふいに、ドアをノックする音が、洗いの思考をさえぎった。
ワープロを打つ手が止まる。

「誰だ?」

警戒心をこめて、荒井は言った。

「俺だ……。赤澤だ。」

怯えたような、線の細い声が、返事をした。
たしかに、赤澤吉朗の声である。

「どうした、こんな時間に……」
「すまねえな。でも、知らせたほうがいいと思った。」
「なんだよ…・・」

荒井は、椅子から立ちあがって、ドア越しに尋ねた。

「あぁ。実は……観月・・さんを殺した犯人の見当が付いた。」
「なに…ホントかそれ…?」
「あぁ、おそらく…。動機がはっきりしたからな…」
「誰だよ……」

荒井は、声をひそめて尋ねた。
赤澤も、それにつられるように、ドアの向こうから小声で答えた。
荒井が、その名前に反応を示さずに黙っていると、赤澤は、自分がそう考えた理由を語り始めた。
やがて、荒井は、赤澤の語りを遮って言った。

「赤澤――」
「?」
「そのお前の考え、誰かに話したか……?」
「いや。」
「そっか。――ま、入れよ。」

と言って、荒井は部屋のカギを開けた。
次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ