ラッキー千石の事件簿

□カルロッタは劇場で
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オペラ座の怪人

ああ、なんという醜い顔だ。
この腐肉のような肌が憎い。この髑髏のような目も鼻も、すべてが怨めしい。
ああ、我が名はファントム。
地獄の業火に身を焼かれながら、それでも天使に憧れる……。

 ファントムは、『オペラ座の怪人』の台本を、呻くような声で読み上げながら、薄暗い舞台に立っていた。
自分の醜さに煩悶しながら、それでも希望を捨てきれない『怪人』の気持ちが、ファントムにはよくわかる。
それはまさに、今の自分の気持ちだからだ。

   ああ、醜い。なんという醜さだ。
   顔だけでなく、この心も。
   私の心は、きっとわが身より先に、地獄に堕ちてしまったにちがいない。
   これから人を殺すというのに、なんのためらいも感じないのだから。
   しかし――それでも私は信じてやまないのだ。
   すべてが、天使のためならんことを。
   地獄の業火に、この身が焼き尽くされようとも。

 ファントムは、そっと台本を閉じて舞台を下りた。
『準備』は全て整った。
 あとは、この手で絞め殺すだけだ。
 あの、許しがたい女を。
 首に縄を巻きつけ、ぎりぎりと締め上げる。そして、その息の根が止まる寸前に、そっと耳元で囁いてやるのだ。
 なぜ、自分が殺されるのか、その理由を、そっと。
“あの男”を殺すのはもう少しあとだ。あいつは、最後の最後に取っておくのだ。
なぜなら…

ククッ…クククッ……。

 ファントムは忍び笑いをしながら、劇場をあとにした。

完全犯罪の準備は、全て整った。
悲劇の幕は、今夜開く。
カルロッタの、凄惨なる死をもって――。

第二幕
『カルロッタは、劇場で――』

 ・壱・

夜になった。
千石と南と、亜久津の三人は、食堂に一番乗りしていた。
八月のおわりというのは、思いのほか日が短い。
劇団員たちの練習を見学したり、浜辺に出て泳いだり(亜久津は泳がなかった。)、そんなことをしているうちにあっという間に日が落ちてしまった。
千石達は無邪気にはしゃいでいるようだったが、亜久津は、今日1日何をしても気が乗らなかった。
この、『オペラ座館』で『オペラ座の怪人』の舞台が行われようとしている。
あの“惨劇”の時と同じく…。
ただそれだけのことなのに、何故か胸騒ぎを押さえられないでいた。

「電話が通じない?」

廊下から、伴田の声が聞こえた。

「そうなんです、オーナー。波が高くなってきたんで…クルーザーの位置を変えようと思ったんですけど、エンジンがかからなくて。それで修理工場に電話をかけたら……」
「かからなかったんですか」
「はい。」
「無線は?クルーザーに積んであったでしょう?」
「ダメなんです。バッテリーがショートしたみたいで、電気系統が全部イカレたのかもしれない…」
「困りましたねぇ、それは。次の定期巡回船は、いつ来ることになってました?」
「明後日の昼頃です……」
「やれやれ…それまではカンヅメですか……」
「本当ですかそれ?」

血相変えて廊下に飛び出した千石に、森が慌てて言った。

「心配ありませんよ。食料も水も十分ですし、それに、明後日には巡回の警備船が来ます。」
「でも…」

っと言いかけた千石の背後から、聞き覚えのある声がした。

「何か事件でも起こったら…逃げ出すことは不可能ですね…。」

180cmは越えている、見上げるような長身に、細長く青白い顔。
奥の見えない眼鏡が、廊下の証明を反射して怪しく光る。
医者の、乾貞治だった。
かつてこの館で起こった、あの殺人事件の時、彼もまたこのホテルに宿泊していたのだ。

「あれ…乾さんだっけ?アンタも来てたんだ?」

廊下で話しているところに、亜久津と南も後を追うように現れた。

「久し振りだな。いや、実は俺は、あの事件依頼このホテルがすっかり気に入ってしまってね…
アレから週末のたびにここに世話になっいるよ。今回はキミ達と同様、オーナーから正体を受けてね。
しかし驚いたな…あの時のメンバーが四人もそろってしまうとは。いや、オーナーを入れると五人か。データによると、こうなる確率はかなり低かったハズ………
おっと、これは失礼。嫌なことを思い出させてしまったかな…」

乾は無神経にそう言って、クックッと小さく笑った。

「どうしたん?」

劇場へ続く廊下から、南と同じくらいの背の男が姿を見せ、特徴的で、乾とは違った落ちつきのある声で尋ねた。
千石は、「ヘンな眼鏡」と言いかけてまた南の鉄拳をくらいかけた。
確かに、この男がかけている正円の形の眼鏡は珍しい。
しかし、変わっているのは眼鏡だけで、その他を見れば誰もが認める美男子だ。

「あ、忍足くん。申し訳ない、お騒がせしてしまって。」

伴田が言った。
眼鏡の男は、劇場に飾ってあったあの少年の絵を描いたという画家で、忍足侑士というらしい。
続いて、劇団員たちもゾロゾロろ集まりはじめ、クルーザーも電話もだめ、という知らせを聞いて、口々に不安をもらしていた。
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