ラッキー千石の事件簿

□フィリップ伯爵は湖で
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 ・弐・

 南は、嵐の中にいた。
そこは、二階の窓から見える、岬の突端だった。
やみんなかに、音なの背丈ほどの石塚が、青白い庭園灯に照らされて立っている。亮の墓である。
雨風は激しさを増し、目を開けているのがやっとだった。南は、そろそろ館に帰ろうと思い、踵を返した。
その時だった。後ろで、風の唸りに混じって、呻き声がした。
南は、寒気がして振りかえった。
が、誰もいない。
それもそのはずである。そこは断崖のきわで、呻き声が聞こえたほうには、もう人が潜む空間は残されていないのだ。
それとも、あの墓石の後ろに、誰かが隠れているのだろうか。
そう思って、南は墓石に近づいた。
裏を覗き込む。やはり、誰もいない。
内心ほっとして、立ち去ろうと振りかえる。とたんに、何か固い壁のようなものが目の前に現れた。

「――!」

それは、黒尽くめの人間だった。いや、人間の形をした“何か”だった。
巨大な肉体を、黒いマントで包むように覆って立つそれは、奇妙な仮面をつけていた。
青白く光る無機質な仮面の奥で、血走った目が、そこだけ妙に瑞々しくうごめいている。

「ファントム……」

南は、口元を震わせてつぶやいた。
ファントムは、南に近づくと、その手を南の首にゆっくりとかけた。
南は逃げられなかった。体が動かない。
もはや、怪人のなすがままだった。
ファントムの口元が三日月形につりあがり、南の首にかけた手に、力がこもった。

「くっ…!」

南は、なんとかファントムの手を振り払い、身をよじった。
なおもつかみかかろうとする怪人の魔手から逃れようとした、その瞬間である。

=ゴボッ!

墓石の根元あたりの土が突如盛り上がり、腐って半分白骨化した人間の手突き出してきたのだ。

「っ…!」

南は飛び起きた。

そこは、ベッドの上だった。とっくに夜は明け、カーテンを開け放ったままの窓には、淡い光がさし込んでいる。ぐったりと重い体を起こして窓の外を見ると、いつのまにか雨はやんでいた。

「……夢……か?」

びっしょり汗をかいている。煩いくらいに早い自分の鼓動が聞こえた。
口の中はカラカラで、飲み込む唾も無い。

「なんっつー夢だよ……ったく……」

悪夢のなごりを払うように、二、三度頭を振って、転げ落ちるようにベッドを抜け出す。
汗だくのTシャツを脱ぎ捨てて、とりあえずシャワーを浴びることにした。

 千石が廊下に出ると、ちょうど伴田とはちあわせした。

「おはようございます。千石くん。」
「あ、オーナー。おはよ。」

目をこすりながらそう答えた千石に、伴田は、

「そろそろ、食事の準備ができるころですから、食堂に集まってくださいね。」

と告げて、微笑んだ。
無理やりしぼりだしたような、つかれた笑みだった。あたりまえである。昨日、ここで殺人があったのだ。
このホテルにいる人間は、きっとみんな、くたくたに疲れ果てていることだろう。おそらくは、犯人も。

「オーナー、電話、通じた?」

千石は尋ねた。

「いえ、残念ながら。ホテルの電話交換室で、回線が刃物のようなもので切られているのが見つかりまして、つないでみたのですが、やはり―――」
「だめでしたか。」
「はい。どうやら、他にも切断されている個所があるようでして……」

やはり、電話の不通は犯人の仕業だった。周到な犯人のことだ、きっと、他にも何箇所にもわたって、回線を切断していることだろう。電話で助けを呼ぶのは、どうやら諦めた方がよさそうである。

「クルーザーのほうも、電気系統の故障というのは、素人の手におえるものではありません。やはり、定期巡回船をまつしかないようです…」
「そっかぁ……」

定期巡回船が来るのは、明日の昼頃である。
それまでは、正体不明の殺人者といしょに、この孤島のホテルですごすことになる。

「――南ちゃん、起きてるかな…?」

千石は、不安を紛らすように、話題を変えて伴田に尋ねた。

「いえ、まだですね。亜久津くんならきてますが…・」
「そっか。じゃあ、俺、南ちゃん起こしてから一緒に行くよ。」
「そうですか。ではお願いします。」

そう言って、伴田は軽く頭をさげた。


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