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□いつか
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笛の合図で今日の練習が終わりを告げる。
外はもうほとんど光は無く、冷えた空気が火照った身体を冷やす。
汗が乾いて冷えないようにとさっさと更衣室に向かうサッカー部員に習って自分も立ち上がる。
天馬君達が宇宙に行って何日か経った。
最初はうるさいのが居なくなってすっきりしたと思っていたけれど、時が経つにつれあの声と笑顔が懐かしくなり、そこでああ自分は寂しいんだなと気づいた。
「あ、」
「狩屋君?どうかしましたか?」
「ベンチにタオル忘れたっぽい…ちょっと行ってくる」
唯一の同い年、輝君に声をかけてからかけてあったジャージをはおり、少し駆け足で更衣室を出る。
「さむ…さっさととって帰ろ…」
両手をジャージのポケットに突っ込み、ベンチを目指す。
日はすっかり落ち、珍しく雲1つない空には星が瞬いていた。
あの中のどれかに、今天馬君達がいる星があるのだろうか。
地球というとても大きなものを背負ったメンバーに思いを馳せる。
今この時だって、練習しているのかもしれない。
そう思うといてもたってもいられず、そう感じたのは雷門に残った部員もみんな同じなようで、今もこうして霧野先輩を中心に練習を続けている。
(そういえば…先輩更衣室にいなかったけど、どこに__)
そう思って見渡すと、自分がタオルを忘れたベンチに座る人影が目に入った。
「先輩、あんなところで何やって…?」
なんとなく静かに近づいて様子を伺う。
例のタオルは霧野の横に置いてあり、綺麗にたたんであることから霧野がたたんでくれたんだと容易に想像できた。
(ああ、まただ)
霧野は上を向いていた。
何をするでもなく、ただぼんやりと空を見上げるその姿を見るのは今日初めてでは無かった。
その表情はどこか悲しげで、時折吹く風が髪を揺らして、そんな顔を見え隠れさせる。
そんな霧野を見て胸が痛くなるのもまた何度目かのことで、思わずそこに手をやる。
「誰かいるのか?」
その動作で人の気配に気づいたのか、霧野が振り向く。
その顔はもう普段通りのものに戻っていて、そのことが余計に胸を苦しくさせた。
風がふわりと吹く。
狩屋は素直に霧野の方へと歩いていった。
「ああ、狩屋か。
どうかしたのか?」
「…タオル、忘れたんで」
そう言って霧野の横に視線を落とすと、それに気づいてああ、これ狩屋のだったのかと手渡してくれた。
狩屋はそれを無言で受け取り、タオルがあった場所にすとんと腰をおろした。
「狩屋?」
霧野の青緑色の瞳が狩屋の顔を捉える。
その目は自分を映しているものの、どこか遥か遠く__そう、例えば宇宙を見ているように感じた。
(すぐ、そばにいるのに)
こんな時でさえ、俺はあの人に勝てないのか。
無意識に手のひらを握り締める。
「先輩、」
俺を、見てください。
隣にいる、こんなにそばにいる俺を。
そんなことは言えるはずもなくて、一旦言葉を切る。
何度も伝えようとした想い。しかしいつもあの人の顔がちらついて踏み出せず、結局ただの先輩後輩という関係に収まったままだった。
歯痒くて、でも伝える勇気も持ち合わせてはいなくて、だから。
「みんな、無事帰ってくるといいですね」
一番伝えたいことは心の隅に追いやり、違う言葉を紡ぐ。
狩屋の言葉を聞いた霧野は少し驚いたように目を見開き、それからふわりと微笑んだ。
「そうだな」
2人揃って空を見上げる。
いつか、無事に帰ってくるように。
いつか、この想いを言葉にできるように。
そんな願いを込めて、頭上に広がる宇宙を見る。
いつか、いつか。