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□何度でも君と 9
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side 紫

相変わらず毎日が忙しい。 
最近は随分と生活が楽になって、仕事にも、人間関係にも慣れてきて、結構人らしい生活をしていると思う。 

『紫ちゃん!これもう10秒長い分作ってって!』 

『はい、3日後くらいでも大丈夫ですか?』 

『ん〜じゃあ言っておくよ』 

社長が書類を見ながら返事をする。 

『桐生さん、お客さんですが…』 

『はい、今行きますっっ』 

『それが…』 

ずいぶん歯切れが悪い… 
今ちょっと手が離せないし。 

『紫…』 

…!? 

『お、お兄さん!』 

一瞬で血の気が引いていく。 
なんで? 
頭が冷えていくのが解る。 

周りも見ずにズカズカと入ってきて、隣の席に腰を降ろす。 

『あ、あの…ここはちょっと…奥の応接室にお通ししますので…』 

受付が恐る恐る言っても、全く聞いている様子がない。 
明らかに無視だ。 
兄さん、少し雰囲気が変わった? 
私も声が出ずになにも言えない。 

『桐生さん、この方は?』 

明らかに悪意があることに見かねた社長が問う。 

『に、二番目の兄の…』 

『桐生 章。あんたは?』 

『ここの代表の多田と言います、よろしく』 

二人の空気のピリピリとした雰囲気が、水を打ったように部屋全体に伝わる。 

薄く笑いを浮かべた兄に、伺うような目を向ける社長も、私の口を挟む余地がない。 

『へぇ…意外に若いんだね、もっとおっさんかと思った』 

『それは光栄だね、誉め言葉と取っておくよ…でご用件は?』 

少し間があって、ため息が漏れた。 

『あんたには無いねぇ、こいつにはあるけど』 

ニヤっと笑う笑顔が腹立たせる。 

『今桐生さんは仕事中なんだよ、来客らしく応接室で待てないなら、勤務外の時間にきてくれないかい?』 

『あんた、こいつでだいぶ儲けてるんだって?そんな偉そうな口叩けんの?潰すよ…』 

『兄さん、やめてくださいっっ!話なら聞きますから、あっちで、お願いします』 

前からあまり素行がいいほうでは無かったけど、こんなに悪態をつく程じゃ無かった。 

大きく鼻を鳴らして立ち上がる。 
『社長すみません』 

小さく頷いて、大丈夫だから、行っておいでと言ってくれる。 

私はもう頷く力しか残ってなかった。 

応接室の中では兄が貧乏揺すりをしながら苛立つ。 
恐怖すら覚える眼差しを直視することもできない。 

『紫やっぱかわんねぇな、色気の欠片もねぇ』 

『そんな事を言いに来たんですか?』 

抑揚のない声で聞くとまたひとつ鼻を鳴らして笑う。 

『まぁいいわ、お前いくらあんの?』 

『はぁ?お金なんてあるわけないでしょ?私まだ、借金だって残ってるんですから』 

『でも今なんか儲けてるんだろ?』 

『そんな事言ったって、やっと生活できるようになったくらいよ、今だってやっとバイトしなくても良くなったばかりなのに』 

『30くらい貸してよ』 

さっきより貧乏揺すりをひどくして、荒々しく話す。 

『そんなに持ってるわけないでしょ?』 

『じゃあ借りてよ』 

『何を言ってるの?』 

『お前のせいでどれだけ俺らが虐げられたかわかってんの?』 

あなた達にどれだけ酷い仕打ちをうけたかと喉まで出て止める。 

『無理ならさっきの社長に借りるよ』 

『なっ!それだけはダメ!』 

私はお構いなしとでも言うように続ける。 

『まぁ、どっちでもいいけど、よろしくね。夜8時にまた迎えにくるよ、絶対だからな』 

『待って、今日なっ…』 

返事を聞くこともなく、部屋を出ていく後ろ姿に殴りかかりたくなる気持ちを押さえる。 

本家を出て、食べるのに困る生活をしても、昔より幸せだと思う。 

自分が頑張っただけの代価を貰えることに喜び、また努力する事が、嬉しかった。 

突然真っ暗になった未来に、どうすればいいか分からなくて、立ち上がる気力さえない。 

コンコンッッ 
控えめなノックが聞こえる。 
でもどこか硝子ごしに聞こえる様に、現実感がない。 

『紫ちゃん?』 

返事をしない私に心配になったのか、扉をあける社長にも、なんて言っていいか分からない。 

『大丈夫かい?』 

『……正直わかりません…』 

『お兄さんなんて?』 

お兄さん… 
他人になりたいと本当に心から思う。 

『…言えません…』 

『そっか…じゃあ聞かない』 

『すみません、ご迷惑かけて』 
目を見ることも出来ないまま、消えてしまいたいと思った。 

『すみませんが、今日少し早く上がらせてもらえませんか?』 

『…わかった…』 

少し考えてから、なにかあったらすぐに電話するんだよ、とだけ言って部屋を出ていった。 

『すみません…』 


『大方調べはついてるんだけどね…』 

の社長の言葉は私には届いてなかった。 






お金を、きっといくら渡したところでまた取りに来る。 
分かってる、分かってるんだけど、そうしないと今の平和はない。 

一時の平和でも私には守りたい。 
きっとそんなものは、本物ではないけれど、でも、こんな事の為に皆を巻き込む事はできないから。 

ATMで30万、手が震えるくらい。 
これを渡したらどうなるんだろう。 

封筒を見つめる、こんな気持ちとは裏腹に銀行のキャラクターが笑顔で微笑んでくる。 

『お、早いじゃん』 

わざとなのか軽い口調が逆撫させる。 

『はい。これ…もうこれきりで、みんなに迷惑かけないでください』 

兄さんに突きつける手が少し震えて、声も途切れてしまう。 

『まぁ待てって、こんなところでさぁ、ちょっと飯でも食おうや』 

『結構です』 

言い捨てて振りるけど、既に腕を引き付けて引っ張られる。 

『声だしますよ?』 

『どうぞ?でも迷惑かけたくないんだろ?』 

もちろん…無理なことはわかってた。 

絶対的な命令。 
どんなに足掻いても、逃げても、きっと私にまとわりつく影。 
こんな浅知恵なんてあっという間に看破される。 

『ほら、こっち…』 

ビルの手口すぐに車が一台、兄さんはいつも通りと言った顔で扉をあける。 
どうみても普通の雰囲気じゃない人と車に、私の体全体が拒否する。 

『嫌っ』 

『早く乗れってッッ!』 

『おいっ』 

助手席に乗った男性が、運転席の男に声をかけると、運転席の男は私を逃がさないように、扉に私を押し込むように立ちはだかる。 
無言の威圧とはこの事を言うのだろう。 
身動きがとれない。 

車に乗ると、身なりの整った男が興味ぶかげにミラー越しにこっちをみている。 

『中島さん、待たせてすみません』 

『ん?あぁ、それでこの子?』 

私を見る目が、同じ人間じゃないようで、息がつまる。 

『はい、妹の紫っていいます、腹違いですけどね』 

『うーん、地味だけど、それがまたいいんじゃない?』 

…… 

『そんなモンっすか?』 
笑いかける兄が滑稽だ。 

私の前で行われる会話。 
下品な話し方、今まで見たことのない兄の姿。 
どれひとつも私に縁のない人種。 

頭の中の危険信号はずっと、鳴り続けて、心臓くなるごとに、思考回路を麻痺させる。 

繁華街をぬけて、一本曲がると、人もまばらになって、どうみても淫靡な店がある通りに車が停まる。 

名前も看板もない、ただ会員制とだけ書いてある札が小さくついてあるだけの店。 

こんなところに普通の人はいくのだろうか… 
兄も、中島と呼ばれる男も降りると、運転席の男が『どうぞ』とだけ言う。 

降りるしか選択肢がないのは分かっているけど、震えて足が出ない。 

『早くしろよ』 

怖い。 
行ってはダメだ。 

『…』 

運転席の男が私の手をひくと、中島が腰に手を回す。 
見た目より強い力に、『どうしたの?』と言う声に、胃から逆流するモノを感じて顔を背ける。 

後ろから、押される様に入ると、大きなフロアには音楽とは言いがたい、爆発音が流れて、狂ったように踊る若者。 

チカチカするライトに、こんな場所に人が何故群がるのかすら、私には理解できない光景。 

『君はこっちだよ』 

バーカウンターになってる横を通って、カーテンをめくると事務所のような扉がいくつも並ぶ、そのひとつの部屋の扉を開けると内側にまた、真っ黒いカーテンがかかってあった。 

なんの躊躇もなくそのカーテンを潜る兄。 
明らかにどうしようもないところまで来てしまっている。 

後ろに、後退りしようにも、ガッチリと捕まれたウエストがそれを許さない。 

『ほら、君も』 

ニヤリと笑う笑顔の中半ば引きずられるように、カーテンを潜る。 

カーテンの中… 
もうこの世のものとは思えない異世界。 
たちこめるお香に、白んだ空気。 

甘い匂いに頭がクラクラする。 

所々にエスニックのカーテン、ソファーが見え隠れして、クスクスと淫猥な声に、睦み合う男女。 

『紫…こっち』 

既にソファーに腰を下ろし、お酒片手に女性を膝に座らせている。 

『兄さん、お金…約束どおり、持って来ているんだから、もう帰ります』 

耳元でクスクスと囁きあう、みっともない兄を見下ろすように言っても、返事は帰ってこない。 

『お兄さんだって…フフッイケないお兄さん…』 

クスクスッックスクスッッ耳障りな声が頭に響く。 

『君はここに座って』 

男性が膝を指す。 
何を言って… 

『ここに座りなさい』 

ふわっと急に強くなるお香の匂いに考えがまとまらない。 
何? 

『ここに…座る…』 

軽く引かれた手に、抗えずに、膝が折れる。 

『そうだね、それでいい』 

分からなくなってくる… 
えっと、私はどうなってるの? 

『翔、金は?』 

『あぁ…えっと…ゆかり…金……』 

目も虚ろに女性に絡み付いた兄に呼ばれても、頭がはっきりとしない。 

『お金……あっ…鞄……』 

立ち上がろうとするけど、全く足が立たない。 
どうしたんだろう。 

『これかな?』 

もう返事すら気だるい。 
頭を動かすのがやっとだ。 

『水島さん……もうお金…ないで……ふふっはっはっ…もうどうでもいいや…』 

『もうこれでいいよ。この子で……し』 

このこ…だれ…… 
わたし… 
よく聞き取れない。 
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