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□何度でも君と 5
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side 紫

谷山さんに連れて来られてから、ほんとにめまぐるしい程色々あって。 

私の中の許容範囲は完全に振りきれてしまって、谷山さんから、めんどくさい子だと思われても、拒否されても、もうどうでもいいと思っていたのに。 

私の伴奏で谷山さんに唄ってもらうなんて、ほんとに信じられない。 

初めてGRANRODEOの恋音を聞いた時に、ピアノの伴奏で谷山さんが唄ったら、きっと素敵だろうななんて、少し妄想したことがあったけど、まさか現実で叶うなんて夢にも思わなかった。 

私の奏でる音と紀章さんの滑らかな声が乗って、水の中を泳いでるように、心地よくて、ビブラートを聞いたとき、歌が終わらなければいいとさえ思うほどに酔ってしまって。 

弾き終わった後に谷山さんが、初めて優しい声で誉めてくれた時には、産まれて初めて誉められたように、誇らしくて思わず涙がどっと出てビックリした。 

もうこんな幸福感、この先いつか感じる事があるのだろうか… 
もしかしたら、もうないかも知れない。 
呼吸をするように音楽をしてきて、当たり前過ぎて、この小節の次の小節はどんな風になるんだろうとか、聞きたい、けど終わってしまうのが勿体無いそんなドキドキ感なんて味わったことがない。 


もう味わうことのない幸福感… 
あれからお店の人が楽譜をもって来てくれたので、ずっと弾いているのだけど、周りの人のリクエストなどでなかなか帰るタイミングが見つからない。 

明日も仕事があるし、あんまり遅くなると終電が無くなってしまう。 
今演奏しているのはフライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン(Fly Me To The Moon)barなどでよく流れるジャズらしい。 
このリクエスト終ればもう終わりだし、挨拶して失礼しようかな… 

『はいっはーーい。みんな注目!!』 

宮野さんが大きな声でお客さんを集める。 
私も手を止めて立ち上がって注目すると、宮野さんが私に微笑みかけてくれたので小さく会釈して答える。 

『じゃあ、今日はみんなありがとう!また最高のライブできるように、僕も頑張りますので、皆さん支えてください、お疲れ様でしたぁ』 

パチパチとみんな盛大な拍手。 
ちらほらと宮野さんに挨拶したり、ハグしたりして、出口に向かう。 

人も疎らになったところで、店員さんに楽譜を返して、ピアノを磨いて蓋を閉じる。 
ちょっとキョロキョロしているとお目当ての相手が近づいてきた。 

『あの…宮野さん。今日はお世話になりました、すみませんお邪魔して…』 

宮野さんに頭をさげて、挨拶すると、いきな距離をつめて来たと思うと、抱きつかれて、一瞬で身動きがとれなくなった。 

『紫ちゃーーん!ほんと今日はありがと。おかげで盛り上がったよぉ!ほんとだからね!また改めてお礼させて?』 

その言葉の間も抱きつかれたままで、長身の宮野さんに抱きつかれていると、私はお腹に頭が埋まり、話をすることも出来ないことに宮野さんは気づいてない。 

『あの…あの…宮野さん…う、腕を…』 

『あぁ!ごめんごめん!つい興奮しちゃて、すごい気持ちよく唄えたから、またいつかこんな場が出来たらって思ってさぁ。よかったら携帯教えてくれる??迷惑じゃなければでいいんだけど…』 

毎回言うのも恥ずかしいけど、仕方ない。 

『私携帯を持っていないんです。すいません…迷惑とかではないのですがこればかりは…』 

ちょっと間があいて、そっかぁ…と呟いて頭をポリポリかいた。 

『あっもし、よろしければ、PCのアドレスならありますが…』 

『あっ!じゃあ教えてくれる?何時頃なら迷惑じゃないかな?』 

いつでも大丈夫です。と言うと、二次会は?なんて、言われたけど、流石にもう4時間以上もここにいるし、明日も仕事があるので、と丁重にお断りした。 

アドレスをメモ帳に書いて、宮野さんに渡すと、了解でーす。と言いながら、二次会組を近くに集めて階段を登っていく。 

私もいい加減帰宅しようと、その集団の一番後ろから少し離れて階段を登る。 
登りきり、古木で作った道を抜け道路に出ると、ここが今どこなのか分からず周りを見回してみる。 

たしか…タクシーでここ曲がってきた…と思う?と、あぁ、やっぱり。 
大通りに出てきたので安心してると私の曲がった方とは、逆から大きな宮野さんの声が聞こえたので、ビクッとした。 


『紀章さんッッ!!駄目ですってッッ!!』 

なに?? 
宮野さんとあと五人程で囲むような形で、輪を作って揉めている。 

喧嘩??? 

『もう二次会むーりー。もう俺、ねるぅー』 

恐る恐る近づいて見ると、少し休憩できそうなとこに座ってパタンと伏せてる。 

『紀章さん!ここで寝ちゃ駄目ですってば、もうなんで、寝てるの起こして連れてきたのぉー?』 

谷山さんの前に座り込んで揺すったり声かけたりするけど、全く起きる気配はない。 


『マモちゃんタクシー呼ぶ??』 

男性の一人が携帯を取り出しながら声をかける。 

『そだねッッ呼んだ方が…』 

『誰が紀章さんの家知ってるの?』 

『あっ駄目ッッ、たかちゃんタクだめ〜場所わかんない!』 

慌てて携帯を切る男性。 
寝ちゃったのかぁ。 

『マモちゃん、うちらのタクシー来たよ…どうする?』 

少し先に2台のタクシーが停車し扉を開ける。 
どーしようっと足をバタバタさせて、叫ぶ宮野さん。 

『しょうがないから、もう運んじゃう?』 

『んーそだよねぇ』 

二人の男性が谷山さんの肩を両サイドから掴む。 
結構ガッチリした男性が抱き抱えているのだけど、力が抜けた谷山さんがグラグラして運びにくいらしい。 

『紀章さーんお願いしますよぉーー』 

宮野さんが後ろから声をかけると、左側の男性がバランスを崩す。 

危ないッッ。 
思わず私もかけよってしまう。 

ガクンーーー 

『いったぁッッ!もうやだぁ』 

膝から砕けてしまったようで、それでもまた寝ようとしてる。 

『宮野さん…谷山さんの手擦りむいてますよ?』

『あっ本当?ヤバイよなぁ…ん?紫ちゃん帰ってなかったの?』 

はぁと小さいため息。 

『宮野さんの声が聞こえたもので…』 

どーしよっかなぁ…と問われても私もちょっとどーしましょうかと言って鞄から絆創膏を出して、谷山さんの掌に貼る。 

『あっマモちゃん!下野くんに来てもらったら?』 
『あぁ!その手が』 

ブブッッーーーブッーーー!! 
けたたましいクラクションが静かな道に響く。 

夜でもこの時間の大通りは車が多いのかタクシーの後ろが、道を開けないことに苛立ってひっきりなしにクラクションを鳴らしはじめる。 

『うわぁ…』 

『ん…うるさ…い』 

谷山さんがムクッと上半身を上げたので、みんな、あっと谷山さんを見る。 

少しキョロキョロとして一瞬座り込んでいる私と、宮野さんを一瞥すると、カバっと私の腰に抱きつくようにしたかと思うと、そのままうつ伏せになった。 

こ、転けるっっ。 
尻餅をついて、膝を見ると、綺麗に私の膝に頭を預ける形になった。 

『えっっ!?』 

ブブッッーーーー 

『あっ、ごめんけど、紫ちゃん、ちゃんとしもんぬに電話して迎えにきてもらうから、ちょっとそのまま、紀章さんみててッッ』 

『やっ!えっ!ちょっと…』 

『お願いねぇ!ほんとごめんッッじゃあ!』 

後ろ向きに手を合わせながら、タクシーへ向かう、周りの男性もすいませんと口々に言いながらあわててタクシーに乗り込む。 
扉もしまりきらないまま、タクシーは急発車していった。 

歩道の地べたに取り残された私達。 
膝に乗ったままの谷山さんは全く起きる気配がない。 

『えーと…』 

下野さん? 
ちゃんと来れるかなぁ。 
下野さんは確か、私を助けてくれた人だよね? 
うたプリでは来栖翔役。 
谷山さんとは仲いいって聞いたことあるし、きっとすぐ来てくれるよね。 

今はもう待つしか出来ないんだし…どんどん過ぎる車をボーッと見て時間を潰す。 




あれから数時間……… 
確実に数時間。 
タクシーが近づく度にあれかな、これかなと期待すること数十台。 

いい加減にコンクリートから来る冷たさで、体が冷えてくる。 
薄いブラウスだったから、夜は冷える。 

体を暖めるもの…ハンカチくらいかな。 
カバンをゴソゴソ探す。 
ハンカチ…鞄とは別に宮野さんのライブのパンフレットが入った袋がある。 

『あっ、これ…』 

長細いタオルが入ってる! 
肩に巻くと少しマシになる気がする。 
うん、なんとか大丈夫。 

『クシュンッッ』 

谷山さんが大きなくしゃみをして、私の腰に回した手を強めて、頭をグリグリと埋めてくる。 

そうだよね。 
私は風邪ひいても大丈夫だけど、谷山さんは声出なくなったら大変だよね… 

宮野さんのタオルを谷山さんの肩からかけて、鞄の中身をぬいて、薄くなったカバンをお腹とコンクリートの間に入れる。 

『よしッッ』 

ふぅ…と息を吐いて、谷山が膝の上に寝てる状況を改めて考えると可笑しい。 

バサッと顔にかかる髪の毛を指で鋤くとくすぐったいのかモゾモゾと動いてまた寝息をたてる。 
髪の毛ツンツンしてる… 
初めて男の人の髪の毛を触ったな… 
今日は初めてが多すぎて、なんか、もう、どうしよう… 

悪いことをしたような後ろめたさ… 
悪いことはしてないのだけど、なんか色々とドキドキする。 


今何時くらいかなぁ。 
通り過ぎる人も、はじめは居たのに、もう人も通らなくなって来た。 

ん… 
腰冷たいなぁ。 
はぁ。 
まだかなぁ。 

急に襲ってきた睡魔に、あっさりと負けて、私はそのまま私の意識を飛してしまった。

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