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□何度でも君と 2
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side 紫


新しくなった部屋。 
小さなキッチンと10畳の防音設備のある部屋。 

女の子らしいものも何もなくて。 
シンプルなベッドとテレビ。 
机にはシンセサイザーと機材。 
タンスには数枚の洋服。 
特に流行りのものがあるわけでもなく、お洒落なものがあるわけでもない。 

日々生活を過ごしていけるだけのモノがあれば充分だ。 

毎日毎日、生活をして特に楽しい事があるわけでもなければ、すごく辛いことがあるわけでもない。 

でも平和に生活できることが一番私にとっての幸せ。 
ただ同じ毎日を生活できることが、幸せなのだ。 



やっと手にいれた平穏な生活。 
それを守りたくて、どんな仕事でもしていかなければならない。 
ひどい時は三件の仕事を1日に終わらせる。 
元から、人と接することが苦手なせいで黙々とこなせる仕事しかできないけど、それでも私の精一杯だった。 



新居に引っ越して一ヶ月。 
大学の時のお世話になった先生の紹介で、新しい仕事の募集を知った。 
直々に先生が紹介して下さったので、私ももちろん受けるつもりで会社にいく。 

『き、桐生 紫です、よろしくお願いします』 


多田サウンド 
音楽製作事務所。 
そんなに大きくない事務所の隣には音楽室があり、中にはにはピアノやシンセサイザ−やドラム等が無造作に置かれていた。 
皮張りのふかふかなソファに座るように促されてそっと、浅く座る。 

多田といわれる男性は、いかにも業界人という感じの、細身のパンツに、薄いブルーのシャツ、少しねちっこい耳に残る話方をする。 

『君が山元先生の秘蔵っ子?もっと年なんだと思ってたよぉ。そんな若くて大丈夫なの?』 


履歴書を差し出すと、タバコに火をつけながらいぶかしげに目を通す。 

『へぇーあの音楽大学でてコンクールにこれだけ優勝して、なんで留学しなかったの?』 

『い、一身上の都合で…』 

少し顔が強ばるのが分かる。 
段々指先が冷たくなっていく。 

多田さんはそれ以上の事はなにも聞かなかった。 
もう山元先生から聞いていたのかもしれないけど、それ以上それについては言わなかったが、そのあとにお決まりの一言。 

『これは確認なんだけど、君のお父さんはあの桐生 慧先生なんだね?』 

いつも聞かれるセリフなので、慣れてはいるけれど、あまり答えたくない。 

『は、はい。そういうことになっています』 

一気に興味はそっちに向かったのか、着けたばかりのタバコをすぐに消して私に向き直した。 

『先生が亡くなって二年位?君のお父さんと僕はね……』 

なにか思い出があるようで、急に流暢に父親と言われる、大作曲家の話を楽しそうに話し出した。 

『すみません。仕事の方は?』 

一人話していたことに気がついたのか、話足りないのか、あぁ、と生返事をして、書類を取り出した。 

『うちは音楽製作などしてるのは分かるよね?楽器は使えるだろうけど、機材は使えるの?』 

『大学時代にアレンジのバイトをしてましたので、ある程度は…』 

私の言葉に気を良くしたようで、それじゃあと契約書類を私に提示した。 
『今度君がしていた仕事のデモでも持ってきて、それで給与は出来高だから、本数で金額を決めてある、まぁ、とりあえず今来てる依頼のラジオのBGM作ってくれるかな?まだ勝手がわからないだろうし、ベテランの人つけとくから確認して』 


『はい…ありがとうございます』 

言うことだけ言ったら、多田さんは私の事もおざなりに部屋を出ていった。 

書類に目を通すと深夜のラジオオープニングのBGMと、WebラジオのオープニングBGM。 
細かく指示が書かれている。 

これなら、なんとかなるかな。 
指示されたことをすればいいんだから。 


契約書類を書いて、事務に提出すると、これから生活するメドがついて、少し安心した。 
私は人と接することが苦手な事はちゃんと自覚している。 
そんな私ができる仕事は限られているから、まず仕事が見つかった事は私の生きていけるか、死ぬかの死活問題なのだ。 




帰宅して、帰りに買った半額弁当にも手をつけずパソコンとシンセサイザーの電源を入れた。 

指示書にも目を通してあったので思い付く音を、入れてデモを作る。 

15秒位のものを3パターン、他の素材の音は専門の人がいれるみたいなので、まずは大まかのデモを作る。 


ラジオの雰囲気もネットで調べて何となく掴めた気がしたから思い付いたらどんどん入れていく。 

一本作り終えて、ほっと一息。 
半額弁当を少し口に入れる。 
美味しいとは流石に言い難い、少しだけ口にいれると、若干のやり終えた感と、少しの脱力感。 
唯一気持ちいいと思える瞬間かもしれない。 

幼い頃は父の影響で二歳からピアノ、バイオリン、トランペットと1日中音楽漬けで、辛いとしか思わなかったけど、今になっては音楽は私の体の一部になっていて、楽器をさわれない日は呼吸すら上手にできないんじゃないかと思う程になった。 
おかげで友達もいなければ、この年になっても恋すらしたことがない。 

それは可哀想なのかもしれないけど、私自身必要としてないのかもしれないし、あまり深くは考えてない。 

お風呂に入って、頭を拭きながらもう一枚の書類に目を通す。 
うたの☆プリンスさまっ… 
全然分からない。 
アニメなのね… 

ネット検索してみようかな… 
大人気!!乙女ゲーム!! 
私の思考回路ではあまりにも知らない世界。 
ゲームで乙女!? 
全然訳がわからない。 
何から調べたらいいの? 

とりあえず紙に書く… 
一十木音也、聖川真斗、四ノ宮那月、一ノ瀬トキヤ、神宮寺レン、来栖翔、愛島セシル… 
んー。 
それで何が人気なの? 
ページをどんどん変えていく。 
『もう!マモ様最高!』 
『てらしー素敵!』 
『鳥さん来たじゃん』 
『きーやん流石の歌唱力』 
はぁ… 
分かりません。 
これは…声優とやらのファンサイト!? 

よし、じゃあ一人ずつ。 

一十木音也が寺島拓篤で、聖川真斗が鈴村健一で、四ノ宮那月が谷山紀章…かなり先は長い。 

そんなこんなで声優とはから、勉強して、第一期のラジオを聞いていたら、もう朝までにはほぼ頭に入っていた。 

うん。 
何となく理解してきた。 

この調子で、一気に作ってしまう。 
他のアレンジャーと言われる方はどうしてるのかは分からないけど、私は外の世界が分からない分周りから固めないと、理解できないから。 

朝御飯の代わりに昨日のお弁当の残りをまた食べて、一息つく。 

時間を見たらもう6時すぎ、明日は9時からピアノのレッスンのバイトが入ってるし、少し仮眠して、予習しなくてはキツいし。 

もう眠たいのか、目が冴えているのかさえもわからなくなって。 

ベッドに入って目をつぶると、気がついたらもう起きる時間になっていた。 
午前中のピアノのレッスンを終え、私が昨日作ったデモを持って、ベテランの先生と多田社長に聞いてもらう為に事務所に向かった。 

『一晩でデモ作るなんて、さすがだねぇ。なかなかいいんじゃない?ねぇ?』 

先生と呼ばれた人も軽くうなずく。 

『でもねぇ。あのディレクターがなんて言うか。新人いびりすごいからねえ…』 


『よし、明日スタジオにディレクターがいるから、これ持って行ってこんな感じでいいか聞いてきて』 

デモのCDを渡されて手をひらひらと多田が歩き出す。 

『社長…でもっっ!入ってすぐに行かなくても…』 

先生と呼ばれる人が呼び止める。 

『遅かれ早かれいつか会わなきゃいけないんだから、早いほうがいいんじゃない?』 

『しかし…』 

二人のやり取りに何かしらあるとは思ったけど、自分のしなければならない仕事はお給料をもらう以上ある程度の事は我慢しないといけないし。 

『だ、大丈夫ですから』 

大丈夫なのかは自信ないけど、でもいずれやってくる壁は遠回りすることなんてできないから。 

『紫ちゃんがそう言うなら…』 

少し引き下がった先生は私の頭をポンポンと叩いて、もし無理と思ったら、すぐ帰っておいでとだけ、いった。 



そんなことを言っても流石に夜は寝れなかった。 
いびられると分かっていくのもなかなか勇気がいるものだ。 
でも、時間は少しずつでも過ぎていく。 
『これが私の仕事なんだから、大丈夫』 
何度も何度も言い聞かせて目を閉じた。 




次の日、作ったデモの手直しを終わらせて、鏡の前に立つ。 

まぁ、何をしても今さら無理なんだけど、少しでも漬け込まれるものを軽くしておきたかった。 


電車に揺られて1時間、そのスタジオはおもったよりも大きくて、私に立ちはだかる壁のようにも見える。 

エントランスも豪華な作りで、今まで行ったことのないような大きなスタジオだった。 
受付に綺麗な女性が、入ってきたばかりの私を上から下までしっかりと観察して、目をみすえた。 

『ご用件はなんでしょうか?』 


『た、多田サウンドから、参りました桐生ともうします、アポイントはとってありますが…』 


声が上ずるのを必死で押さえて、少し姿勢を正した。 

『かしこまりました。暫くおまちください』 


そう言うと受け付けの女性は少し目を伏せて、資料に目を通すと、張り付けたような笑顔で二階の会議室ですと言った。 


二階の廊下の突き当たりに会議室と札があって、扉が全開に開いている。 

開いてる扉の方を申し訳な程度に叩き、中を覗いた。 
中には中年の男声が組んで雑誌をダルそうに読んでいる、声をかけるべきか少し悩んで、息を吸った。 


『多田も、新人でしかも、若い女寄越すなんて、俺の仕事なめてんの?』 

なんて答えるべきか分からなかったし、肯定も否定もできないし、おそらくそれを分かっていて言っているのであろう。 

『ふっ女がえらそうに仕事するとか笑わせるなよっ。女は男の機嫌だけとってりゃいーんだよ』 

見ていた雑誌を音を立てて閉じて机に投げた。 
それでもこれを渡さないといけない。 
手に握りしめたデモを差し出すと、もう一度だけ鼻を鳴らして、バカにしたように受け取った。 
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